清須城乗っ取り
「これはこれは孫三郎(信光)様、よくぞおいでくださいました。守護代(信友)も首を長くしてお待ち申し上げております」
守山城から五十名ほどの供を引き連れた信光が、わざとらしい程に慇懃な坂井大膳に出迎えられて清須城に入ったのは、天文二十四年(1555年)四月十九日のことであった。信光が到着すると、大膳は信光のために空けてあった、清須城の南櫓に案内した。
信光は当然のように、少なくともその日のうちに守護代信友との顔合わせが行われ、場合によってはこれまでの争いを収める和議、さらには歓迎の祝宴など色々と準備されているものと思っていたが、全くそのような様子もない。これまで周到な根回しや、飲ませ食わせ抱かせの接待で、自らの地位を上げてきたと評判であった坂井大膳の懐に飛び込んでみた割には、全くの拍子抜けであった。
察するに、信光を仲間に引き込もうという今回の計略は、守護代信友との折り合いがついておらず、大善の独断に近いものなのであろう。守護代も待っているという言葉も大膳の出まかせに違いない。ということは、信友が信光との守護代並立を受け入れない場合、途端に信光が両者から邪魔者扱いされる恐れがあるということである。これはのんびりと相手の出方を伺っている場合ではない、こちらから先に動く必要がある、と信光はすぐさま判断した。
「今後のことを談合したい。明日必ずこちらへ顔を出すように、と大膳に伝えよ」
信光は小姓を使いに出すと、主だったものを集めて翌日の手筈を整えた。
翌四月二十日、前日の信光からの呼び出しを受けて、坂井大膳は身支度を整えると信光の待つ南櫓へ向かった。初夏の空は綺麗に晴れ渡り、朝から汗ばむような陽気であった。昨年焼失した守護屋敷の後に再建した本丸御殿の広間や廊下も、全ての襖を開け放して、爽やかな初夏の風が通り抜けるようにしている。
大膳は広間の縁側の廊下を抜けると、南櫓に通じる渡り廊下へと出た。ふと南櫓を見上げると、廊下に連なる入り口の扉は開かれているが、その先の廊下の鎧戸や間仕切りの襖なとは全て閉じられたままである。
本丸の縁側に注ぐ陽光になれた目には、南櫓内の廊下はことさらに暗く感じられ、何か不気味な洞窟が口を開けているように、大膳には感じられた。
「こりゃ、いかん」
大膳は小さく呟くと、クルリと身を翻し本丸の奥へと戻って行った。
「鼻の効く男じゃの」
南櫓の上階から、板戸を薄く開けて渡り廊下の様子を見下ろしていた信光は、感心したように呟いた。大膳が南櫓の廊下に入ったところで、素早く討ち取ってしまう計画だったのある。大膳を討つ配下の者たちを、櫓内の各部屋や廊下の角に隠しておくために、襖などを締め切っていたのを、先に感付かれたのだった。
「やはり、対面した上で儂自らが手を下すべきであったな」
信光は側に控える小姓に声をかけたが、信光もやはり人の子、起請文のことが頭にあって、自らが手を汚すことを躊躇う気持ちがあったようである。
ちなみに誰にも告げず一人清須城を抜け出した坂井大膳は、そのまままんまと国外に逃げ仰せて、その後は駿河に逃れ今川義元の保護を受けたという。
「では、守護代殿の元へ参ろうか。主君殺しの責任を取って頂かねばならんからな」
信光は配下に声を掛けると、小姓に先触れさせた上で守護代の居室がある本丸へと向かった。
「暫しこちらでお待ちください」
信光を出迎えた信友の家臣が、居室の隣で待つように告げた。信光は今度は守護代の居室との境の襖以外の間仕切りを全て開けさせ、見通しを良くすると要所要所に配下を配置した上で、自らは部屋の真ん中に腰を下ろした。
「入られよ」
暫くして守護代の居室から声がかかった。信光が腰をあげ居室の襖を開けると織田彦五郎信友は既に白装束に着替えて端座していた。
「見事なお覚悟。感服いたしました」
