僕の叔父さん
「清須の酒井 大膳らが、深田城、松葉城を攻め落とし、我らに敵対する構えに御座います」
那古野城の信長の元へ、小姓頭の丹羽長秀が駆け込んできたのは、赤塚の戦いから四ヶ月経った八月十五日のことであった。深田城は信長の叔父である織田孫十郎信次の居城、そして松葉城も親族の織田伊賀守の居城であり、言うなれば弾正忠家の縄張りである。その縄張りに清須勢が無断で踏み込んできた上に、城主の二人はともに囚われの身となっているとのことであった。
清須城は尾張の守護斯波 義統の居城で尾張国の主城であるが、城主は守護代の織田大和守家が代々務めている。しかし既に述べたように、守護の斯波氏は実質的な権力を失い、言わばお飾りという状況であった。さらに守護代である大和守家当主の織田彦五郎信友も同様に権威だけの存在となっており、実際の権力は清須城の家宰である酒井大膳が握っていた。
ちなみに家宰とは家老や宿老のように領国支配や外交を手助けする立場ではなく、武家の中でその家政を担当する立場である。重責には違いないが、重臣の中では一段低く見られている。しかし、家政を担当する立場から家中の細々とした情報に精通するから、本人の才覚や心掛け次第では主人たる守護や守護代を思うままに操ることも可能であった。
実際に酒井大膳もその如才の無さを周りから認められていたが、信秀の存命中はその財力や政治力の差を弁えて大人しくしていたというのが実態である。それが信長への代替わり後にすぐに生じた山口親子の寝返りを見て、信長の力量を侮り弾正忠家に代わって尾張国の支配に乗り出そうという野心を露わにしたのであった。そもそも尾張の国主は守護の斯波義統であり、清須城こそが尾張国の中心である。
「父上が亡くなったのを良いことに、我らの縄張りを奪い取ろうと言うことか、、、」
信長は長秀からの報告を受けると、悔しげに唇を噛んだ。
繰り返しになるが、信長が引き継いだ家督はあくまで弾正忠家という守護代大和守家の家老としてのものである。あくまで信長の立場は大和守信友の家臣であり、弾正忠家の家督は尾張国の支配権を保障するものでも何でもない。彼の父信秀を尾張国の支配者たらしめていたのは信秀本人の資質と財力、一言で言えば本人の実力そのものである。
そして信秀の跡を「嫡男である」という立場だけで引き継いだ『大うつけ』に、その「実力」があるのか、尾張国内の多くの者が疑いの目を向けるのは当然の流れであった。そしてこの時代、権力の継承者にその実力がないなら、誰かがそれに取って代わろうとするのも当たり前であった。
尾張国内だけでない、今川義元が山口教継を唆して介入してきたように、尾張に国境を接する隣国も信秀の死に乗じて、自分たちの勢力を拡大しようという魂胆を隠そうともしていない。そのような苦境の中で信長は直属の重臣に頼ることも出来ずにいた。
重臣たちが那古野城ではなく、弟である信勝のいる末盛城で評定を行っていたように、彼らはあくまで父信秀の家臣たちであった。彼らが信長に実力がないと判断すれば、信長自身が守護の斯波義統のような『お飾り』にされる恐れさえある。信長としては、重臣たちが自分の実力を認めるまでは到底弱みは見せられない、という気持ちにならざるを得ないから、迂闊に重臣たちの助力に頼ることは出来なかった。とりあえずは何事も自分の一存で進めた上で重臣たちが納得するような成果を出していくしかない、というのがこの頃の信長の心境であった。
そもそも父信秀はこのような状況になった場合、つまり自分の不慮の事態に備えて、自分の跡を継ぐ信長を補佐するために、弾正忠家の一の宿老である林佐渡守秀貞を信長の家老に、そして二の宿老の平手政秀を傅役としてつけくれたわけである。
しかし、林秀貞は山口教継の寝返り以来、弟信勝の居城である末盛城に何かというと詰めている状態で、佐久間盛重、信盛や柴田勝家との主導権争いに忙しいようだ。そして、平手政秀はと言えば最近は那古野に登城もせず、自ら屋敷に籠ってしまっている。信長と政秀の嫡男である五郎右衛門との間が、馬の件で険悪となったことは既に述べたが、実はその後しばらくして、五郎右衛門が武者修行と称して織田家中から出奔してしまった。政秀本人はそのことを恥じて、自ら蟄居しているつもりらしいが、いずれにしても信長に忠節を尽くす気持ちが薄れていることは間違いがなく、そのことも少なからず信長の心を傷つけていた。
