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凡人信長記  作者: 梵天丸


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12/15

決戦!桶狭間④ いくつかの幸運

「吉法師様が動いたぞ!俺たちも出番だ!」

 今川勢が我が物顔で進んで行く旧鎌倉街道の北側、雑木林を隔てて通る間道に海産物問屋の長兵衛が率いる一団が潜んでいる。同じように街道の南側、一昨日今川勢の別働隊が大高城に向かった間道には酒問屋の甚八が率いる一団の姿があった。


 彼らの多くは清須城下でそれぞれに商いをする商家の息子や、近隣の村々の次男坊や三男坊である。信長は家督を継ぐ前の「大うつけ」時代に、配下を引き連れて城下を買い食いをしながら練り歩いたり、近隣の村々をぶらついたりしていた。そしてその折りには気が向けば、神社や寺の境内で相撲試合を行って褒美を出したりもした。そのようなこともあって、信長は家中の口うるさい家臣たちからは眉をひそめられていたが、城下の町人、近在の百姓からはとても人気があった。

 また、今回の武士以外の集団には、香具師の菊右衛門親分の手配による血の気の多い渡世人、さらにはこれを機に織田家への仕官の伝手つてをつかもうとする浪人者も紛れ込んでいた。そんなこんなでそれぞれの隊に約百名、総勢二百名ほどの言うなれば義勇兵部隊が出来上がっている。そしてそれぞれに用意した丸胴や籠手、脛当てなどの不揃いの具足をつけている割に、それぞれ片手には織田家の家紋である「織田木瓜おだもっこう」を染め抜いた、キチンと糊の効いたのぼりを持っている。だがもう一方の手に持っているのは法螺貝や拍子木、太鼓といった鳴り物で、それこそ渡世人や浪人などのヤクザ者は腰に刀や匕首を差しているが、多くは武器など持っていない丸腰であった。

「長兵衛どん、こいつも使えるんじゃねぇか?」

 浪人姿の小柄な男が、肩に鉄砲を担いだ十人ほどの仲間を引き連れてやって来た。

「おお、藤吉郎さん!さすがだね!種子島とは豪勢だ」

「まぁ、当たりゃあしねぇだろうが、デカイ音はするからおあつらえ向きだ」


 そうこうしているうちに、中島砦から法螺貝の音が鳴り響き、馬のいな泣く声や蹄が土を蹴る音が遠く聞こえてきた。街道の南北に分かれて潜んでいた義勇兵たちも今川勢の前衛部隊の真横辺りに隠れられるように、腰を屈めつつ間道を進んだ。

 後世に名高い桶狭間の合戦が行われたこの旧鎌倉街道は、のちに東海道となることから分かるように当時からの幹線道路である。しかし当時の道は現代のように舗装されているわけでもないから、平坦でもないし道幅も場所によってまちまちである。また大雨が降ればぬかるみ、風が吹けば砂が舞うといった具合である。

 合戦の舞台となった田楽狭間から中島砦の区間は比較的平坦な地形ではあるが、低地では街道の両側に水田があったり、雑木林に覆われた中に道祖神が祀られた丘が点在していたりで、とても大軍勢が横に大きく開いで布陣するような余裕はない。つまり大軍同士が雌雄を決する場所として向いているとは言い難いのだ。後世、信長が奇襲によって今川義元を破ったとする伝説が広がったのには、この合戦が行われた地勢にも要因があったのかもしれない。いずれにせよ、自然と今川の大軍勢も縦に長い隊列となるし、二千弱という今川方から大きく劣る軍勢で襲い掛かろうとしている信長側も、横に展開する軍勢の横幅という面では大きな違いはない。つまり大きく違うのは軍勢の奥行きということになる。

 何とか今川勢を尾張から後退させたいと考えている信長にとってはそこが狙い目であり、この狭い街道上でぶつかるという利点をいかに有効に活かすかが、この戦いの肝であった。しかし、実際にこの地形上の利点が活きたのかか否かについては、後世になって伝説的に有名になった信長の知略や勇猛さ以上に、この時彼が偶然手にしたいくつかの幸運が大きく作用したと言わざるを得ない。


 まず第一に、いかにこちらへ背を向けている今川勢に対して仕掛けたといっても、信長の軍勢が今川勢の先頭に衝突するまでには、それなりの時間的余裕があった筈だが、信長の突撃に備える今川勢前衛の備えは緩慢であった。

 数的に有利な大軍が少数の騎馬を先頭にした突撃を迎え討つ場合には、距離のあるうちに弓や種子島の飛び道具で牽制して勢いを弱らせた上で、槍隊で進路を妨害して迂回させ、さらに勢いを減じたところで自軍の騎馬隊をぶつけるのが常道である。この様な常道通りの対応を取られると、突撃をかけた勢いは徐々に奪われ、その後は数の力で徐々に押し返されることになる。そうなれば侵攻してきた今川勢を兎にも角にも押し返すという、信長の本来の目的は達成できない。

 しかし今回の場合には、つい先ほど佐々と千秋が率いる部隊との小競り合いで大勝したことによる気の緩み、そしてそれに伴う隊列の乱れ、街道の道幅が狭く隊列を整え直すのに手間がかかっていること。何より尾張国内全体を恐れさせる、圧倒的な大軍での侵攻が順調に進んでいることによる慢心もあったともわれる。

