正月早々に
天文二十三年(1554年)
「新年早々面倒なことだ。今川の治部大輔も隠居して余程暇ができたと見える」
三河との国境を守る緒川城から、今川勢が尾張領内に侵入してきたとの知らせがもたらされた。
天文二十三年(1554年)一月、穏やかな晴天の中、那古野城では信長の親族や重臣たちを集めて新年の宴が開かれている。そこへ新年の挨拶に来ていた叔父の信光がため息まじりに言った。
知多半島の付け根、その名の通り三河との国境となっている境川の西岸にほど近い緒川城は、文明年間(1469年〜1487年)の時代から水野氏の居城である。ここ十年ほどは水野 信元が城主であるが、彼は尾張三河の国境にあって常に織田方の味方であり続けた重要な味方であった。
その境川の対岸、三河領の刈谷城に年末から集まっていた今川勢が越境し、緒川城の二十町(約2.2キロメートル)ほど北の村木という集落に、正月早々から砦を作っているというのである。
「これはすぐに手を打たねばなりませんな」
信光が信長の指示を促す。正月早々の変事に苦虫を噛み締めるような顔をしていた信長であったが、信光に促されて宴の席に集まった者たちを見まわした。
「稲葉山の舅殿(斎藤道三)に繋ぎをつけよ。すぐに安藤殿の援軍を使わすように。叔父上は一旦守山に戻られて出陣の準備をお願いしたします」
「おう、心得た。では早速に」
信長の矢継ぎ早の指示に、信光は満足そうな笑みを受けべて急足で守山城へ戻って行った。
「斎藤山城守殿をそこまで信用してよろしいのですか?蝮と噂される御仁ですぞ」
信光を見送った後、口を開いたのは佐久間信盛であった。毎度のことだが信盛の言葉は慎重ある。しかし、急いで何か行動を起こさなければならない時には、消極的に過ぎるしその場にいる者たちの士気を下げる雰囲気にもなりがちである。
「では出羽介、他に良き手立てがあれば申せ」
広間にいる者たちが口には出さないが、またか?という雰囲気になっているのを感じて、信長の返事はついキツめになる。信盛は伏せ目がちに頭を下げるのみである。そのやり取りを見た筆頭家老の林秀貞は、やれやれといった様子で
「出羽介殿の申すことも尤もと存じますが」
と信盛の肩を持つ。出陣前に重臣たちと揉めても、何の得もないことは信長もわかっているのだが、つい二十歳そこそこの若さが顔を出し、さらに不機嫌そうな口調になる。
「留守居が不穏な動きをすれば、兵を戻せば良かろう。舅殿の援軍はあくまで清須に対する牽制じゃ。那古野を空にするわけでもない」
「しかし、斎藤が今川と手を組んで、殿を村木に釘付けにし、その機に乗じて那古野を奪う、という手筈とて考えられなくはありません。先日の会見では殿はあまりに正直に我が方の内情をお話になられたゆえ」
秀貞は不服な態度を隠しもせずに信長に反論した。その目の奥には、いかにも信長を信頼していないという暗い光を湛えているが、若い信長にとってはその目つきすら不快で我慢がならなかった。
「お主も舅殿との会見の席にはおったであろう」
秀貞に向かって大きな声で制すると、
「お主らのように何でもかんでも悪い方悪い方に考えておったら何もできんわ!それこそ今川に良いようにやられるだけではないか!良いわ。もし村木で儂の身に何かあるようなら、その時は信勝を盛り立てよ!」
信長は吐き捨てると秀貞に背を向けた。その背中を見つめる秀貞の表情が変わったことに信長は気付かない。
「舅殿に援軍をお願いするよう繋ぎをつけよ」
信長は改めて近習の岩室長門守に申し付けた。
一月二十日、美濃から安藤 守就が那古野に千人ほどの兵を率いて参陣した。信長は那古野城の程近く、志賀と田幡という二つの集落に安藤勢の陣を設営させた。
「早速の着陣、心強いことです。兵糧などはこちらで用意しております。必要なものがあれば、留守居のの者に何なりと申し付けくだされ」
信長は早速安藤守就の陣を訪れて丁重に挨拶した。
「それは恐縮に存じます。我らも留守居の間の兵糧などは持参しておりますれば、ご心配には及びません。そもそも、費用はこちら持ちと御屋形様(道三)から聞いております」