「おい、上総介殿!調子はどうだ?」
信長が清須への対応をどうするべきかと、床几にもたれて考え込んでいるところに、快活な声が聞こえた。そして活力に満ちた大股な足音が廊下を近づいてくる。ちなみに信長は家督相続を機に『上総介』を自称している。
「辛気臭い顔をしておるの」
髭面の屈強な武者が障子戸の向こうから顔を覗かせた。父信秀の弟で守山城守の織田孫三郎 信光である。信光は永正十三年(1516年)の生まれでこの時三十六歳、一見荒武者風のむさ苦しい見た目であるが、美形揃いと言われた織田家の血統の例に漏れず、よく通った鼻筋と涼しげな目元が魅力的である。
「あ、叔父上!」
突然現れた叔父に信長が呆気に取られていることは気にもせず、信光は信長の正面にどっかと腰を下ろした。
「大膳の野郎、家宰の分際で。まぁ、彦五郎(守護代信友)殿も承知の上であろうが」
信光は、酒井大膳が守護代である織田信友の暗黙の了解を得た上で、弾正忠の縄張りである深田城と松葉城を乗っ取ったことを見抜いている。それはもちろん信長も同じ意見である。
「斯波様は?」
信長は守護である斯波義統の立場について叔父の意見を求めた。
「おそらく蚊帳の外であろうな」
信光は父信秀の片腕となって尾張の領国経営に従事してきただけあって、家中の主だった者達の関係やその思惑について精通している。
「流石叔父上、頼りになります」
信長は数少ない心強い味方である叔父信光の登場で、先ほどまでの沈んだ気持ちが晴れていく想いであった。
「お世辞が言えるとは、うつけ殿もだいぶ大人になられたな」
信光が茶目っ気たっぷりに笑う。信長もつられて笑う。
「先だっての赤塚での戦さの首尾はどう考えておられる?」
信光は真顔に戻って問いかけた。
「戦さとは思うに任せないものですな」
信長は率直な感想を述べた。身内の気安さもあるが、この叔父にはなぜか人を素直にさせる力がある。
「それが分かれば上々。相手も必死じゃからの。しかし、時期を逸せずに山口と一戦交えた判断は流石兄者の嫡男じゃ。お陰で織田か?今川か?と浮き足立っている連中も大人しくなったわ」
赤塚の戦いは勝敗も決せずであったが、信長がいち早く軍勢を出したことで、周りの動静を窺っていた者たちの不穏な動きは収まっていた。当時の家臣たちは皆大きさの違いはあれそれぞれに所領を持っている。そしてその所領からの収入で兵を養っているから、損得勘定には敏感であった。雰囲気に流されて軽挙妄動に駆られては大きな損害を被ることもある。周りが大人しくなったことは、狙い通りであるが信長の気持ちは晴れなかった。
「しかし、足軽も含めて三十二名も討ち死に致しました。負傷者も六十人以上居りまする」
約八百名で出陣して約百名が戦闘不能であるから、損耗率は一割を超える。数字から見てもとても勝ち戦とは呼べなかった。この結果が、信長に次の戦に踏み切る決断を躊躇させていることは間違いない。
「左様か。それは気の毒であったの」
信光は気落ちしている信長の顔から目線を逸らすと、ふうっと息を吐いた。
「しかしながら。早速に動いた方がよろしいかと存じますぞ!上総介殿!出来の悪い弟ではありますが、孫十郎のことも気に掛かります」
信光は急に膝を正すと、信長に対して言葉を改め、臣下としての態度をもって提案する。そしてニヤリと笑った。
「私めも守山から手勢を率いて駆けつけますゆえ。松葉、深田の両城は一刻も早く取り返すべきですぞ。売られた喧嘩を買えぬようではこれからも侮られます」
信光は続けて力を込めて進言した。信長は叔父の勢いに押されながらも、しっかりと叔父の目を見据えて答える。
「では、早速に支度をいたします」
信長はあくまで叔父に対する敬意を保ったままである。




