村木砦の戦い
「此度の敵はこれまでと違い、駿河から我らの国を荒らしに来た悪人どもだ!手加減は要らぬぞ!思う存分攻めかかれ!」
信長は深い空堀を隔てた、村木砦の南面に陣取ると手勢の若武者たちを大声で鼓舞した。緒川城に全軍が集結した翌朝、一月二十四日の辰の刻(午前八時ごろ)である。
前日の軍議によって、村木砦を取り囲んだのち、城の東にある大手(正面)から水野信元、西の搦手(裏門)からは信光、そして最も攻めにくい南側から信長の指揮する本隊が責めることとなった。ちなみに城の北側は切り立った崖になっており、守備兵もいないようだが、とても攻めようが無かった。
信長軍の中心となっているのは、信長とともに緒川城へ先乗りした百名である。これまで信長が手塩にかけて訓練した兵たちだけに、信長の鼓舞に応えて勢いよく空堀に駆け降りると、そのままの勢いで空堀の対岸を駆け上がり、城の塀に取り付こうとする。そこに待ってましたとばかりに、砦の敵兵が石を投げつける。
「種子島を持って来い」
信長がに命じると、岩室長門守と加藤弥三郎がそれぞれ二挺ずつの火縄銃を両脇に抱えて持ってきた。
信長はまず一挺を受け取ると火縄を確認して、砦の狭間から槍や刺股を繰り出している敵兵に狙いをつけた。塀に取り付こうとする尾張の兵を突き落として、砦を守ろうとしているのだ。
「どーん」という大きな音と共に風切音がして弾が板塀に食い込むと、板の破片が周りに跳ねた。その音に敵兵たちは一瞬身をすくめるが、自分の身に何もないことを確かめると、我に帰ったように慌てて登ってくる尾張の兵を突き落とそうとする。
「次!」
信長が命じると長門守が弾込めの済んだ鉄砲を信長に手渡す。そして次は弥三郎と取っ替え引っ換え敵兵を狙って、狭間に向けて射撃を加えるのだが、その都度守備兵は身をすくめて一瞬動きが止まったり、狭間の奥に身体を引っ込めたりするが、なかなか命中はしない。むしろ勝家配下の手練れが弓で放つ矢の方が当たるようであった。
「なかなか難しいものだな」
信長は自身初の攻城戦とあって、新兵器である火縄銃の効果を試したかったのだが、手元に揃えた銃そのものの数も少なく、発砲も間延びした間隔であったためか、その効果はあまり芳しいとは言えないものであった。
配下の若武者たちは火縄銃と弓矢の援護射撃に乗じて、なんとか塀を越えようとするのだが、守備兵もしぶとく応戦するので取り付いては突き落とされるの繰り返しで負傷者が増えるばかりであった。このように信長が派手に南側を攻めることで、敵兵を引き付け、手薄になった大手か搦手から攻め手を侵入させる手筈であるから、作戦通りと言えばそれまでなのだが、自分が手塩にかけた兵たちが、その目の前で他でもない自分の指示によって傷を負っていくのを見るのは、中々に苦しい体験であった。
歯噛みする辛さに耐えて信長は兵たちを鼓舞し続けたが、一刻ほどして砦の西側から歓声が上がった。信光の手勢が砦の内部に侵入したようである。それに呼応するように、信長が攻めている南面の敵兵たちの様子が明らかに変わった。
それまで槍や刺股を振るっていた兵の姿が少なくなり、中には狭間がポッカリと口を開けているものもある。敵兵の多くが、砦の中に侵入した信光の配下への対応に回ったに違いなかった。
「よし!今だ!敵は手薄になったぞ!塀を乗り越えよ!」
信長は叫ぶと自らも鉄砲を投げ捨て、槍を抱えて馬に跨ると空堀の中へ乗り出した。
「進め!進め!」
前線の兵たちを励ましながら空堀の中を縦横に駆け回る。その姿に気づいた敵兵の中には、大将である信長を狙って弓を射かけてくる者もいるが、そんなことで怯んではいられなかった。
既に何度も塀から空堀に転げ落とされて、手傷を負ったり手足を挫いたりしている兵たちを鼓舞するには、自らも先頭に立って奮闘しなければならなかった。気がつくと柴田勝家や佐久間盛重といった重臣たちも、信長と同じように空堀の中へ乗り入れて指揮している。
「そーっれ!そーっれ!」