既に実権を失っているとはいえ、守護代として尾張国内における織田宗家の頭領たる立場である。引き際を心得た態度は見事であった。
「介錯は信光殿にお願いできるかな?」
それでも信光を見上げる信友の表情は青ざめている。
「心得ました」
信光は努めて落ち着いた口調で応えた。
清須城の乗っ取りに成功したという連絡は、その日のうちに那古野の信長の元へ届いた。
「流石は叔父上だな」
あまりに早い決着に信長は驚きを隠せなかった。早速翌日には清須城へ駆けつけ、叔父の労を労った。
「こうやって実際に来てみれば、やはり尾張全体を見通すには清須が向いておるようですな。三郎殿は岩龍丸様、いや義銀様をお連れして、この清須に入られませ。儂は片付けが終われば守山へ戻ります」
信光は自分の仕事を手際良く終えたことに満足そうであった。
「そういうことであれば、叔父上は是非那古野に。清須と守山では離れすぎております。未だ国内が治まった訳ではありませんので、身近に居て下さった方が心強い。ついては庄内川を境に、下四郡のうち東二郡、愛知と知多を所領とされるが宜かろう」
信長としては、これからも尾張国内を支配していくためには、頼れる叔父である信光との二人三脚とも言える体制が望ましいと思っている。
「なるほど、それは有難き申し出ですな。那古野には喜んで入らせて頂くとしましょう。しかしながら所領の件は今のところ御遠慮申し上げます。殿はまだお若い、尾張を治めたのちは、美濃や近江も視野に入れるぐらいの気概をお持ちなされ。そうすれば、この老体も少し欲が出て、尾張を丸々頂きたいなどと言い出すかもしれませんぞ」
信光はそういうと快活に笑った。
信長は五月に入ってすぐに信光の申し出通り、今は亡き守護斯波義統の跡目を継いだ斯波義銀に供奉する形で、自らの家臣団も引き連れて清須城へ入った。
義銀が正式に尾張守護としての宣下を受けた以上、信長も実質的には守護代という立場になったわけである。それに伴い家臣団の仕事も増える事となるため、信長は織田弾正忠家の筆頭家老でありながら、末盛城にいる弟の信勝配下となっていた佐久間出羽介信盛を、正式に自分の配下の家老としている。
先代の信秀が晩年に末森城で政務を執っていた流れで、そのまま筆頭家老である佐久間信盛が、家督を継いだ信長ではなく末森城を継いだ弟信勝の配下となっていたのであるが、これは家中の序列からしても不自然であり、家中の人間が信長対信勝という構図でものを見たくなる一因にもなっていた。
そういった意味からすると、信長の家督相続に不満を持つ信勝としては、このまま手元に筆頭家老佐久間信盛を置いていた方が有利なはずであり、信長からの信盛配置換えの申し出には、信勝が難色を示すかと思われた。しかし、何かと口うるさい信盛と信勝は折り合いが良くなかったらしく、信勝は珍しく兄からの申し出を二つ返事で受け入れた。
一方で、今でも信長配下の中での一の宿老は林秀貞なのだが、村木砦の一件以来関係がギクシャクしているのは既に述べた通りである。それどころか、秀貞の方は、最近は何かと信長の弟である信勝と連絡を取り合っているらしい。そうなると信長としても、わざわざ気を使って秀貞との関係を修復しようという気にもならなくなる。それが決して良い状態ではないということは判るが、そこは信長もまだ弱冠二十二歳の若者である。
ということで、何かと細かいことに口を出したがる、少し面倒くさい奴と評判の佐久間出羽介信盛が名実ともに織田弾正忠家の筆頭家老ということになった。
清須城に入ると早速に信盛の細かい指示で、岩龍丸のために本丸御殿の手直しが行われている。何かにつけて
「尾張守護が政務を執るのだ。その格式に見合った設えにせねば」
という信盛の指示があちこちで飛んでいる。
信長は守護に遠慮する形で北櫓に居室を構えた。こちらは帰蝶の趣味を活かした、格式張らない居心地の良さを優先した設えである




