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凡人信長記  作者: 梵天丸


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2/16

小牧山城

 時は光秀が信長を討つ決心をした夜から十六年ほど前に遡る、、、


「しばらくこちらでお待ちくだされ」

 美しく稚児髷を結い上げた小姓に案内されて、光秀は小牧山城こまきやまじょう本丸御殿の控えの間に通された。新築の頃の木の香りがまだ仄かに残る御殿はなかなか立派な構えである。織田家の財力は噂通りに相当なものだと光秀は思った。

 信長が永禄六年(1563年)に尾張国の南に位置する清須きよす城からこの小牧山城へと本拠地を移してから既に三年が経っている。永禄九年(1566年)の初夏のこと、明智十兵衛光秀は室町幕府からの使命を持った幕臣として、信長の居城を訪れた。


 この小牧山城は信長と対立関係にある美濃の一色龍興いっしきたつおき(美濃の当主斎藤家は先代の義龍から一色を名乗っている)への対応のため、美濃との国ざかいに近い尾張北部の地に大急ぎで築かれたと言われている。その噂から光秀は小牧山城を、言うなれば前線基地の急拵えの砦のような物と想像していた。しかし実際に訪れてみると、本丸に至る大手門からの大手道や、本丸の周りに配された曲輪の造りも堂々たるものである。梅雨入り前の初夏の日差しが城内の新緑を明るく照らしているのも、この新しい城の雰囲気をより若々しく活気のあるものに見せていた。

 先ほど案内役に出た小姓の装束や城の曲輪の構え、さらには綺麗に磨き上げられた本丸御殿の床など、織田信長という男の美意識の高さを随所に感じることが出来る。その印象は光秀が斎藤道三のもとで出会った、十年前の若い頃のものと変わり無いように思われた。本丸の庭に向かって開け放たれた控えの間には時折思い出したように爽やかな五月の風が吹き込んでいる。その風に乗るように軽く大股な足取りが控えの間に向かって近づいてきた。


「久しぶりですな。十兵衛殿」

 昔と変わらず気取りのない言葉が背後から聞こえて、光秀は平伏した。十年の月日を感じさせない信長の態度に、光秀は少し戸惑っている。

「明智十兵衛光秀にござりまする。永くご無沙汰を致し、お恥ずかし・・・」

「どうされた?妙に畏まって。全く知らぬ仲でもないからこそのお役目であろう?」

 信長がニヤリと笑う気配を、平伏したままの光秀は背中で感じた。

「かれこれ十年ぶりかな?」

「左様で」

 平伏する光秀の横を大股で通り過ぎた信長は上座にどっかと腰を下ろした。

織田上総介おだかずさのすけ信長に御座る。遠路の使い御苦労であった。面を上げられよ」

 信長はとりあえず型通りに挨拶をすると、声色を柔らかくして続ける。

「さぁ、十兵衛殿、膝を崩されよ。公方様(室町将軍)の御使者がそれではおかしかろう」

「はっ」

 光秀は顔を上げると、まず信長が着ている小袖に目を奪われた。白地に大ぶりな花柄が赤味掛かった薄紫で散りばめられている。(女子の着物ではないか?いや、そんなはずは)驚きに目を丸くしながら、さらによく見てみると信長の毛脛がほぼ露わになるほど丈が短い。やはり明らかに女物の小袖である。光秀は頭の中に準備してきた挨拶の言上も忘れて呆気に取られた表情を信長に向けた。

「おう、これか?なかなかに目が高いな。良い柄であろう?城下の染物屋に試しに作らせたのだ。京から仕入れる物は華やかで柄も良いのだが、値が張るであろう?かといって今までの地場の物は地味で垢抜けないものでな」

 信長は両袖を掴んで柄を見せながら自慢げである。

「これなら京の物の半分の値で出来る。城下の女子どもも喜ぶであろう?」

「はぁ」

 この時織田上総介信長は三十二歳。日々の鍛錬で浅黒く日焼けした肌は十年前と同じだが、幼い頃には「女子のようだ」と噂された美貌には、一国の領主としての風格と逞しさが加わっている。それでいて型破りな服装で仲間たちと城下を練り歩き『大うつけ』と国内外から小馬鹿にされつつ、領民からは『うつけ殿』と親しみを込めて呼ばれていた頃の、気さくな雰囲気も色濃く残している。

