叔父信光の死
「殿!那古野より火急の使いが参りました」
弘治元年(1555年。十月二十三日に天文から改元)の秋も深まった十一月二十六日、信長は日課である朝の野駆けを終えて、愛馬『ものかわ』とともに清須城内の馬場に戻ってきたところであった。帰城した信長の姿を認めた岩室長門守が、珍しく血相を変えた様子で信長の元へやってきて方膝立ちになった。
守山城下での騒ぎも落ち着き、ここ数ヶ月は尾張国内の情勢も小康状態となっていただけに、岩室長門守の慌てた様子は信長に不安を掻き立てる。
「どうした?」
どんよりとした雲が空を覆い、とっくに日の出を過ぎた太陽の位置も判然としない肌寒い朝であるが、信長の汗ばんだ体には冷たい風がむしろ心地良かった。
「信光様が那古野城内でお亡くなりになられたとのこと」
「なに?」
信長は自分の声の大きさに自分でも驚いた。それで自分がひどく狼狽している事に気がつく。早鐘のように心臓が脈を打っているが、一呼吸おいて努めて冷静を装う。
「何かの間違いではないのか?」
まずは事の真偽を疑う気持ちになる。
「使いの者がその目で確かめたと申しています」
長門守も初めは誤報を疑ったらしい。
「如何なされた?ご病気とは聞いておらんぞ?」
守山城下の騒動で助力を得た時は、どこも悪い様子はなかった。
「私もそれはまだ聞いておりません」
「よし、俺が直接話を聞く。使いの者を俺の部屋に通せ」
清須城北櫓の奥へ足早に戻ると、居室の控えに帰蝶が待っていた。その沈痛な眼差しから、帰蝶も信光急死の一報を既に聞いていることがわかった。信長は何も言わず目配せして通り過ぎようとしたが、帰蝶に呼び止められた。
「まずお着替えをなさいませぬと、お風邪を召します」
言われてみれば、乗馬で汗をかいた身体と着物はすっかり冷えていた。一刻も早く使いの者の報告を聞きたいと思ったが、この場は一旦帰蝶の言う通り身支度を整えて頭を冷やした方がよさそうである。
「左様か。頼む」
立ち止まった信長の背中にまわった帰蝶は手際良く着替えを手伝った。二人とも一言も言葉を交わさなかった。
「待たせた」
居室に現れた信長に向かって、使いの若武者が慌てて平伏した。居室へ案内した長門守から差し出された水に口をつけて、一息ついているところであったようだ。土埃に汚れた着物と、乱れた髪から急いで駆けつけてきたことが見てとれる。信長も見覚えのある信光の小姓の一人である。
「佐々孫介が次男、小次郎と申します」
「大義。委細を申せ」
信長は出来るだけ感情を抑えようと、言葉少なに報告を促す。
「本日の払暁、寝所にて家中の者に斬られました」
「下手人は?」
「近習の坂井孫八郎と申す者」
「伽衆か?」
「いえ、殿は衆道を好みませんので。何らかの打ち合わせで殿が呼び出したのか、孫八郎が忍び込んだのかは分かりませんが、孫八郎が寝所を駆け出すまで誰も気づきませんでした」
「なんたることだ、、、」
信長は下唇を噛むと二の句が継げなかった。
「孫八郎が自邸に逃げ込んだところを、我が父が手勢を率いて取り囲んでおります。父の指示で、いかが処分すべきか御屋形様の御意向を伺いに参りました」
「討ち取れ」
信長の顔面は怒りのために血の気がすっかり下がり蒼白となっている。元々整った顔だちだけに、その表情は冷たく恐ろしげに見える。
「恐れながら」
長門守が物怖じもせずに口を挟む。
「なんだ?」
急に信長の語気が荒くなった。
「まず、背後関係が無いか調べる必要があるかと。既に取り囲んでおるなら、打ち取ることはいつでも出来ましょう」
長門守の指摘はその通りである。
「しかし、、、しかし、調べたのちには必ず討ち取れ。決して討ち漏らすでないぞ。長門、すまぬがおぬしがその者と同道して、検分をいたせ。抜かるなよ」
