佐久間信盛の妙案
「守山城内の家老衆とは繋ぎはつけられそうか?」
翌朝、信長は先に配置させた守山城の包囲軍に到着すると、その包囲軍を指揮する飯尾定宗、尚清親子に確認した。
「守山城家老の角田新五殿と坂井喜左衛門殿は、佐久間(信盛)殿と懇意にしておりましたので、佐久間殿が到着次第、城内との連絡手段を確保することになっております」
「左様か。先ほど那古野の叔父上(信光)からも、すぐに駆けつけると連絡があったところだ」
つい二ヶ月ほど前まで、信長の叔父信光の居城であった守山城にいる家老以下の家臣たちは、いうまでもなく信光の配下であった者たちである。そういう意味では守山城は、現在何かと不安定な尾張国内では、信長・信光派の重要拠点の一つと言って良かった。その重要拠点が先日の信勝による焼き打ちで、完全な裸城となっている。
守山城の南西側には矢田川が流れており、信勝の派遣した柴田勝家率いる末盛の軍勢は、矢田川を背にして守山城を南と西から包囲している。それに対して信長がいる軍勢は、北東側から守山城を包囲している。その様子は見ようによっては、守山城を中心に信長軍と信勝軍が睨み合うかのようであった。だから、信長は北東側から城を攻めるのではなく、城を支援することもできるわけである。
「向こう(信勝側)の動きは?」
信長は矢田川を背負う信勝軍の方を指差した。
「我らが着陣したからは目立った動きはございません。城内と繋ぎがつけられれば、兵糧などを送り込む準備も進めております」
「よし」
信長が飯尾親子と守山城への兵糧の搬入路などについて相談しているところへ、叔父の信光と佐久間信盛が到着した。
「殿!この度は我が弟の無様な所業、誠に申し訳なく。出奔した信次に代わってこの信光が如何様にも責めを負うつもりでござる」
普段は豪放で常に明るい態度を崩さない信光も、さすがに気落ちした様子である。
「いや、決して叔父上の責任ではございません。そもそも我が弟の不用心さが生んだ不祥事。こちらこそわざわざ御足労いただき申し訳なく思っておおります。しかし、事態の収集には守山城主であった叔父上のご助力が不可欠です」
「それは承知しております。如何様にご指示くだされ」
信長の言葉に信光は深く頭を下げた。
「それで出羽介、何か良い策はあるか?」
信長は事態の収拾策について信盛に意見を求める。
「まずは飯尾殿が手筈をとっているように、守山城に兵糧など運び入れるとともに、我らより沙汰があるまで城を持ち堪えるよう申しましょう。勝手に降伏して向こうに城を明け渡されたりしては元も子もありません」
「権六(柴田勝家)は開城を迫っておるのか?」
信長は飯尾定宗に確認する。
「そのような様子はありませぬ。あくまでこちらの出方を見守っているようで」
「ここは権六の分別に期待するしかありませんが、そこは心配はいらぬようにも思います」
信光の勝家に対する評価には、信長も賛同するところである。
「しかし、向こうに信勝が出張って来ると、権六も城を攻めぬ訳にはいくまい。時間の余裕はないぞ」
昨夜の剣幕からすれば、あまり荒事が得意ではない信勝とはいえ、すぐにでも手勢を率いてこの場に現れても不思議ではない。
信長としてはなんとしても守山城での騒ぎを、これ以上大きくせずに早急に収束させたい。だからといって、信勝の派遣した柴田勝家の軍勢を、力づくで追い払うわけにもいかない。そのようなやり方では自分と信勝との対立が目に見える形になり、それは自分たちに与する者たちと、信勝を支持する者たちとの間で、国内を二分する対立に発展することにもなりかねない。
あくまでも、自分と信勝がともに守山城を包囲した上で、弟の秀孝殺害の咎を出奔した叔父の信次に負わせる形で、守山城は平和裡に籠城をやめさせねばならないのだ。
「それについては、私めに一つ妙案がございます」
信盛が珍しく自身ありげに笑顔を浮かべた。
「お?」
「犬山にいらっしゃる安房守様に守山城主をお願いしてはいかがでしょう?」
「兄上か?」