 美意識が高く見栄っ張りなのは間違いないのだが、そこに堅苦しさを感じさるところはない。


「公方様の御上洛のことだろう?なんとかせねばならんなぁ」

 信長は光秀が自分を観察するような目で見ていることは気にも止めず、いきなり本題に入ってきた。信長の言う通り、今回光秀が訪れた理由は足利義秋あしかがよしあき(のちの義昭)を上洛させ、前年に三好三人衆によって弑虐しいぎゃくされた足利義輝に変わる次の征夷大将軍に擁立とすること、そしてその上洛の支援を信長に求めるためである。

「昨年こちらに来られた和田(惟政これまさ)殿から十兵衛殿の話は聞いておった。京の前には越前にもおられたようだの。とにかく会うのを楽しみにしておったところだわ」

「は、恐れ入ります」

「しかし、もう十年か。十兵衛殿も貫禄がついたな」

 信長は光秀の大きく広がった額をチラリと見てイタズラっぽく笑う。信長自身は多少癖のある豊かな黒髪を総髪に結い上げている。上洛の話ができるかと思ったところで、急に自分の禿頭をいじられて光秀は思わず目線を床に逸らした。

「帰蝶も十兵衛殿に会うのを楽しみにしておるでな、今宵は宴会じゃ。京や越前のように気取ったものは用意できんがな、ハハハ」

 かつての美濃の国主斎藤利政さいとうとしまさ(出家後に道三)の娘、帰蝶。懐かしい名前を出されて光秀はまた信長の顔を見上げる。話があちこちに飛ぶので、すっかり信長に会話のペースを持っていかれている。しかし、昔話に花を咲かせている暇はない。


「織田様におかれましては、、、」

 光秀が上洛の手筈について口を開くと、信長がそれを遮って話を始める。

「美濃の一色をなんとかせんことにはどうもならんわ。この城だってその為に造ったのだ。美濃を通らずに京へ行けるならともかく」

 光秀の様子を察知したのかどうかはわからないが、突然に話が本題に戻った。お陰で光秀はすんなりと用意してきた申し出を口にすることができる。

「織田様におかれましては、公方様御上洛のために一色殿と和議を結ばれるお気持ちはお有りでしょうか?」

「それが此度の十兵衛殿の土産話かの?」

 光秀の申し出が意外だったようで、信長は怪訝そうな顔である。

「十兵衛殿が美濃を離れざるを得なくなった、あの長良川の合戦。あれで舅殿(斎藤道三)が亡くなって以来かれこれ十年も、我らも美濃との間は上手くいっておらんのだ。そう簡単な話ではないぞ」

 かつて光秀は信長の舅である美濃の斉藤道三に仕えていた。明智家そのものは美濃の守護である土岐氏の傍流であるとされており、明智家自身もそれを自認してはいるが詳細は定かでない。しかし十兵衛光秀に至るまで数代にわたって美濃に土着しており、美濃の支配権を斎藤道三が手にして以降、道三に与力する形となっていた。そして十年前、道三が自身の嫡男である義龍よしたつに攻め滅ぼされた長良川の合戦でも、道三側に与したため美濃を追われたのである。


 光秀はそのことには全くこだわりがないかのように続ける。

「室町殿、つまり武家の頭領として織田様と一色殿の仲裁するというのが、公方様のお考えで」

 信長は光秀の申し出の内容を確認しつつ、質問を続けた。

「しかし、俺もさっきは公方様と言ったが、そもそも覚慶かくけい殿(先代義輝の弟で、当時の慣例に則り将軍家の跡目争いを避けるため、幼い頃に興福寺の一乗院に出家させられた)は、今は還俗されて足利義秋様と申したか?まだ正式に公方様、つまり征夷大将軍ではないではないか?公方様になるために御上洛するのであろう?順番があべこべではないか?」

 信長の口調には光秀を試す響きが含まれている。

「仰る通りではございますが、、、」

「まぁ、良いわ。その一色との和議、試してみても損はなかろう。我らにとっては損のない話であるし。しかし向こうにとってはどうだろうな。なにしろ連中にしてみれば、自分らの領国に黙って敵の軍勢を通さねばならんわけだ」

「左様で。では上総介様はどの様な条件ならば、一色殿がウンと言うと思われますか?」

「さあなぁ。それを考えるのが、おぬしら幕臣の仕事であろう?それと織田様はやめてくれ。他人行儀で首の辺りがこそばゆい」

 信長が光秀の目を覗き込んでニヤリと笑う。

「しかしまぁ、一言だけ俺から言えるとすれば、一色龍興は歳は若いが中々の曲者だわ。軍勢を動かすことに関しては腰が重いが、その分慎重だし。結構悪知恵も働くと専らの噂だ」


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