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凡人信長記  作者: 梵天丸


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13/15

決戦!桶狭間⑤ 羽黒首級《はぐろくび》

「今川 治部大輔じぶたいふ殿、討ち取ったり!」

 近習の若武者たちが斬り込んでいった先の混戦の中から、大きな声が上がってさらにそれに呼応した大きなどよめきと歓声が上がった。先ほどまでの通り雨で桶狭間山の頂へ向かう間道はかなりぬかるんで、周りの下草もびっしょりと濡れているので足元はかなり滑りやすくなっている。

 自らも馬から降りて若武者たちのすぐ後ろで槍を振るっていた信長は、前方で上がった声を聞いて一瞬我が耳を疑った。

「まことか?」

 思わず呟いたが、前方にいる織田方の賑わいとは対照的に、急速に戦意を失っていくように見える今川方の将兵の様子からするとどうも事実らしい。


重畳ちょうじょうであった!もう十分だ、深追いは無用!」

 信長は大音声で命じた。

 桶狭間山は山とは名ばかりの丘陵ではあるが、この先は登坂で灌木も密集してくるので集団での行動が難しくなる。勢いに乗じて義元の本陣まで攻め込んだが、これ以上戦線が間延びすれば統制が効かなくなり危険であった。

 丘陵を下って旧鎌倉街道まで戻ると、今川方の将兵が急ぎ足で街道を東に撤退していく。信長はそれらに追い討ちをかけることはせず、そこで自軍の兵たちを休め自らも床几に腰を下ろした。するとそこに義元を討ち取った若武者たちが興奮した面持ちで戻ってきた。彼らの全身は雨と泥、そして自らの汗と返り血でべっとりと汚れきっている。

「殿!やりましたぞ!」

 床几に座って待つ信長に気がついて、右手に持った泥だらけの首級しるしを掲げたのが毛利新助良勝である。そして新助の左肩にもたれて左脚を引き摺りながら、一見して業物わざものと分かるこしらえの佩刀を、大事そうに抱えているのは服部小平太一忠である。

「重畳!重畳!よくやったぞ、新助!小平太!」

 信長が嬉しそうに声をかける。この二人がまず信長の面前に控えて事の顛末を報告する。家中では幼少から武芸に優れ、小姓時代から信長の身近に使えてきた二人である。

「治部大輔殿に一番槍をつけたのは小平太に御座ります」

 と新助。

「しかし、さすがは治部大輔殿。すかさずこの太刀で槍の柄を切り落とすと同時に、私の膝もパックリやられ申した」

 小平太は口惜しげに話し、義元から取り上げた太刀を信長に捧げた。

「新助がすかさず治部大輔殿を組み伏せたので取り逃さず済みました」

 お互いの功績を嬉しそうに信長に報告する二人の姿に、認頼もしい思いを抱きながら、信長は新助が抱えてきた首級に目を移した。

「では、治部大輔義元殿の首級を拝見しようか」

 信長の顔から笑みが消え、厳粛な表情に変わっている。

「はは、」

 改めて、両手で義元の首級を掲げようとした新助であったが、その首を改めてまじまじと見つめると、京の公家風にお歯黒を打った義元の口元が力なく開いて、どす黒く変色した舌がだらりと覗いた。途端に新助の顔色が曇った。

「失礼を、、、」

 新助は急いで立ち上がると街道脇の茂みに隠れた。

「オロオロオロ」

 新助が吐く音が聞こえる。毛利新助良勝、槍を振るえば家中では上手と名高いが、実は血生臭いことが苦手であった。

「良い、良い、無理しなくて良いぞ、新助。しかし、おぬし、よくそんな調子で頸を掻き切ることができたな」

 信長は思わず笑いが込み上げる。

「その時は夢中でしたので」

 茂みの向こうから新助の弱々しい声が聞こえた。


 そうする間にも多くの者たちが、それぞれに首級を携えて信長の元へ戻ってくる。その一人ひとりに信長は労いの言葉をかけて迎えた。信長にとってはそれこそ思いがけない、これ以上は望むべくもない戦果であった。

