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凡人信長記  作者: 梵天丸


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赤塚の戦い

「かかれ!」

 信長の甲高い掛け声を合図に、赤塚の地で両軍が衝突したのは、陽も十分に昇った巳の刻(午前十時前後)であった。


 まず双方から戦闘の開始を告げる鏑矢かぶらやが射掛けられ、とんびの鳴き声のような笛の音が長く尾を引いて響き渡った。山口勢は鳴海城から出陣した勢いで、片や信長勢は三の山から駆け降りた勢いのまま衝突したため、両軍はいきなり入り乱れての混戦となった。

 信長勢の先頭を切って、真っ先に敵方へ切り込んだのは、親衛隊の中でも特に剛の者と知られた荒川与十郎であった。長さ一間(約180センチメートル)、身幅五寸(約15センチメートル)という稀に見る大刀を雄々しく振り回した、との言い伝えもあるが、実際のところは四尺(約120センチメートル)程だろう。それでも十分に他を圧倒するに十分な業物わざものである。

 しかし与十郎、気負いが過ぎたと見えて、その自慢の大刀に物を言わす間もなく、いきなり山口勢の放った矢で眉間を深々と射抜かれてしまった。物も言わず落馬する与十郎、そこへ兜首を得ようと多くの敵が襲い掛かかり、与十郎の脛を掴んで自陣へ引っ張っていこうとする。

 そのあっけない様子に、信長は一瞬気を取られて見つめていたが、はっと我に返った。

「それ!与十郎を敵に渡すな!」

 それを聞いた信長勢は与十郎の頭と胴体を掴んで引き戻し何とか奪い返したが、与十郎は既に絶命していた。これまで共に充分に鍛えてきたと思っている小姓たち、その中でも特に勇猛であった与十郎があっさりと落命した事態を見て、信長は戦さというものに対する自分の考えが甘かったのではないかと思わざるを得ない。

 なにしろ、信長が幼い頃から慣れ親しんできた、吾妻鏡や史記、三国志といった歴史書や英雄譚では、よく鍛えた兵の一撃はとにかく強力で、名もなき雑兵どもはあっさりと蹴散らされて当然という扱いであった。だから、今回の敵である山口 教吉のりよしと今川からの与力のような寄せ集めの軍勢は、まさに烏合の衆というべきで、それこそ鎧袖一触がいしゅういっしょくで、難なく打ち崩せるに違いないと思っていたのだが、、、


 繰り返しになるが、信長にとってこのような敵味方の生死に関わる戦さは初めての経験である。元服した翌年に今川との国境争いで初陣を果たしたが、その時は林、平手の両宿老に導かれ、国境付近の三河方の村々に放火して回っただけである。こういった村落や田畑への放火は、その被害にあう領民にとってはただの迷惑以外の何者でもないが、軍事的にもあくまで示威じい行為というもので、敵勢のいない守りの弱いところを狙って行われることが殆どである。

 つまり信長の初陣も、命の危険がない訓練の延長のようなものであった。そしてそれ以降は、父信秀の出陣に従う際にも最前線は経験していない。それでも信秀とは離れて那古野城を預かる身になってからは、政務に忙殺されない立場を良いことに、もともと好きであった弓馬の鍛錬に励んで来たことで、実戦に対する備えを十分にしてきたつもりであった。

 しかし、自らの鍛錬や配下の鍛錬のなかで想定していたのは、あくまで自分達の頭の中にある想像の戦場であったことを、信長は今日初めて知った。実際に自らが指揮する戦闘は、初手から「思い通りにいかない」という印象を信長に植え付けた。


 実戦経験もなく訓練だけで自信を植え付けられた小姓たちが、内心の不安を覆い隠すように遮二無二敵陣に突っ込んでしまったことも、いきなりの混戦に拍車をかけている。敵味方が入り乱れる接近戦となっては、せっかく用意した自慢の長槍隊は役に立たなかった。それでも、ほぼ二倍の人数を擁する山口と今川勢に対して、信長勢が一歩も引けを取らなかったのは、これまでの鍛錬が無駄ではなかったことの証明であったろう。

 そんなこんなで両軍ともに思うように軍勢の指揮が出来ない混戦のまま、うまの刻(正午ごろ)まで激しく打ち合った。しかし双方に死傷者が出てくると、互いに疲労も相まって攻撃の勢いも弛んできた。信長勢でも既に三十人ほどが討ち死にしている。それまで無我夢中で刀や槍を振り回していた興奮が、次第に疲れや怖れで冷めてくると、敵方として戦っている相手の中に、お互いに顔見知りがいることに気が付いてくる。元々気に入らない相手ならともかく、仮にそうであっても殺してやりたいほど憎んでいる相手でもない。

 内戦は凄惨な戦いになりやすいとは良く言われるが、それは集団の中で政治的に明確に方向性が違う勢力が、お互いに対する敵意を蓄積した上での戦闘での話か、軍事的な決着がついた後の報復や粛清の激しさによるものである。今回のように城主親子が敵方に寝返ったことで起こった戦さでは、配下の者たちが戦闘の意義やそこに自分の命を賭けることに心から納得がいってなくても致し方がないものだ。そして、双方のそんな気分を証明するかのように、いつしか潮が引く様に戦場から戦意が消えていき、自然と攻撃の手が止まった。


 たかだか三町(約330メートル)四方ほどの赤塚の地に、多くの死傷者が横たわっている様を見て、信長も教吉も敢えてそれ以上兵を叱咤しったして、攻撃を続けようとは思わなかった。そもそもこの戦闘には城や砦を勝ち取るような、明確な獲得目標があるわけではない。

 信長にとっては家督継承後の初陣として、家臣の寝返りは許さないという姿勢を世間に示すという目的は果たしたわけだし、一方の教吉にとっては、信長を見限って今川に寝返った以上、拠点である鳴海城に指一本触れさせなかたことは上々の結果であった。

 つまり双方にとっても、今がまさに兵を引くべき頃合いであった。先ほどまでの興奮と打って変わったような、冷静さと覚めた空気が漂っていた。互いに生捕りにした捕虜を交換しただけでなく、ご丁寧に自陣に紛れ込んだ敵の馬も捕まえた上で、相手に返した。笑顔で敵方と会話している者もいる。妙な空気だった。初陣は信長に戦さの展開は思い通りにならないだけでなく、その結果についても「一筋縄にはいかない」との印象を残した。


「無事のご帰還、祝着至極にございます」

 那古野城に戻った信長を真っ先に迎えたのは、弟の信勝とともに留守居を命じておいた林佐渡守(秀貞)である。しかし、当主である信長を真っ先に出迎えるべき立場である信勝の姿は見えない。

「勘十郎(信勝)はどうした?」

 信長は汗と埃にまみれた甲冑を脱ぐ間もなく尋ねた。

 この機に尾張国内の支配体制について弟と腹を割って話をする必要があると考えていた。そこで、自分の留守の間に那古野城を守るように指示したのであるが。

「大学殿(佐久間盛重)が申すところでは、御母堂(土田御前どたごぜん)の体調がすぐれないとのことで、末盛城を離れるわけにはいかぬと申されたそうで、、、」

 秀貞は信長とは目を合わさず、伏せ目がち答えた。

「ナニ?」

 信長は自分の声が思わず大きくなったことに気がついて、大きく息を吐いた。当主である自分が自ら出馬し、その留守を守るという重要な仕事を申し付けたことに対して、弟も重臣たちもそれを守ろうともしない。

「では、後日母上の見舞いに参らねばなるまい」

 信長は悔しさに歯噛みをする思いを堪えて答えると、足早に自分の居室へ向かった。


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