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凡人信長記  作者: 梵天丸


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戦さはつらいよ

「敵は庄内川を渡って軍勢を二手に分けるように見えますな」

 信長と信光の軍勢を監視するために、事前に清須城から放っていた物見からの報告である。

「それでは敵勢は五百ほど。こちらから討って出て蹴散らしてやろうとと存じますがいかが?」

 進言したのは坂井大膳の同族である坂井甚介である。

「ではお主、早速に出陣せよ」

 一応守護代との立場上、彦五郎信友が甚介に命じたが、その視線は常に横目に大膳の表情をうかがっている。

「河尻(与一)と共に八百ばかり率いて出よ。(織田)三位さんみ殿(信長の父信秀と同じく大和守に仕える三奉行の一人)と儂らは留守居するでな」

大膳が命じた。坂井大膳、戦場は苦手である。


 清須城を出た坂井甚介率いる兵八百は、三十町(約3キロメートル)ほど南下して萱津かやつ(現在の愛知県あま市上萱津)に陣を敷いた。それに呼応するかのように萱津の西側に回り込んだ信長・信光勢は一旦そこで東向きに陣形を整えると、清須勢に襲い掛かった。

 今回はまず、信長自慢の長槍隊約百が先頭である。通常の槍よりも遥かに長い槍を携えて、揃いの銅丸と陣笠を被った部隊である。時刻は辰の刻(午前八時ごろ)、槍衾やりぶすまというよりはむしろ竹林とでも言うべき見上げるような高さに、槍の穂先が陽光を受けて煌めいている。この長槍隊は信長直属の部隊であるが、この時代でこのように一つの兵種で部隊を編成するのは珍しいことである。

 なぜならこの頃の軍勢というものは、後世のように兵種ごとに部隊を編成するという習慣があまり無かったからだ。習慣というより発想そのものが無かったと言っても良いだろう。

 

 当時の武士たちは領主や主君からの陣触れの号令がかかると、それぞれに自分で用意した甲冑に身を包み、愛馬に跨って駆けるというのが基本である。そしてその出陣に際して、さらに自分の同族や配下を、槍や弓などで武装させいわゆる足軽として引き連れてくる。

 だから実際の合戦においてはこの騎馬武者とその配下の足軽たち、多くの場合は一族郎党の一団が、一つの先頭単位、小隊として働くというのが鎌倉武士の時代からの伝統であった。だから、それぞれの部隊、戦闘集団に騎馬武者を中心として、槍や弓、そしてこの時代に普及し出した鉄砲を持った各兵種が混在しているのが常であった。

 さらに豪族や国衆と言われる土地の有力者などは、一つの家で兄弟や親類など、複数の騎馬武者と数十人単位の足軽を引き連れて参戦し、家の棟梁がその大きな集団を指揮するのだ。だから、主君の陣触れに呼応した数百人、時には千人を超える軍勢と言っても、主君の采配で全体が有機的に動くような作戦は難しく、有力者たちがそれぞれの持ち場を決めて、俺は右からお前は左からという形で攻めるのが当たり前であった。このような戦い方であるが故に、腕に自身のあるものは我先に敵に攻めかかって、時には抜け駆けのように目立つ手柄をあげることも出来たのである。


 このような事情で、清須から出陣した坂井甚介らの軍勢も、騎馬武者と弓足軽や槍足軽たちが混在する雑多な集団として陣を敷いた。そこへ百名ばかりとはいえ揃いの長槍ばかりの集団が先頭に配置された信長の軍勢を見て、清須勢は一瞬呆気に取られていた。

 しかし暫くすると、意を結したように五十騎ばかりの騎馬武者が中心となって、長槍部隊を蹴散らすべく突進してきた。当然のようにその後ろから従者たちが槍を持ってついてくる。

 騎馬武者たちを十分に引きつけたところで、

「それ!今だ!」

 槍隊の直ぐ後ろで自ら指揮する信長が叫ぶと、槍隊の最前列がその場に停止した。すかさず槍を横並びにして石突を地面に突き立てると、三間余り(約6メートル)の槍を長々と前方に向けて斜めに立てかけた。

「止まれ!」

 目の前に突然剣山のように現れた槍の列に、坂井甚介は指示を出すが、先頭の数騎は勢い余って槍の穂先の餌食となった。残りの騎馬武者は体勢を整えるべく反転する。すかさず今度は槍足軽たちが前進してきた。

「引きつけよ!」

 それを見た信長は今度は立てかけた槍をもう一度直立させると、清須勢の槍足軽たちが近づくのを待つ。


 清須勢の槍は通常の一間(約1.8メートル)から一間半のものであり、敵を突くのが目的である。一方、信長の用意した長槍は、敵が突く間合いに入る前に上から打ち下ろして敵を叩くのが目的であった。

 槍で相手を突くと口で言うのは簡単だが、相手が似たような間合いの武器を持っている場合に、先手を取って敵を突くというのは簡単なことではない。仮に上手く突けたとしても、次の攻撃に移るには、相手の体に食い込んだ穂先を引き抜いて構え直さねばならない。

 急所を突けずに逆に槍の柄を敵に掴まれたりしたら、そこからはもう混戦で訳がわからなくなり、結局個々人の体力と腕力の勝負になるのだ。そもそも普段槍の稽古として、敵に見立てた藁人形を突いたりしていても、実際に生身の人間を突く、突いて殺すとなると全く話が違う。相手に突かれるかもしれない、という恐怖心だけの問題ではなく、相手を殺すつもりで傷つけるという行動自体が、精神的に大きな負担となる。

 そしてこればっかりは、百姓の生まれだろうが、侍の生まれだろうが関係ない。人を殴ったり、場合によっては命を奪ったりという行為に抵抗感が少ない、だから稽古や修練によってその抵抗感を乗り越えられる人間もいるし、どうしても出来ない人間もいる。そして厄介なことに、自分がどちらのタイプなのかは、実際に敵に対峙するまでわからないものである。ただ一般的に言えることは、多くの人間は後者、つまり稽古や修練で抵抗感を克服できないタイプである。どんなに殺伐として時代でも、嬉々として人を殺めて、その手柄を誇ることに何の呵責も感じない人間は希少なのだ。


 そう言う事情だから古来日本の戦さでは、双方が多くの軍勢を従えて対峙しても、人殺しの抵抗感を乗り越える修練を積んだ侍大将、もしくは軍勢の代表者が互いに名乗りをあげて、その一騎打ちによって勝敗を決して来た。大人数同士でわちゃわちゃと混戦を続けても、双方怪我人が増えるばかりだから、そのほうが双方にとって合理的なのだ。小説やドラマ漫画で、モブとして描かれている名もなき雑兵たちも、それぞれに家族を持つ人間であり命は惜しいのだ。また、一度の戦いで傷ついた者がすぐに次の戦いに参加できるわけではない、むしろ怪我をきっかけに二度と戦さでは働けない身体になる可能性の方が高いのだ。

 しかし戦国時代においては、今まさにこの萱津で行われているような内輪揉めや、国境での他国との小競り合いなどが頻発するようになった。それらの戦闘は一度で敵を屈服させて自分の支配下に置く、そしてその後はある程度の期間は平和が実現できるというような戦いではなく、小さな戦闘がまた次のいざこざの原因となるような戦いである。自然と小さな戦闘が何度も起こる。その度に領主やその親族が一騎討ちを行なっていたのでは、命がいくつあっても足りない。となると、槍隊などの雑兵同士の衝突で優位に立ち、自分達の損害を出来るだけ少なくする工夫が必要になるのだ。



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