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凡人信長記  作者: 梵天丸


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抜き身の刀

「織田様の仰る通り、応仁・文明の乱から約百年、日の本の国中が離合と集散を繰り返してきましたが、この十年ほどで数国をまとめる大名が世に知られるようになっております。北は最上や伊達、関東に北条や今川、甲斐の武田、越後の長尾、西には毛利や長宗我部。それぞれが己の力に見合った領国を獲得せんと、虎視眈々とその刃を磨いております。つまり室町殿の支配が弱まって、国衆たちが小さな所領をバラバラに支配し、近隣と縄張り争いをする世の中が続いておりましたが、今はそのバラバラ状態を糾合する、そういう力を持つ者たちが必要とされておる時代なのです」

 初秋の爽やかな乾いた風が、時折思い出したように陣幕を揺らしている。大真面目な態度で天下国家を語る光秀に、信長は気圧される思いだった。

「舅殿もその力を持つ者であると?」

 信長の質問に光秀は姿勢を正す。

「残念ながら、隠居となられた今の大殿には難しいでしょう。しかし、織田様と大殿が親子で手を組まれれば大きな力となりましょう」

 信長を見つめる光秀の瞳には熱い炎が宿っているようだった。信長はその炎に引き込まれるような魅力を感じ始めていた。


「十兵衛殿はいつまでも夢を見ている男の子のようですね」

 帰蝶は妙に熱くなっている二人の間に、水を差すように割って入った。

 帰蝶はいつも通りの柔らかい笑顔を二人に向けているが、十兵衛に向けた言葉には明らかに棘が含まれている。それをを感じて信長は冷静さを取り戻した。帰蝶のこういう頃合いを見逃さない賢さには、いつも感心させられる信長である。

「ひょっとして、十兵衛殿は殿を唆《そそのか》そうとされているのかしら?」

 帰蝶は悪戯っぽい目を光秀に向けた。

「いえ、決してそのような。失礼仕りました」

 光秀の瞳からは先程まで宿っていた熱い炎が一瞬で消え去って、初めの印象と同じ慇懃で控えめな態度に戻っている。

「俺などはまだ、そんなところまで気が回らん。この先そういう力を持てるか打王かも分からんし。まずは尾張をなんとかせねば。舅殿、いや十兵衛殿のご期待には添えんぞ。それに舅殿をお支えしその意思を継がれるのは、この新五郎殿であろう」

 信長は相手との間合いを図るように言うと、隣にいる新五郎に微笑みかける。すると新五郎は少し照れたように目を伏せた。

 しかし、光秀はその新五郎を横目で見ると軽く頷いただけで話を続ける。

「大殿がどのようにお考えかは分かりませぬ。先ほどは僭越《せんえつ》ながら私めの考えを申しただけ。ただ、察するに織田様も尾張一国には収まりきれない器量をお持ちの方とお見受け致しましたので。おそらく大殿もそのように思われておるかと」

 光秀は信長の目をじっと見つめた。それは傅役の老臣が若君に大志を抱かせるようでもあり、教師を務める僧侶が世の理《ことわり》を諭《さと》すようでもあった。

 光秀の言葉に信長の顔にも満更でもないような色が浮かんでいる。その色を見て今度は光秀の瞳に先程とはまた違う光が宿った。それは、何かを企みを論じる者たちが見せる瞳の輝きを同じ種類のものだ。


「織田様のような方には、この戦乱の世は悪くないどころか恰好の活躍の場となるでございましょう。織田様がその気になればその器量でさらに支配を広げることができ、支配される配下の者や領民たちは活き活きと暮らすことができまする。もちろん他国を斬り従えるには死人や怪我人も出ますし、それは決して好ましいことではありませんが、新しき秩序のためにはそれも致し方ないかと思います」

 光秀は少し自分の言葉に酔っている様子であった。

「うん?ちょっと、待て」

「はぁ?」

 光秀の話はこれからもっと盛り上がるはずであった。それに水を差されて光秀は少し怪訝そうな顔をした。

「十兵衛殿の話は俺も理解できる。理屈としてはな。ただ、実際に戦さ場で己が手塩にかけた者たちが、死んだり不具者になるのを見るのは忍びないものだ。これは理屈で割り切れるものではないのだ」