信長は言葉を絞り出すように、指示を与えた。
「承知仕りました。では早速に」
「うむ」
岩室長門守と佐々小次郎が足早に出て行くと、信長はその場で大の字に寝転んだ。天井板を必死に睨みつけようとするが、次から次と涙が溢れて視界がぼやける。それでも目を閉じず必死で天井を睨み続けた。
すると、間仕切りの襖が静かに開いて帰蝶が傍に腰を下ろした。信長は横目でチラリとそれを確認すると、帰蝶が何か言ってくれるのを待った。いつの間にか降り出した雨の音が障子の向こうから聞こえている。
「何か言うことはないのか?」
何も言い出さない帰蝶に少し苛立って、信長は口を尖らせる。
「そうですね、、、」
帰蝶には珍しく、何を言っていいか思いあぐねている様子である。それが意外で、信長は帰蝶を見上げた。目を合わせた帰蝶の目からも涙が溢れている。帰蝶はすぐに目を逸らすと、その代わりのように手を伸ばすと、信長の胸を子供をあやすようにゆっくりと撫でながら目を閉じる。その様子を眺めているうちに信長の涙は止まったが、信光を失った悲しみはそう簡単に消えそうにもなかった。そうして二人でしばらく庭の雨音を聞いていた。
信長が家督を継いで三年、父信秀が突然亡くなったことで生じた混乱は未だ収まっていない。それでもこの混乱期を何とか乗り切ってこれたのは、叔父である孫三郎信光の協力のおかげであったことを、誰よりも身に染みて感じていたのは信長本人である。同じ織田姓を名乗る同門の者たちだけでなく、生前の父がつけてくれた重臣ですら、信長の器量を計りかねて不穏な態度をとる中で、信光だけは信長を信じその成長を見守ってくれていた。
実の父である信秀は、信長の元服とともに那古野城を与えその自立を促そうとしてくれた。しかし若い信長にしてみれば、未だに父の保護下にいる弟の勘十郎(信勝)と我が身を比べて、何か突き放されたような寂しさを感じざるを得なかった。自分は父から何か大事なもを伝えてもらっていないのではないか?という不安があった。そして嫡男である自分には、いつかそれが父から直接伝えられるはずだという淡い期待も持っていた。
なのにその父は信長に何も伝える事なく突然に亡くなってしまった。そしてその期待を裏切られたという思いは、亡き父の位牌に抹香を叩きつけるという、言い様のない苛立ちとして噴出したのである。決して父が憎かった訳ではない、むしろ尾張国を舵取りする父の姿を心から誇りにも思っていたのだ。
信秀の葬儀での信長の振る舞いは、それまでの『大うつけ』との評判に、さらに輪をかける事になった。そしてある者には面白おかしく、またある者にとっては苦々しく、人々の噂話のタネとなった。そんな中でも信光は、葬儀での信長の様子を目の当たりにしていながら、そのことは一切触れずに常に信長の味方となってくれた。その叔父の死は、否応なく信長に本当の意味での自立を迫るものとなった。
信光を殺めた坂井孫八郎は、屋敷に踏み込んだ佐々孫介らに捕縛された。そして岩室長門守が殺害の動機について厳しく尋問したが、孫八郎は私怨でござると繰り返すばかりである。尋問を続けるうちに、孫八郎が信光の北の方(正妻)に思いを寄せていたようだという噂も出てきたが、結局それ以上は何も出てこなかった。
また、孫八郎は半年前に清須を出奔した坂井大膳の縁者にあたるため、信光に清須から追われた大膳が、それを恨みに孫八郎に指示したのではないかとも思われたが、孫八郎の屋敷内を調べても大膳の関与を示唆する証拠は得られなかった。
翌日、坂井孫八郎は主君殺しの咎で斬首された。その後には、信光が誓詞を破って守護代の織田彦五郎信友を討ち取ったので神罰が降ったのだ、という噂話だけが残った。




