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凡人信長記  作者: 梵天丸


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決戦!桶狭間② いざ出陣!

「湯漬けを持って来い!具足の準備だ!」

 翌五月十九日早朝、今川勢の別働隊が既に丸根砦と鷲津砦への攻撃を始めているとの報告を持って、鷲津砦に詰めていた織田 玄蕃允げんばのじょう秀敏が、老体に鞭打ち自ら清須城へやって来た。寝所から飛び起きて寝巻きのまま秀敏の報告を聞いた信長は、これも昨夜それぞれに使いの任務を果たして戻ったばかりの、加藤弥三郎、岩室重休ら小姓たちに出陣の準備を急がせる。


 沓掛城に入った今川義元の本隊が動いたとの報告はまだ入っていないから、前日から大高城への補給を行っていた今川の別動隊が、そのまま丸根砦と鷲津砦の攻撃を担当しているということになる。ちなみにこの別働隊を率いているのは、今川義元の遠縁で掛川城主でもある朝比奈 泰朝やすともともう一人は松平 元康もとやす(のちの徳川家康)であった。

「玄蕃殿はもう休まれよ」

 秀敏の労をねぎらい下がらせた後、信長は庭に面した縁側に仁王立ちになりしばしの間虚空を見つめるようであったが、ふと意を決したように

「鼓を打て。一曲謳う」

 というと、同朋衆(武将の側近くに仕えて芸能などに従事する僧形の人々)に鼓を打たせて幸若の「敦盛」を舞った。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきか」

 その間にそれぞれ身支度を整えた加藤や岩室などの小姓たちは、信長の鎧を用意し、湯漬けの準備も終えてそば近くに控えている。信長は舞を終えると

「出陣だ!法螺貝を吹け!」

 と命じると信長は小姓たちの介添えで具足を身に着ける。そしてその間に立ったまま湯漬けを流し込んだ。


 前夜のうちに出陣に関して何の打ち合わせもしなかった信長が、明け方になって出陣の陣触れを行ったことについては、後世、敵将の今川義元を鮮やかに討ち取った戦果も相まって、奇襲を成功させるために身内にも作戦を伏せていたというような理解がされ、よりドラマチックなエピソードとして語られている。

 しかしこの時期の信長は、まだ尾張全体を領土の面でも人心の面でも完全に掌握し切っていない。戦評定をしようにも自分より年嵩としかさの重臣たちとは、腹を割って相談できる関係でもなかった。さらには、動員できる兵力も今川義元の五分の一にも満たない。そのような状況下では、今川義元が率いる軍勢と一気に雌雄を決するというような構想は到底持ち得ない。だから今川勢を迎え撃つために、自分の軍勢を配置するような戦術も到底考えられるはずもなかった。

 また本来であれば、瀧川一益から進言のあったように丸根砦と鷲津砦を救援すべきであるし、砦の陥落を指を咥えて見過ごし家臣を見捨てるのは、領主としての評判を落とし今後の領国経営にも困難をもたらすものである。それはわかっている。しかし今川の本隊約二万が陣を構える沓掛から、丸根砦と鷲津砦までは共に約二里ほどしか離れていない。現有の戦力である千や二千ほどの援軍を送ったところで、今川の本体と挟み討ちにあうのが関の山である。


 この時期の信長が尾張国の領主として取り得る戦略はただ一つである。

 それはこれまでの今川義元による侵攻で、事実上今川の領土と化してしまっている尾張の東部と知多半島から、今川の勢力がさらに北や西に拡大することを阻止し、これ以上尾張が今川に侵食されるのを防ぐことである。そしてこれは、今川方に鳴海、大高、笠寺そして沓掛の四城を奪われてから十年近くの間、信長の一貫した方策であった。だからこそ、昨年は丸根砦、鷲津砦をはじめとする付け城を築いたのである。

 さらに信長が行ってきた今川への抵抗運動を、敢えてもう一つ挙げるとすれば、今川が鳴海城や大高城へ送る補給船への海賊行為であった。

 信長が家督を継いだ織田弾正忠家は伊勢湾に面した津島と熱田の港をその支配下に置いており、多くの船乗りをその配下に持っている。そこで折に触れて船を出しては、同じく伊勢湾に面した鳴海城と大高城に今川の補給船が入港するのを監視したり、時には補給船を襲って補給物資を奪ったりしていた。

 しかしそれも、現代で言うところの海上封鎖のような大掛かりな物ではなく、気が向いた時に船を出してその内の何度か運が良ければ積荷を襲うというような、嫌がらせ程度の行動でしかなかったのである。


 いずれにしても、現状の信長の実力では今川勢を尾張から追い出す、という根本的な解決策は想像することすら出来ない。ただ敵の勢力がこれ以上広がらないこと、そのために可能な限り補給の邪魔をすることぐらいが精一杯であった。

 そして今回、実際に今川義元が大軍を率いて侵攻するという一大事に直面しても、信長は、丸根砦と鷲津砦を攻略した今川の別働隊と今川本隊を各個撃破する、というような勇ましい戦術は不可能である。とにかく戦力を分散するような余裕はないのだ。

 今信長が取り得る策は、可能な限り今川本隊が尾張領内に深く侵入するのを邪魔し、侵攻に時間をかけさせることだ。そのためには丸根砦と鷲津砦を攻略した別動隊が、おそらく両砦の守備兵を残して、本隊へ再合流するであろうから、そこに追い討ちをかけて多少の損害を与える。そしてあわよくば本隊も国境の沓掛城までお引き取り願う、という極めて消極的な戦術しか取り得ないのだった。そして、その先についてはそれから考える。現実的にそれしか思いつかなかった。