 多勢に無勢で戦いを挑む以上は、信長が初めから義元本陣を狙っていた筈だとの分析は、この思いがけない戦果があったことを知っての、言うなれば後付けのものと言わざるを得ない。そしてその後の信長の果たした功績から、この時まだ尾張一国を統一すら出来ていない二十七歳の若者が、すでに天才的な軍略を発揮していたという定説が作られていったのだった。

 しかし、この頃に信長の動員できる戦力や、敵方の兵力や配置を正確に知ることのできない当時の状況、天候その他の不確定要素からすれば、尾張に侵攻してきた義元の進軍を出来る限り限り妨害し、上手くいけばその軍勢が国境まで後退するように仕向けるというのが、信長にとって現実的な目標であった。そして、その目標達成のために鳴海城、大高城への補給を封じる付け城を五つも築いたり、補給船への海賊行為などを、言い方はおかしいが地道に続けてきたことが、大国の国守である今川義元と直接に刀を交える機会を信長が得ることに繋がったのだと思われる。

 ただその一方で、この当時の信長の抱えた内情を知らない他国の人々からすれば、『海道一の弓取り』として天下にその名を知られた今川義元を、たった1日で華麗に打ち破った織田信長という若者は、とんでもない軍略と果断な決断力を持った傑物にであり、桶狭間山での戦闘も天才でなければ思いつかないような作戦が行われたに違いないとのイメージが広まって行くのも無理からぬことであった。


「やりましたな!」

「おめでとうございます」

 信長の元に集まってきた重臣たちも、さっきまで信長の突撃を止めようとしていたことはなかったかのように、口々に祝いの言葉を述べた。全員の顔が喜びに紅潮し、自分の主君である織田信長に改めて忠誠を誓う言葉を口にする。

 中には、この勢いで美濃の斉藤、近江の六角を倒してしまいましょうとか、さらには越後の上杉、甲斐の武田も我らの敵ではありません、などと大言壮語するものもいる。そのような賑わいの中で

「もう二度と、このような無謀ないくさはしないようにせねばな」

 信長は心底ホッとした様子で呟いた。人間には何か大事を成し遂げると、その過程で手にした幸運も含めて自分の実力と考え、さらに大きな事業に着手しようとするタイプと、全く逆に想定以上の成果を得た場合には、二度とこの様な幸運はないものとしてより慎重に次の事業に臨むタイプがある。信長の場合は明らかに後者のタイプであった。


「殿、あれに見えるのが大高城へ兵糧を運び込んで、丸根砦と鷲巣砦を陥した別働隊ですな」

 隣に控える岩室長門の声に促されて、街道の南側の雑木林のさらに向こう側、大高城へ通ずる間道の方を見ると、明らかに疲れた足取りの部隊がトボトボと三河方面へ行軍していく。総大将であり領主である今川義元の討死とあっては、作戦の継続は不可能である。

「ん?そうか。連中もやっと戻ってきたか。なかなかしぶとく働いたようだが、流石に疲れた様子だな」

 戦闘開始の時点ではまだ別動隊が戻ってきていないことは、信長は百も承知である。

「なんですと?」

「我ら、てっきり、先ほどの部隊を疲れた別動態だと思って攻めかけたのでは?」

「殿もそのように御下知されておりましたな?」

 二人のやりとりを聞いていた重臣たちが口々に疑問の声を上げる。

「おう、どうも違ったみたいだな。まぁ、時には思い違いも役に立つものだの」

「知っていらしたので?」

「う〜む、、、どちらでも良いではないか。終わり良ければ全て良しと言うではないか?尾張だけに、、、」

 つまらない冗談で切り抜けようとした信長であったが、誰も笑う者はいない。

「追い討ちをかけますか?連中、ボロボロですからそれこそ一捻りでしょう」

「放っておけば良い。勝手に出ていくだろう」

 信長も今になってどっと疲れを感じる。事前の打ち合わせもなく、突然の出陣となった家臣たちもそれは同じであろう。


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