 信長の言葉に帰蝶は控えめに笑みを浮かべ、側に控える岩室長門守は大きく頷いて誇らしげな表情を見せている。

「さすがは織田様。御優しいお心をお持ちですな」

 光秀はやり手の商人が、商談の主導権を取り戻す時のように、一旦相手に共感を示すように頷いてから話を続けようとする。

「しかしながら、大願を成就するには、、、」

「何やら雲を摘むようなお話ですこと」

 光秀の話にまた引き込まれそうになっている信長の片袖を、帰蝶が引っ張りながら言った。その声に信長が振り返ると、帰蝶は片手で信長の袖を引っ張ったまま、もう片手の袖口で自分の口元を押さえてクスクスと笑っている。それを見て信長は我に返った。

「そろそろ、お城へ戻りましょう。父上がお待ちですよ」


「帰蝶は明智十兵衛という男が嫌いか?舅殿が知恵袋と呼ぶだけのことはあると思うのだが」

 鷺山城で舅斎藤道三からの歓待を受けた帰りの道中、信長は帰蝶の乗る輿《こし》の側に馬を寄せると声をかけた。

「お若い頃から知恵もまわり、お口も達者でいらっしゃいましたよ」

「やっぱり嫌いか、、、」

「嫌いではないんです。親切で良い方ですから。ただ、斬れすぎる刃物というか、ちょっと怖いんですよ」

「全然怖がっているようには見えなかったがな」

 簾で輿の中の帰蝶の表情は見えないが、袖口で口を隠してクスクス笑っている姿は容易に想像できた。

「でも、父上の命運も御尽き遊ばす頃合いでしょうね」

 不意に帰蝶が寂しげに呟くので信長は驚いた。

「そうか?隠居されたとはいえ、ますます意気軒昂と見えたが?」

「だから危ないんです。もう落ち目なのに。それを認めたくないばっかりに、あんな抜き身の刀みたいな人を手元に置いて」

「舅殿が無茶をなさるということか?」

「変に焚き付けられなけりゃ良いですけど。殿だって、あの方とお話になって少し妙な気分になられたでしょ?」

 図星である。信長は何も答えず軽く咳払いをすると馬上で姿勢を正した。


「長門はどう思う?」

 後ろを付かず離れずの位置にいる岩室長門守に声をかける。

「はあ」

 長門守は曖昧な返事をすると信長に向かってニッコリと笑顔を向ける。何か思うところはありそうだ。

「遠慮はいらん。有り体に申してみろ」

「では遠慮なく。一言で申して度胸のある方だなぁと思いました」

「どういうことだ?」

 長門守は真剣な表情に戻って続ける。

「我らのような主君に使える立場の人間は、余程のことがなければ、上の立場の方から求められもせぬのに、自分の考えを進んで述べたりは致しません」

「たしかにな」

「言い方が悪ければ、いや、言う相手を間違えれば自分の身を滅ぼすことにもなりかねませんから。そう言う意味ではあの方は言う相手を見誤ることがないのかも知れません」

「となると、度胸が良いだけではなく、人を見る目もあるということか」

「人を見るだけなら良いのですが」

「どういうことだ?」

 長門守は人に仕えるという立場から、信長とは違ったものが見えているようだ。

「あの方は主君の願いややるべきことを実現するために働く性質《たち》ではないように思うのです。むしろ自分の想いを叶えるために、言い方は悪いですが主君を操ろうとする方かと」

「それでは清須で斯波様を囲っていた大和守と同じではないか?」

「大和守殿は御自身の立場を守りたいだけで、何やら大層なことを考えているわけではないでしょう。ただ明智殿は何やら私など思いも寄らない所を見ておるようで」

 信長が特に感じなかった光秀に対する不安を、帰蝶と長門守は感じているようだった。

「だから袋に入っていない方を知恵袋は言わないでしょう?」

 輿の中から帰蝶は言うとまた笑った。

「上手いこと言いおって」

 信長もつられて笑う。


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