織田安房守 信時は信長の異母兄にあたる。父は同じく信秀であるが、信秀の弟で犬山城主である織田信康の養子となった。その後義父である信康は亡くなったが、犬山城とその所領は信康の実子である信清が継いでいる。そのため信時は、信康が亡くなった後十年以上も、いわゆる部屋住みといった立場で、自身の所領も無い状態であった。
一方で信時は生来勤勉な質で利発であったため、その才能を惜しんだ佐久間信盛らが中心となって何かと面倒を見ており、信長もゆくゆくは何らかの処遇を与えるべきと考えていたところであった。
「確かにそれは妙案かもしれん。叔父上はどのように思われますか?」
「確かに信時殿なら、信次より年も若く性質も穏当と聞いております。私に異論はございりません」
信光の賛同を得て、信長の意思も固まった。
「では、出羽介、おぬしは早速犬山へ走って、兄上を説得して参れ!」
「は!」
自分の妙案が採用されて、信盛は颯爽を馬に鞭を入れて犬山へ向かった。
「それでは、叔父上は兵糧とともに先に守山に入って、城内をおまとめ頂けますか。決して軽挙に走ることの無いよう」
信長は信光に向き直って言った。
「承知仕った」
「殿、安房守様をお連れいたしました」
翌日、信盛が織田信時を伴って戻ってきた。信時は線が細い印象ではあるが、確かに評判通りに利発そうな素直な表情をしている。
「これは、兄上、いや安房守殿。ご無沙汰をしておりまする。本日は面倒なところに御足労、感謝致しております」
信長は兄への敬意を示して信時を迎えた。
「いえ、こちらこそ。勿体無いお言葉を頂戴し恐悦に存じます」
信時もあくまで主筋に対する家臣の態度である。このような節度ある信時の態度は、信長だけでなくその周りにいる家臣たちにも安心感を与えた。
「出羽介からお聞き及びかと思いますが、此度の混乱を鎮めるには正式に信次殿を追放として、守山城主を誰かに預けることが重畳かと思います。そこで兄上にその役目をお願いしたいと思っております」
信時は神妙な様子で信長の言葉に耳を傾ける。
「出羽介、守山城内の意向はどうだ?」
守山城の留守を預かる角田、坂井の両家老が抵抗せずに信時の着任を了承すれば話はまとまる。
「既に孫三郎様(信光)より良く申し聞かせて頂きまして、城内に特に異論はないと聞いております」
「よし!では兄上、よろしいか?」
「もちろんでござりまする。一生を部屋住みで終えることも覚悟したこの身には、過分のお取り計らい、恐悦至極に存じます。懸命に努めさせて頂きます」
「では、よろしくお頼み申す」
異母兄の頼もしい言葉に信長は頬を緩めたが、すぐに信盛へ向き直ると顔を引き締めた。
「それでは出羽介、面倒だがお主自らが権六(勝家)の元へ行き、この旨伝えて兵を末盛へ引くように伝えよ。俺は兄上をお連れして守山城へ向かう。角田や坂井といったか?家老たちには改めて俺からも沙汰した方が良かろう。尚清、手勢を率いて着いてまいれ!」
話が決まると信長の行動は早かった。そしてその日のうちに柴田勝家は兵を引き、織田信時が新しい森山城主となった。
「それで、あっさりと兵を引いて帰ってきたと申すか?」
信勝は勝家の報告を聞くと、その端正な美しい額に青筋を立てた。
「存外、頼りにならぬ男だな!兄上の評判を落とす好機であったのに」
信勝の怒りは収まらない。
「殿、そう仰いましても、今回は清須に分がありまする。城下の焼き打ちに反感を覚える領民どももおりますれば、ここは我慢のしどころかと」
林秀貞が信勝を宥める。林は本来は信長直属の宿老であるが、村木砦攻めの時のいざこざから今では全く信長の元へは出仕せず、末盛城で信勝の家老のように振る舞っている。
「しかし、今回のことで兄上にはホトホト愛想が尽きたわ。若年の実の弟をむざむざと殺された上に、その弟に非があるかのように論うなど信じられん。人の心というものが全く判っておらん!そのようなことだから、山口や酒井に背かれるのだ」
親指の爪を噛みながら、信勝はそう吐き捨てる。そして憎々しげに端正な顔立ちを歪めると、二十歳という若さに似合わない凄みが浮かんだ。




