海を渡って
「船頭どもが今日は船を出さんと申しております」
翌朝、寝所で身支度をしている信長のもとへ岩室長門守が駆け込んできた。
「風が強すぎるとのことで。柴田殿と佐久間殿が船頭どもに話しておりますが、どうも埒が開かんようです」
問題発生という報告なのだが、長門守は少し面白がっているようで、悪戯っぽい表情を信長に向けている。お互いが元服する前から信長の小姓を務めている長門守であるが、子供の頃から何か問題があればそれを茶化さずにいられない性質である。そんな所も信長と気が合う面であった。
「そうか。では叔父上(信光)にもその旨、、、」
「すでにお伝えしております」
信長と信光が連れ立って港に向かうと、なるほど昨日よりも北西の風が強くなり、朝日を受けて白波がキラキラと光っている。見ると、既に熱田港の分限者である津島屋菊右衛門が、イキリ立っている配下の船頭たちと柴田勝家や佐久間盛重といった重臣たちの間に立って何か話している。菊右衛門は小柄な男であるが、気の荒い船頭たちや、熱田神宮などの寺社の祭日を取り仕切る香具師たちなど、多くの荒くれ者どもを配下に置く親分だけあって、織田家の侍大将たちを相手にも対等に話しをしている。
今回の出陣にあたっても、熱田近隣の船頭たちを集めて船団を組織するには、菊右衛門の人望と、同じく熱田港の商人である加藤家の協力は欠かせなかった。信長に気づいて菊右衛門がこちらへ向けて頭を下げると、船頭たちがこちらへ一斉に目を向けた。
立ち止まった信長の元へ、小姓の加藤弥三郎に案内されてその父であり加藤家の当主である順盛が現れた。こちらも熱田港を本拠に尾張国内にもその名を知られた商家の主人、その風采も侍大将に引けを取らない堂々たるものである。
「この度は御屋形様自らの御出陣、かたじけないことに御座りまする」
順盛は慇懃に頭を下げると、ニコリと笑った。
「揉めておるようだが、話はつきそうか?」
信長は笑顔を崩さない順盛に単刀直入に聞いた。順盛の様子からすると、それほど事態は深刻ではなさそうである。
「ええ、確かに風は強うございますが、船を出せぬほどでは。ただお武家様方をお乗せするとなると、いつもの荷物を運ぶようなわけにはいきませんから」
順盛が少し上目遣いになる。
「手当が足らんのか?」
「これだけ風が強いと波も高くなります。その中を武具も馬も載せて、となりますとどうしても船が不安定になります。操船が難しくなる上に、船が痛む恐れもありますので」
今度は菊右衛門が船頭たちを代表して答えた。
「そういうことであれば、嫌も応もないではないか。褒美は十分にとらすぞ」
信長が答えると
「それでは御屋形様が直々に皆に発破をかけるが宜かろうと」
さらには信光が耳打ちする。
「なるほど。そういうことですか」
色々と経験値の高い三人に、代わる代わるに言われてやっと合点がいった。
この戦いは信長が弾正忠家の当主となって初めての、今川勢つまり国外勢力との領国防衛戦である。これまでの山口教継や坂井大膳との争いは、あくまで尾張国内の言うなれば内戦であった。そういう意味では全く位置付けが異なる。しかも今回は加藤家や津島屋菊右衛門と配下の船頭たちという、直接の家来以外の領民たちの力も借りての戦いである。信光、順盛、そして菊右衛門といった年長者たちは、その意味するところを信長に気づかせようとしていたのである。
信長は一歩前に歩み出ると、船頭たちの顔を見回した。それぞれに一癖二癖ありそうな面構えの連中ばかりであるが、『大うつけ』と言われて城下の盛り場や怪しげな界隈に出入りしてきた信長である。そういった連中に臆するところはない。腹に力を入れると口を開いた。
「皆の者!よくぞこの信長のために集まってくれた!まず礼を申すぞ!おぬしらがこの程度の波風をものともしない猛者たちであることは、菊右衛門からよく聞いておる!しかし、この信長はおぬしら尾張の領民たちを守る立場にあるものだ!おぬしらの好意に甘えてばかりでは世間の面目が立たん!無事にこの波を渡り切って今川の馬鹿どもを追い払った暁には、望み通りの褒美をとらす!大いに励め!」
この信長の言葉に、強風を目の前にして船頭たちが示していた煮え切らない態度は、一気に吹き飛んでしまったようである。口々に、このぐらいの風が丁度良いとか、俺が一番に渡してやるなど言い合っては、それぞれいそいそと出港の準備に取り掛かった。