 一方で今回の侵攻に際して今川義元が第一に命じたのが、大高城への兵糧の補給であったことから分かるように、大高城に多くの兵卒を養うような蓄えがあるわけではない。しかし今川義元としては、敵国内に派遣した兵卒を飢えさせるわけにはいかない。それこそ『海道一の弓取り』としての沽券こけんに関わる。

 ところが実はこの年、信長たちが正確にその戦果を把握していたわけではないのだが、先ほど述べた津島と熱田からの海賊作戦が思いの外上手くいっていた。特にこれまでとやり方を変えたり、より警戒度を上げたということではない。ただ単に、丸腰の補給船と偶然遭遇する機会が増えたのだった。

 そして織田勢が丸根と鷲津に築いた両砦はともに小規模で、百から二百程度の兵卒しか収容するのが精一杯である。だから今川の別動隊は両砦を攻略した後は、百から二百程度の守備兵を残して引き上げざるを得ないはずである。なぜなら折角大高城まで運び込んだ兵糧を、運んだ自分達で消費するような馬鹿な真似はしないはずだからだ。つまり自分達用の兵糧は多く携帯していないから、両砦の攻略後は、一旦本隊と合流するはずだ、というのが信長の「読み」であった。


 だがこの「読み」もこれまで述べてきたような信長の置かれた状況から導き出されたものであり、多分に先入観や希望的観測を含んでいた。それでもそういった希望的観測を取り除いて判断すれば、信長が今川義元の侵攻を跳ね返せるだけの材料は見つからない。もし仮に今川方の別働隊が想像以上の兵糧を運搬していて、大高城と丸根砦、鷲津砦にそのまま居座るというような事態になれば手の打ちようがなかった。

 ともかく、信長が考えついた戦術は、大高城の補給と丸根砦、鷲津砦の攻略を終えた今川の別働隊の多くが、一旦は沓掛方面へ向かう鎌倉街道上で本隊へ合流するはずであるから、その任務で疲労した部隊の帰り足に追い討ちをかけることであった。

 明け方に丸根砦と鷲津砦への攻撃が始まったという情報は、大高城への補給を終えた部隊が休む間もなく活動している証拠であり、信長は自分の「読み」が大きく外れていないことに安堵した。


「よし、それならば帰り脚の疲れた連中にすかさず追い討ちをかけられるよう、午のうまのこく(正午ごろ)までには中島砦に出張らねば」

 中島砦は沓掛からの街道が鳴海方面と大高方面に分岐するところに設けられている。信長は決心を固めると馬に飛び乗り城下に駆け出す。すかさずあとを追ったのは、加藤弥三郎、岩室長門守重休、長谷川左近 橋介きょうすけ、佐脇藤八郎良之、そして山口飛騨守の五人である。そしてまず熱田神宮の上知我麻かみちかま神社へ向かった。


 主従六騎が上知我麻神社へ到着したのは時には、辰の刻(午前八時)を少し過ぎていた。町衆の長兵衛と甚八の二人が既に待っている。

「急に呼び出してすまなんだな」

 信長は馬から降りると二人の方へ歩み寄る。

「吉法師さまの命とあらば」

「ついに来ましたな」

 二人とも領主である信長に対して改まった挨拶すらしないところを見ると、信長とかなり昵懇の間柄であることが小姓たちにも読み取れた。

「本隊は沓掛から鎌倉街道を西に向かって来るようだ」

「そろそろ沓掛の城を出るところかも知れません」

「本隊が中島砦の分かれ道まで来てしまっては中々押し戻せまい。それまでに手を打たねば」

「ではかねてよりの手はず通り、街道沿いの間道に隠れて準備いたします。のぼりの支度はできております。菊右衛門親分にもだいぶんお骨折りいただきました」

 津島屋菊右衛門は熱田での海運を手広く行っている地元の名士であり、船を操る気の荒い船頭たちを多く配下に持っている。また、熱田神宮を含む近在の寺社で祭りを行う際に、出店の縄張りは始めとする一切の取り仕切りを行う香具師やしと呼ばれる稼業の元締めでもあった。屋号が示す通り、元々は信長の曽祖父良信が津島をその支配下に置いた頃から織田弾正忠家との付き合いがあり、その勢力拡大と共に大きくなった商家である。

「左様か。では、よろしく頼んだぞ」

 長年に渡って信頼関係を築いてきた主従のように手短に打ち合わせると、二人は足速に去っていった。

「殿!砦が陥されたようでございます」

 岩室重休が大きな声を上げた。その声に振り返ると東の空に二筋の煙が上がっている。丸根砦と鷲津砦の方角であった。

「少しばかり早いが致し方あるまい」

 信長は独り言のように呟いた。丸根砦と鷲津砦を陥した今川の別動隊が本隊と合流して体勢を整えてしまっては手遅れになる。一刻も早く中島砦に詰めて攻め時を逃さぬようにせねばならない。清須からの道を振り返ると、信長に遅れて清須城から出発した黒母衣衆、赤母衣衆の精鋭を含む兵たちが、二百名ほど息を切らして集まっている。

「まずは中島砦だ!急ぐぞ!」

 信長は兵たちに声をかけると、馬に飛び乗った。


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