実感する力
草薙先生が道場に現れたのが午後七時頃、相田さんの発見は八時頃。かなり遅い時間だ。彼女を送って帰るように草薙先生に言われる。つまり稽古は中止だ。となると、僕としては少なからず緊張感せざるを得ない。クラスの中でも人気の高い女の子と並んで歩く、というのもそうだけど、夜道は危険だというのもある。僕としては武芸をたしなむ者という緊張感が先行した。
「静かな夜だね、柳原くん」
「うん、そうだね……」
僕のあるべき姿は、第一に彼女を無事に家まで送り届ける護衛者。だからついつい返事も上の空だ。
「できるだけ明るいところを通って帰るからね?」
「うん、ありがと……少し暗がりでもいいんだけどなぁ……」
「何か言った?」
「ううん、なんにも!!」
だけど、遅い時間に相田さんと二人で歩いているなんて、こんな場面藤堂くんには絶対に見られたくないなぁ。
彼、相田さんのこと好きみたいだし。こんなとこ見られたら、試合で八つ裂きにされかねない。
と、僕たちの前を大きな影が横切った。ウインドブレーカーに運動靴、ロードワークに励む藤堂くんだった。
「…………………」
「藤堂くん?」
「あぁ、そうだね。走り込んでた……」
「なんだか怖かったよ」
「それだけ真剣になってくれてるんだよ、僕なんかに…」
「練習、中断させちゃったかな?」
「今日の僕のデキが良かったんだよ、相田さんのせいじゃない」
「試合……がんばってね……」
以前は「生きて帰る」が目標だった。
だけど今夜は、草薙先生が太鼓判を押してくれた。だから目標を高く持ってみる。
「うん、できる限りのことはするよ」
そして相田さんの家。
無事に彼女を送り届けて、僕も帰宅する。そして家でも、今日の稽古を復習してから寝ることにした。
翌日の稽古はいままでやったことの復習。だけどどうしてもあのクッションにもたれかかる意味がわからない。そのことは草薙先生も見抜いていたようだ。
「太一郎、組手をしよう」
草薙先生はスーパーセーフをかぶり、胸には胴の防具。そして総合格闘技用のグローブをはめた。奥伝稽古の技ではなく、通常稽古の動きで来い、と言われた。蹴って叩いて取って極めて投げる、という一連の動きである。
対人型のおかげで、間合いや呼吸はわかる。ジリジリと距離を詰めて、まずは蹴りから入った。
僕の前蹴りをかわす草薙先生は、まるで影のような動き。音もなく、気配も無い。
そしていつの間にか、という呼吸で間合いをさらに詰められた。腕をダラリと垂らしたまま密着してくる。間合いを外そうとしてもついてくる。逃げても逃げても密着が外れない。
掴もう!
そう決意した一瞬、草薙先生がもたれかかってくる。重たい、と思ったときには転倒していた。
しかも腕まで取られて、良いように関節まで極められて。
「コンニャク運動は、こうして使うのさ。場合によっては体当たりをして、より強力にひっくり返す」
でも、それだけじゃないんだろうな……。
そう、拳で当たれば拳の技、ヒジで当たればヒジの技。かなり強烈な当て身技になりそうだ。
突くんじゃない、打つんじゃない。当たっていくんだろうな……。
一発だけ、というのなら、これは藤堂くんの攻撃にも匹敵する一撃になりそうだ。
「ほ、目つきが変わりましたわね。ですが能ある鷹は爪を隠す、ですわ。決して藤堂さんに悟られないように……」
出雲鏡花は本日も見学の位置。
これはもう標準装備のようなものである。
「なにか掴んだってんなら稽古をもう一丁増やすか。コンニャク踊りに振り付けするぞ」
せっかくのフリースパーの場面だったのに、草薙先生はスーパーセーフを脱いでしまった。そして壁際に立つ。もう雑巾の必要は無くなっていた。
歩法は今までと同じ。左足で前に出て正中線をはずし、上体をコンニャクのように傾ける。そこに新たな振り付け、左腕をだらしなく振り回し、反動で右腕も振り回す。