信光は腕組みしたままその様子を満足そうに眺めながら、横に立っている勝家の胸を肘で小突いた。
「なかなか、やるものですな」
勝家は感心したように信光に答えた。
この頃、海運で活躍した船は弁才船と呼ばれる、大きな横帆を一枚掲げる単檣船である。江戸中期以降には米千石程度を積むことができたため、一般的には千石船と呼ばれた大型船も登場したが、戦国時代においては長さ五十尺(約16メートル)幅二十五尺(約8メートル)程で搭載量も250石から300石程であった。一隻に船頭らの船員以外では二十名ほどの兵員と数頭の馬を載せるのがやっとであったから、熱田で菊右衛門がかき集めた二十隻程の船団では、信長と信光の両軍合わせて約七百名の兵員で一度に渡海することは不可能であった。
全軍を二手に分け、まず信長と信光らが先に乗船した。行きは北西の強風で半刻(約一時間)で松崎に到着したが、後続を乗せるには向かい風の中をジグザクに航海して熱田に戻らねばならない。勝家らが率いる後続が全て渡り終えるには丸一日かかりそうである。
「叔父上、私は先に手勢を率いて緒川城へ向かおうと思います。叔父上は後続を待ってから全軍を率いて後から来て頂きたい。よろしいか?」
松崎に着いて隊列を整えると信長は言った。尾張と三河が接する勢力的に不安定な緒川の地で、十年以上も織田側に味方している水野信元の元に、信長は一刻も早く駆けつけたかった。
「誠に結構なお考えと存ずる。後続のことはお任せくだされ」
信光は満足そうに頷くと信長を送り出した。信長が百名ほどの手勢を率いて緒川城に入ったのはその日の夕刻であった。
「御屋形様御自ら、真っ先にお駆けつけ頂き、これに勝る喜びはありません」
水野信元はまさに抱き付かんばかりに喜んで信長を迎えた。
「早速だが、敵勢の状況と我が方の策をお聞かせ願おう」
今川方の築いた村木砦は、急拵えでありながら中々強固な構えとのことであった。既に三百の兵が砦に入っているようである。一方で緒川城を守る水野の手勢は百名ほどであった。
「とりあえずは後続の到着を待って、こちらから打って出る方が良かろう」
一般に城攻めには城兵の三倍の兵力が必要とされている。信長が百名を率いて緒川城へ入ったことでこちらの勢力は約二百、今川勢がすぐに緒川城を囲むことは防げたと思われるが、油断は出来なかった。今川義元も続々と増援を送っている筈である。籠城戦となると今川との戦力差を覆すことが難しい。
柴田勝家らの後続が松崎に上陸したのは翌日の一月二十三日の朝であった。すぐに信光の指揮のもと、隊列を整えて知多半島を横断し夕刻に緒川城に到着した。
「これほどの軍勢でお越し頂き、かたじけなく存じます」
総勢七百ほどの軍勢を見て、水野信元は改めて信長に礼を言う。その目は感激で少し潤んでいるようだった。
「礼を申すのは今川を追い払ってからにいたせ。これで負ければ元も子もないぞ」
信長は自分の口から出た『負け』という言葉にハッとした。ここまでは緒川城を死守するべくガムシャラにやって来た。とにかくいかに早く駆けつけるかということに頭が一杯で、今の今までもし負けたらどうなるかなど考える余裕もなかったのだ。
しかし冷静になって考えてみると、ここで今川勢に敗れでもすれば、尾張国内は大混乱になるに違いない。今回率いてきた兵は信長にとっても信光にとっても主力、つまり織田弾正忠家の主戦力であるから、それが主城の那古野を遠く離れた緒川の地で総崩れとなれば、坂井大膳ら清須勢にとってはまさに大チャンスである。尾張国内の勢力図が大きく書き変わる恐れもある。しかも、そのような不安定な状況に留守居と称して、安藤守就という国外勢力まで引き込んでしまっているのだ。信長が敗れてしまえば、舅道三の気持ちがどう変わるかも分からない。林秀貞が信長の下知に従わず那古野に残った気持ちも分からないでもない。
「佐渡守(秀貞)の申すことも尤もだな」
信長は思わず独り言を呟いた。
「いかがなされましたか?」
水野信元が怪訝そうに信長の顔を覗き込む。
「いや、この戦、絶対に負けるわけにはいかんぞ!」
信長は信元に力強く言い渡したが、自分に言い聞かす気持ちの方が強かった。
「では、早速軍議といたしましょう」
早速に翌日の総攻撃に備えての評定となった。