と大きな掛け声が聞こえたかと思うと、板塀の一部が織田勢によってバリバリと引き倒されるところであった。そこから信長の号令を待つまでもなく、兵たちがなだれ込んで行く。そこでも先頭に立つのは信長直属の小姓衆であった。その流れに乗るように信長も騎乗のまま空堀を駆け上がり、村木砦の中へ駆け入った。
塀に囲まれた砦の内部では、敵味方が入り乱れての混戦となっており、そこはまさに修羅場と言える様相であった。村木砦を守る今川の兵たちはそれこそ死に物狂いで抗戦している。窮鼠猫を噛むというが、逃げ場を失った者たちをさらに追い詰めると、攻め手にも思わぬ形で大きな損害が生じかねない。このような場合には、攻める織田勢も一旦敵との距離を取って体勢を整えたいところだが、塀を突き破った侵入口からは続々と後続の兵が、それこそ鬼の形相で雪崩れ込んで来る。
一刻あまりも砦の敵に粘り強く攻撃を跳ね返された鬱憤を晴らし、この機に手柄を挙げようと、怪我を負っている者たちもそれをものともせず攻めかかる。その姿は一見頼もしく見えるが、実際のところは既に信長や勝家ら、指揮官の号令も耳に入らない無秩序な状態となっている。
信長直卒の部隊は、本来であれば近習の小姓たちがそれぞれに配下の兵たちを指揮するように訓練してきたのだが、今回はその小姓たちが我先に砦に突入する役目を背負ってしまった。その上、彼らの背後から押し出すように後続の部隊が押し込んでくるので、彼らが最前線で敵方の必至の抵抗を引き受けている。これでは配下を指揮するどころではないばかりか、真っ先に負傷したり討ち取られたりする状態となっている。織田勢として全体の戦況は有利に進んでいるのだが、この無秩序な攻撃は自軍にも大きな損害を生じさせているのだった。
「一旦落ち着け!左右に広げて絡め取れば良い!」
信長も必死に叫んで指揮するのだが、事前に砦内の敵兵の配置を掴んでいたわけではないので、指示が明確でない。それ以上に自軍に突入の勢いがつき過ぎている。これ双方がひとしきり争って疲れが出るまで落ち着きそうになかった。
「権六!これでは泥試合だ!なんとかならんのか!」
信長は近くに馬を寄せてきた勝家に向かって叫んだ。
「殿!城攻めとはこういったモノでござるよ。だから守りの三倍の兵を必要とするのです。攻める方にもそれなりの被害が出るのが当たり前でござる」
勝家は事もなげに答える。
「既に砦に侵入している我らの兵の数も多いのですから、いずれ決着がつきまする」
「もう勝敗がついているではないか!今川勢が諦めるように出来ぬのか?」
「ですから、そのために隙を与えず攻めるのです。それで降参するか最後の一兵まで戦うのか、それを決めるのは向こうの勝手にござる。こうなってしまっては余計な情けを見せても戦さが長引くだけ。下手をすればこちらの被害も増えまする」
勝家の言うことは冷酷で取り付く島もないが、今の状況を見ていると、全くもってその通りであると信長は黙らざるを得なかった。勝家が言う通り、搦手から入った信光の軍勢も遅れて大手口を破った水野勢も、戦さ慣れした部隊は全く手を緩めずに攻撃を続けている。
海津で坂井甚介らの清須勢と戦った時もそうであったが、戦さというものは一旦戦端が開かれてしまうと、あとは増水した暴れ川のように手がつけられなくなる。作戦に基づいた指揮が通用するのは初手だけ、ということを信長は痛感していた。兵の配置や武器の工夫といった知恵比べも機能するのは戦の初めだけで、両軍がぶつかりあって混戦になってしまえば、あとはどちらの兵が多くて勢を持続できるか力比べの勝負になる。そして勝つためにはそれなりの被害を覚悟せねばならない。
「このような戦を続けておっては、兵がいくらいても足りんわ」
少し狼狽えたように呟いた信長を横目に見て、フッとため息をつく勝家の視線は冷ややかである。
「怯むな!休まず攻めかけよ!」
勝家は改めて兵たちを大声で叱咤すると、さらに前線の兵を励ますべく馬に鞭を入れた。




