隠居
「父上から、文が届きました」
帰蝶があまり浮かない表情で言った。
「ほう、舅殿から。そういえば剃髪して入道されたと伺ったが。確か号は道三殿と申されたか?お元気そうか」
「元気は元気のようですが、、、」
守護斯波義統が謀殺されて約一ヶ月、柴田勝家の働きによって大きく勢力を削がれた清須城からは、政治的にも軍事的にも目立った動きはなかった。
尾張は現在、守護不在という政治的に不安定な状況に置かれている。しかし清須にいる守護代の大和守信友はもちろんのこと、同じく守護代である岩倉の伊勢守 信安からも何の動きもない。今後の国内の体制といった政治向きの話はともかく、義統の葬儀や岩龍丸による跡目相続などは、どちらかの守護代が段取りして然るべきなのだ。清須の大和守とは敵対関係にあるため、岩倉の伊勢守に法要など打診してはみたが、何の返事もなかった。
となれば、実際に岩龍丸を保護している信長が何とかするしかない。斯波氏の一族は岩龍丸を除いて清須城で討死を遂げているから、信長は岩龍丸を喪主に立てて那古野城下において葬儀や法要を取り行った。それに手を貸してくれたのは、叔父の信光だけであり、信長は自分と尾張国との行末に不安を抱かざるを得なかった。ともあれ、来年の正月をもって喪明けとし、岩龍丸を元服させて正式な守護任官を室町殿に申し出るつもりである。
美濃の斎藤利政、出家して道三から娘の帰蝶に書状が届いたのは、義統死後の手続きがやっと落ち着きを見せた天文二十三年(1554年)八月の末であった。
夏の暑さも過ぎ、那古野城の居室を通る風にも秋の気配を感じる時期となっていた。
「隠居を無理強いされて、流石の蝮殿も気落ちされておるか?」
「それもありますが、なにより暇を持て余してもいるようです。鷺山に婿殿と一緒に顔を見せろと言っておりますよ」
義父斎藤利政が嫡男義龍に家督を譲って出家したのは、義統の謀殺事件より以前のことである。信長の元へその報告が入ったのが三月の半ばで、既にその時には利政は道三入道と称して、稲葉山城を出て鷺山城に居を移していたので、実際に家中で『隠居』扱いをされるようになったのは二月中のことである。
あえて『隠居』としたのには訳がある。
道三本人は出家して名目上の家督は嫡男義龍に譲ったものの、引き続き実権は維持して入道姿で政務を執るつもりだったのだ。ところが利政が城下の常在寺にて出家し入道となったタイミングで、家臣たちが結託して義龍を当主として担ぎ上げたのだった。そして実権を奪われた道三は、渋々ながら『隠居』として、旧城である鷺山城へ引き上げざるを得なかったのだった。
ちなみに帰蝶が道三と小見の方(明智光継の娘。光秀の伯母との説もある)の間に生まれた育ったのも、この鷺山城である。帰蝶が鷺山から那古野に嫁いで既に五年が経っていた。母の小見の方は三年前に既に亡くなっている。
道三は美濃を完全に自分の支配下においてからは、嫡男の新九郎義龍、次男孫四郎、三男喜平次とともに稲葉山を居城としていた。前にも触れたが、嫡男義龍は長男らしくおっとりとしたところはあるものの、万事に慎重で重臣達の意見も良く聞くため家臣たちからの信望も篤かった。しかし、道三はどうも義龍のそういう性質が物足りなかったらしく、活発で物怖じしない次男と三男ばかりを可愛がった。
そればかりか、道三は義龍には冷淡なくせにその息子である初孫の喜太郎(のちの龍興)は溺愛した。このような道三の態度は、稲葉山城内の家臣たちから(大人気ない)と映るだけでなく、(新九郎様が不憫)と義龍への同情が集まる結果ともなっていた。
「私は久しぶりに鷺山へ行ってみたいとは思いますが、兄上(義龍)がお許しなるでしょうか?」
義龍の許可を気にするあたり、帰蝶は信長にも同行して欲しいようだ。
「まぁ、掛け合ってみても損はあるまい。新五郎殿の顔も見たいであろう?」
新五郎(のちの斎藤 利治)はこの時十四歳、道三の末子で帰蝶の実弟である。
「俺も舅殿の入道頭を見てみたい」
信長の返事に帰蝶はほっとした笑顔を浮かべた。
