舅は斎藤道三
「織田上総介にござりまする。舅殿におかれましてはご機嫌麗しく。この度はお招き頂き、また遠路ご足労頂き、恐悦至極に存じます」
初対面である舅の道三に対して信長は恭しく挨拶する。
「おう、上総介殿、帰蝶は息災か?」
道三は畏まった信長とは対照的に、敢えてざっくばらんな調子で声をかける。流石に一代で美濃一国をその手中に納めた傑物である。その態度は堂々たるもので、先ほど街道の影から盗み見した『大うつけ』が、見事な御曹司ぶりとなった事に驚いているとはおくびにも出さない。
そしてその鷹揚な態度で若輩の信長の上に立ち、あわよくばこの会談の中で自分に対する畏怖の念を植え付けようというのが、老獪な道三の魂胆である。
「は。わたくしめには過ぎたる嫁を頂けたと、日々有難く思っております」
信長は道三のざっくばらんさに合わせるようにさらりと答えた上で、特にお世辞を言っているわけではありません、とでもいうようにニコリと笑った。
相手に媚を売るでもなく、反発するでもなく、飾りのないその落ち着いた態度が、道三以下の美濃勢にとっては意外でもあり、多少面白くないところでもあった。
「ときに舅殿。此度のように尾張の領国に入られる折には、事前にわたくしめにご一報頂きたく存じます。土地の国衆たちが不安がらぬよう、あらかじめわたくしから周知いたします故」
「ほう」
信長の申し出に道三は驚いたようにわざとらしく目を見開いた。先ほどの笑顔の残像を残したままに道三を見つめる信長の視線と、信長の真意を図ろうとする道三の鋭い視線が暫し交錯した。
普通に考えれば、この時代隣国との争いの原因の大部分は国境問題であるから、信長の申し出は至極当然とも言える。しかし、曲がりなりにも美濃一国を支配して十年以上になる道三に対して、未だ尾張国内を掌握できていない二十歳そこそこの若者がする申し出となると話は別である。(やはりこの若者は少し知恵、というか配慮が足りないようだ)というのが二人を取り巻く美濃尾張両国の重臣たちの受けた印象であった。
美濃の重臣たちは伏せ目がちに口元に苦笑を浮かべ、その反対に尾張の重臣たちは明らかに会談の先行きに不安を覚えて頬を強張らせている。その雰囲気を察知した道三が、その顔に満面の笑みを浮かべて口を開く。
「なるほど、婿殿の申すことはもっともだ。流石は我が婿殿」
一旦そう言ってから道三は少し前のめりになって顔を近づける。
「しかしまぁ、我らも既に親族。ということは国境などあってなきようなもの。そう堅いことを申すでないと言いたいところだな」
道三は信長の申し出は認めつつも、自分の行動を改めるつもりはないことを表明している。それどころか、聞きようによっては尾張も自分のものというような口振りであった。その言葉を聞いて尾張の重臣たちに緊張が走った。中には既に顔を赤らめて道三を鋭く見つめる者もあった。その空気に美濃の重臣たちもすかさず反応する。すると今度はその不穏な雰囲気を察して信長が笑みを浮かべた。
「なるほど確かに。実はご存知のように我が尾張は、先年来三河の今川からの不穏な動きにさらされておりまして。舅殿にそのように仰って頂ければ、安心して今川に対処できまする」
道三の尾張に対する野心には全く気づいていないように、あっけらかんとした調子である。
この言葉で美濃の重臣からは緊張した空気が消え、逆に尾張の重臣たちの不安な視線は信長に集中した。尾張の現在の状況では、美濃と事を構えることに何のメリットもないのであるから、信長も余計な波風を立てるつもりはない。ただし、この会見で舅と婿との関係を利用されて、あたかも道三に臣下の礼を取ったかのような形になるのも避けねばならない。そういう意味では信長の発言は不用意すぎる。尾張の重臣たちの不安はそこである。