正中線に戻ったら今度は右足で前に、右腕を振ってから左腕を振り回す。クッションまで到着したら、ベトンともたれかかった。そのときは拳やヒジの当て身も意識しておく。
正直、自分の攻撃力が上がるのがわかった。
ダラダラした動きに見えるかもしれないけれど、こんな短い腕でも振り回せばかなりの破壊力になる。その一番強力な部位、掌底部分はしっかり見ておいた。
この距離で、最大の威力を発揮する。つまり間合いを覚え込むのだ。素振りとか空打ち空蹴りの稽古の重要性を、改めて考えさせられる。
今日の稽古はそこまで。そしてこの振り回す腕は、攻撃ばかりでなく防御に使うことも念頭に置いて自宅での復習に役立てた。
身についている……。見えない力が、まとわりつくように僕の身についている。れを実感できる夜だった。
ひとつの自信は僕のような少年をも変えるのだろう。
翌朝の下駄箱前、玄関での相田さんとの挨拶。何を感じ取ったのか、相田さんは僕を見て目を丸くした。
「……どうかした?」
できるだけ静かな超えようで、穏やかに訊く。
「柳原くん……」
「なにかな?」
「ファスナー全開……」
おぉう、なんてこったい! 縦縞な男の誇りを、可憐な少女に惜しげもなく見せつけてしまったじゃないか!
慌てて後ろを向き、華麗な動作で社会の窓をクローズする。しかし相田さんは笑っていた。僕と藤堂くんの試合が決まってから、あまり見ていない笑顔だった。
「ゴメンね、柳原くん。笑いすぎだよね?」
「いや、いいのいいの。最近相田さん、あまり笑ってなかったみたいだから」
「そ、そういえば、そうかな?」
「たぶん、だけど。僕もそんなにジロジロと相田さんの観察してる訳じゃないから」
「さすが純情少年柳原くん。レディをジロジロと眺めたりはしないんだね?」
「まあね、柳原太一郎、ジェントルマンですから」
「でもね、柳原くん。女の子だって見てもらいたいときはあるんだよ?」
無い後ろ髪をかき上げる仕草。おそらくこれはセクシーポーズのつもりで、僕を笑わせようとしてるんだろうけど、子供が背伸びしてるようにしか見えない。大変に残念なことながら、相田さんは色気を売りにするより可愛らしさを売りにするタイプなのだ。
それを端的に、一言で表現するならば。
「相田さん、まだまだ修行が足りてないな」
「ん〜〜……やっぱそうかぁ……」
「お、憂いの横顔! それはイイね!」
「女は千の顔を持つからね♪」
そう言って、相田さんは弾けるように笑う。
そしてまたまた黒い、巨大な影。
……藤堂くんだ。……こめかみに青筋が浮き上がって、極限の怒りを耐えているように見えた。
「……ふたりとも……」
地獄のそこにの鬼のような声だった。
「上履きが取れない、場所を空けてくれないか……」
僕たちがよけると、藤堂くんは外履きから上履きに履き替えた。そして、僕に殺意のこもった眼差しを向けてくる。
だが、それ以上は何も無い。道着を着ていない彼は、基本的に紳士なのだ。しかし一旦空手着に着替えたならば、ジェントルマンは野蛮人に変貌するのだろう。
「……………………」
「大丈夫だよね、柳原くん?」
「いや、命日が決まったかもしれない」
「そんなことないよ、柳原くん! だってさっき見たとき、すごく顔が輝いてたもん!」
え? ファスナー全開のことじゃなく?
「なんだか自信にあふれていて、まるで別人みたいだったよ?」
そうだ、今の僕は柳心水袋流の技を身につけて変身を遂げているんだった。
この技g炸裂するのはいつか? すぐにでも試したい思いで一杯だったはずだ。
いけませんいけません、ここまでずいぶんと真面目に書いてしまったじゃありませんか。もっとライトに、もっと発想を柔らかくしなければいけませんね。