鷺山城は長良川の上流、現在の岐阜市鷺山、濃尾平野の北側を囲む山々の麓に位置する。鷺山とは名ばかりの小高い丘の上にあった。
永正六年(1509年)に土岐政房によって守護所が置かれてからは、天文十年(1541年)に斎藤利政(道三)が守護の土岐 頼芸を追放し、本拠地を稲葉山に移すまでは美濃国の主城であった。
繰り返しになるが、帰蝶もこの鷺山で生まれ育ち、ここから信長の元へ輿入れをした。そのため那古野城下では帰蝶を鷺山殿と呼んでいる。
信長が帰蝶を伴い、岩室長門守らの小姓ら十名ほどを引き連れて鷺山城下に入ったのはその年の九月の末であった。前年に道三と信長が聖徳寺で会見を行った際には、それぞれ小規模の軍勢を率いた体裁であったが、今回は帰蝶の里帰りと隠居道三へのご機嫌伺い、という建前である。ということで一才軍勢は引き連れない、との信長からの申し出に対して、稲葉山の義龍からの返事は『ご存分に』という簡潔なものである。
蝮と呼ばれた男の息子、しかもその蝮を体良く追い払ったというだけに、何かしら面倒な言い掛かりをつけてくるかと覚悟していたが、思いの外あっさりとした義龍の態度は、信長には意外に感じられた。
稲葉山城とその城下井ノ口に、美濃国の中心が移って十余年、古城を取り囲む街並みが落ち着いた佇まいを見せている。
「これは、よく参られた!」
信長と帰蝶が並んで座る広間に現れた道三は、この時還暦を過ぎた六十一歳であったが、以前と変わらぬ快活で二人を迎えた。
「舅殿におかれましては、ご機嫌麗しく」
平伏して挨拶した信長は、そのまま面を上げると道三の禿げ頭を見てニヤリと笑った。
「良い眺めであろう?」
「思いの外お似合いで拍子抜けいたしました」
元々月代から頭頂部の毛が薄かったせいか、剃髪してもそれほど印象が変わらない。
「御久しゅうござりまする。お元気そうで何よりです」
「婿殿に大事にされておるようだな」
帰蝶の挨拶に道三は目を細めて応じる。帰蝶にとっては嫁入りしてから六年、初めての里帰りである。帰蝶が父道三を言葉を交わすのを見るのは、信長にとっても初めてのことであった。道三が帰蝶に向ける優しげな表情からは、普段の彼が見せる抜け目のない鋭い雰囲気は消えている。
「新五郎殿も立派に御成りですね」
美しい姉に久しぶりに再会した思春期の弟は、頬を染めながら何事が口ごもると目を伏せた。
「何を照れておるか。情けない」
どうも道三は気の優しい男は頼りなく感じる性質らしい。
「ところで、義龍は何やかんやと文句をつけては来なかったか?」
美濃と尾張は信長と帰蝶の婚礼以来の同盟関係ということになっているが、今やその約定も両国の先代同士が結んだものとなっている。しかも、義龍は道三の実権を奪う形で当主となったばかりであるし、信長は未だ尾張国内をまとめきれていない。そういう意味ではお互いの動向を注視している段階であった。
「こちらも、思いの外すんなりと。道中、常に監視の目は厳しいようでしたが」
信長は稲葉山に極力近づかないように、長良川に沿って北上してきたのだが、常に義龍の配下が遠巻きに様子を伺っているのがわかった。もちろん、義龍の配下もあえて自分たちの存在が見えるように行動している訳だが。
「見張っておるだけとは情けない。取り囲んで討ち果たす好機ではないか。さすれば容易に尾張を我が物に出来よう。義龍は覇気のない男じゃ。のう?そう思わんか?婿殿?」
信長の顔を覗き込む道三はおどけたような表情だが、今度は帰蝶と話す時とは違って目は笑っていない。
「私からは何とも言えませぬな。義龍殿が舅殿の望むようなお方であれば、我らは今こうして舅殿にお眼通りも叶いませぬ」
信長は苦笑を浮かべた。このような話は真に受けずに受け流すに限る。
「御父上は相変わらずで御座いますね。そのような物騒なことばかりお考えですから、家来の皆さんに見限られるのですよ」
帰蝶は物怖じするというところがない。道三が一番言われたくないことを涼しい顔で言った。