 いずれにしても今川勢は、中島砦から飛び出した勢いをの信長が直接率いる軍勢の突撃を、不安定な布陣のまま受けることとなってしまった。これによって信長軍の突撃を避けて後退しようとする将兵と、逆に迎え撃って突撃を押しとどめようする将兵の間で前線に混乱が生じた。逆に信長としてはとりあえず今川勢の頭を押さえて押し返すという形に持っていくキッカケは掴めた。

 すると次には、信長が騎馬隊の突進力で今川勢の前衛を押し退けたことで、行き場を失った今川勢は左右に広がる形となる。そうなると今度は左右に分かれた今川勢は、自然と街道の両側から信長勢の側方に回り込む形になる。つまり今川勢からすれば、数にモノを言わせて積極的に信長勢全体を包囲することも可能になるのだ。

 信長にとっては少数で突撃をかけることで、必然的に生じる包囲網をいかに切り抜けるかが問題になる。しかも街道沿いという限られた空間では、いかに今川勢に混乱が生じて指揮系統がはっきりしないような状態でも、なし崩し的に包囲される状況になるのが信長にとっては厄介であった。

 そして、今この瞬間、左右に押し退けられた今川の将兵たちが街道脇の水田や畑、窪地などに足を取られながらも信長勢を囲むように展開しつつあった。


「今だ!長兵衛どん!」

 藤吉郎が叫ぶとほぼ同時、弾かれたように長兵衛が号令する。

「幟を立てろ!叫べ!うお〜!」

 街道の両側の間道にほぼ同時に沢山の「織田木瓜」の旗印がたなびく。さらには多くの叫び声、鬨の声、そして法螺貝、拍子木その他のあらゆる騒音が街道の横に展開しようとする今川勢の目の前に立ちはだかった。義勇兵たちは雑木林の陰や窪地の間を巧みに移動しつつ、あたかも大軍の伏兵がいるかのように振る舞う。

 今川勢はこのまま横に展開して伏兵と対峙すべきか、将兵たちが迷う状態となる。ここで今川方に全体の指揮をとる武将がいて、何らかの指示を与えれば状況は変わったかもしれない。しかし、

「ドドーン!」

 雑木林の陰から種子島の発砲音が響き、辺りに煙と硝煙の匂いが広がると、それを合図にしたかのように横に展開しようとしていた今川勢が我先にと街道を退却し始めた。こうなると同じく街道を東向きに桶狭間方面へ進軍する織田勢と、義元のいる本隊へ向けて退却する今川勢が渾然一体となって、あたかも大軍が東に向かって移動するかのようであった。

「それ今だ!押し込め!」

 信長が改めて大音声だいおんじょうで下知すると、ここで二つ目の幸運が信長に恵みを与える。

 信長の大音声に呼応するかのように天空には稲妻が走り雷鳴が轟いた。間髪入れずにひょう混じりの大粒の雨が、入道雲から吹き下ろす西寄りの強風と共に叩きつけるように振り注ぐ。

「さぁ、追い風だ!これは熱田大明神の後押しに違いないぞ!それ、押し込め」

 猛烈な雷と雨が本隊へ戻ろうとする今川勢を追い立てるように襲いかかった。

 猛烈な雨によって視界が遮られたことで、信長方は遮二無二前進することが出来た。何しろ桶狭間山の義元本陣に近づくにつれて、その中腹に幾重に布陣している今川の大軍勢を目にすれば、その姿に圧倒されて突進も勢いを失ったであろう。また、今川方としては向かってくる信長の軍勢をよく見ることが出来れば、その軍勢の少なさを確認することで、より落ち着いて対応できた筈である。四半時(約三十分)ほどの嵐が通り過ぎて見ると、信長勢は今川方の大軍を桶狭間山、山と言ってもほぼ丘のようなものだが、その麓まで押し返していた。しかも麓からほんの少し登った中腹で今川義元が今まさに朱塗りの立派な輿こしに乗って退却しようとするところが見えた。


 義元にしてみれば、突然の嵐に乗じて信長が自ら攻め込んできたのは、意外と言えば意外であったが、兵力に十倍近い開きがある以上焦る必要はない。一旦沓掛まで戻るのが順当な策であった。一方の信長にとっても、とりあえずは大高城と鳴海城という尾張国の奥深くまでな入り込んだ今川勢が、国境の沓掛まで引いてくれれば御の字である。

 ただ一点、小高い丘の斜面が突然の雨でぬかるんでいたことが、義元には不運であったし、信長にとってはまさに三つ目の幸運であった。海道一の弓取りと呼ばれ、武芸百般に通ずると言われた義元が、なぜこの時に馬ではなく輿に乗っていたか?理由はともあれ普通に騎乗であれば仮に足元がぬかるんでいても逃げおおせるチャンスは格段に大きかったであろう。

治部大輔じぶたいふ(今川義元)の旗本はあれだ!あれにかれ!」

 信長は鋭く下知すると、自らも馬から降りて槍を掴むと近習の若武者たちと先を競うように斜面を駆け登った。どっと押し寄せる信長たちの勢いに、義元の輿を担ぐ小者どもが足を滑らせた。その拍子に義元は輿から投げ出される形となった。


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