守就は会見での取り決めを持ち出して遠慮したが、信長に気を遣われてもちろん悪い気はしない。
「いやいや、遠路御出馬して頂いた上に只働きさせたとあっては、この上総介、世間に面目が立ちません。何より舅殿にも会わせる顔が御座らん」
信長の笑顔に守就も
「では遠慮なく」
と受けざるを得ない。
安藤守就に那古野の留守を託した信長は翌二十一日早朝、緒川に向けて出陣の準備を始めた。そこへ、
「林佐渡守(秀貞)殿、美作守殿御兄弟、那古野の留守居を仕りたい、との申し出に御座りまする」
岩室長門守が慌てた様子で駆け寄って報告した。敵襲という一大事に、率先して信長を盛り立てなければならない立場の筆頭家老が、なぜこうも自分の指示を蔑ろにして楯突くのか?信長はそこらじゅうに怒りをぶちまけたい気分を抑えて、仏頂面で黙り込んだ。
「いかがなさりますか?」
柴田勝家が信長の顔を覗き込んだ。海津での清須勢との戦の時もそうであったが、この戦慣れした男もどこか信長を軽く見ている節がある。
「で、林兄弟はどこにおる?」
勝家の問いには答えず、信長は長門守に聞く。
「荒子(現在の名古屋市中川区)の前田殿の城に兵を入れたようで」
荒子城を守る前田与十郎(種定)は秀貞の与力である。
「ここから二里(約8キロメートル)近くもあるではないか。何の留守居やら。それならそれで構わん。今は水野を救うのが大事だ」
信長は、こういうことだから舅殿に下げたくもない頭を下げねばならなくなるではないか、と思いながらもその不満を振り払うように出陣した。
那古野から緒川城へは直線距離で南に八里余り(約25キロメートル)であるが、その中間には今川勢の手に陥ちた鳴海城、大高城がある。特に熱田から南の道は、現在は伊勢湾の埋め立てが進んで内陸にあるが、当時はほぼ伊勢湾に面している。鳴海城と大高城を内陸に迂回しようとすれば、今度は沓掛城が邪魔になるのだった。
信長と信光はその日は一旦熱田に軍勢を集め、翌二十二日に熱田から船で知多半島の西岸、古くからの塩田がある現在の東海市松崎付近に上陸し、そこから緒川城へ向かうする手筈にしてある。信長が到着してからしばらくして、信光がその手勢を従えて熱田に入った。
「風が出てきましたな」
信光は信長の陣に顔を出した。この叔父の言動はいつも簡潔である。訳知り顔で理屈っぽい慎重論ばかり言う重臣たちに辟易していた信長にとって、この叔父の存在はありがたかった。
冬から春にむかうこの時期(この年の旧暦一月末は、現代の三月初旬)、天気が良ければ伊勢湾には北西の風が強く吹くのが常である。熱田を出て松崎まで約三里(一二キロメートル)ほどの距離を、海上を南下するには好都合である。
信長は強い風が胸のモヤモヤも吹き飛ばしてくれれば良いと思いながら、叔父に笑顔を向けた。
「佐渡守(林秀貞)は留守居ですか?」
信光は信長が秀貞を従えていないのを見て言った。
「私の下知には従いたくないらしいです」
信長は叔父の目を見ずに答える。その横顔には悔しさが滲んでいるようだ。
「佐渡は言われたことはキチンとこなす男ですが」
信光の声に信長は顔を向けた。
「自分が認めた相手の言うことしか聞きません。まぁ、誰でもそういった傾向はありますが、佐渡守は特にそうですな。ある意味、律儀者であるともいえます」
「つまり、私は奴に認められておらんと言うことですな。佐渡守だけではないな。重臣どもは私よりも弟(信勝)の方がお気に入りですから」
信長は自嘲気味に呟いて目を伏せる。完全に意気消沈しているように見える。
「ワハハハ!」
突然信光は大声で笑った。ハッとして信長は顔を上げる。
「そりゃぁ、信勝殿はお利口さんですからな!ジジィどもにとっては扱いやすいでしょう。しかし、物分かりの良いお利口さんが、今川の隠居(義元)や美濃の蝮を向こうにまわして渡り合っていけるとは思えませんな。だから、儂は『うつけ』と言われた三郎様にお味方申し上げておる。決して兄上(信秀)への義理だけではありませんぞ!」
信長は叔父の顔を眩しそうに見つめると、無言で頷いた。