しかし信長は、道三に勝手に尾張に出入りするなと言っても聞くはずがないことは百も承知だから、そこにあまり拘っても意味がないと思っている。むしろ、自分が道三に必要以上に警戒されることで、道三の関心が尾張上四郡、つまり織田伊勢守家中を調略して信安を抱き込むような方向に向かうことを警戒しなければならない。
「つきましては」
信長は自分に向けられた家臣たちの視線を無視して続ける。
「何だ?」
「今川からのさらなる侵攻があった場合には、わたくし自らが兵を率いて打ち破る所存でありますが、その場合は城を留守にせねばなりません。昨年来、清須の守護代が不穏な動きをしているのはご存知でしょう。ですから今川が動いた場合には、舅殿の兵を後詰めや留守居としてお貸し願えませぬか?」
信長からの新たな申し出に、今度は逆に美濃の重臣たちが顔を見合わせる。つい先年まで敵対していた相手の兵を自国に引き込むとは、この若者はやはり『大うつけ』ではないか。しかし、労せず他国に兵を進めるのは、美濃にとって悪い話ではないようにも思える。
「それはなかなかに費えもかかる話でありますから、一度預からせて頂きたく存じます」
道三のすぐ脇に控える重臣の長井道利が口を挟んだ。一定の期間兵を他国に駐留させるとなれば、その費用や兵糧も馬鹿にならない。話の流れからすると、信長が道三の行動にこれ以上とやかく言わないという態度を示している以上、信長の上の立場に立とうとしている道三が、「では費用は婿殿の負担で」とは言いずらい。それを察した長井の発言である。
一方で尾張にとっては留守居の戦力がただで確保できるのだから、他国の兵を城内に入れるという不用心さを除けば、費用的には美味しい話ではある。これはどちらかと言えば、かなり尾張に有利な軍事同盟の要求である。
もちろん留守居に入った美濃勢が尾張でおかしな動きをしないというのが前提ではあるのだが、留守居程度の兵力では城を一時的に占拠することは出来ても、恒久的に領土を奪うことは出来ない。美濃の重臣たちは互いに目を見合わせ、中には小声で話し出す者もいる。対照的に今度は自分たちの有利さに気づいた、尾張の重臣たちの興味津々たる目線が道三に向けられた。当然その雰囲気を感じ取らない道三ではない。
「伊賀守」
道三が声をかけたのは安藤 守就である。
「は!」
「婿殿の話は聞いておったな?お主、その場合は手勢を率いて寄騎せよ」
「承知仕りました」
安藤守就は信長の方へ向き直ると
「安藤伊賀守守就にござりまする。以後お見知り置きを」
と挨拶して平伏した。
「こちらこそ。よろしくお願い申し上げます」
信長も礼をもって答えた。
「婿殿、費えのことは心配いらんぞ」
道三は念を押すように付け足した。大胆な申し入れをしてきた婿に対して、ケチくさい態度は見せられない、そう言うように信長に不敵な笑みを向ける。尾張の重臣たちは呆気に取られた顔で、信長と道三の顔を見比べている。
この会談以降、尾張の領民たちの間では「信長が美濃の蝮を出し抜いた」というような噂話が、身分の上下を問わず面白おかしく語られた。そして噂話の中には「やはり我らの若殿は『大うつけ』ではなかった」と、このエピソードを好意的に捉える声が多かった。
信長はその時初めて、領主たるものは普段からその家臣や領民の期待に応えた振る舞いをせねばならない、ということを実感したように思った。そして父信秀がその身分上の不利を乗り越えて尾張一国を支配するようになった、その秘訣の一端を知り得たような気がしていた。
「帰蝶!『大うつけ』はもう卒業だ」
道三との会見を終えた数日後、那古野城の居室の縁側に腰をかけた信長は、庭を眺めながら部屋の奥にいる帰蝶に声をかけた。
「それは結構ですこと」
帰蝶は、そうは言いながらいつも通りの派手な花柄の小袖をまとい、茶筅髷を結い上げた信長の背中を見てクスッと笑った。




