相田さん来たる!
そして翌日、通いの門下生たちが来ない道場。しかし出雲鏡花だけはしっかり居てくれやがる。しかもピンポン玉の入った買い物かごを準備して。
「遅かったですわね」
と、昨日と同じ切り出し。
「昨日と同じく、僕は直通で道場まで来たんだよ?」
と返事はしたけど、これ以上出雲鏡花と交わす言葉は無い。すぐに更衣室に入り稽古着に着替える。
更衣室から出て、まずは神前に礼。それから規定の準備運動。脚を開いての前屈では、出雲鏡花が背中を押してくれた。
「草薙先生がおっしゃるには、奥伝技の習得には柔軟性が必要だそうですわ。しっかりと念入り柔軟性を高めてくださいまし」
ということで容赦なく背中を押してくる。しかし根本的にこの女、力が無いし技も無い。背中を押されたところで、大した補助にはなっていなかった。そして僕はというと、じつは結構柔軟性で高い。草薙先生から「ストレッチは十分にやっておけよ」と言われていたから、股割り前屈では床に額を着けることができる。
しっかりとストレッチをしたところで、まずは昨日のおさらい。
雑巾を踏んだ状態で前進、そして壁際まで来たらクッションにもたれかかる。これはすり足の稽古だな?
と昨日の段階で憶測していた。すり足というのは地面を蹴って前進する現代体育とはちょっと違う。片足に体重をかけたら体重のかかっていない足を前に出す、という歩法なのだ。
しかしクッションにもたれかかるというのは、まだよく分からない。よって出雲鏡花が言っていたように、できるだけ脱力してしっかりとクッションに身をあずける。
「昨日よりは練度が上がってますわね。では今日の稽古ですわ」
道場中央に呼ばれる。そして昨日の予告通り、背後のカゴからピンポン玉を拾い上げ、前に置かれたカゴに移す作業だ。
「動きが悪いですわよ、もっと機敏に動きなさいな」
出雲鏡花はメトロノームを持ち出した。そしてその機械が刻むテンポで作業をしろと言い出す。それもしっかりと上体を起こしてから前屈、あるいはのけぞりしろと言う。そしてこのテンポが微妙に早いのだ。起き上がりの動作をしっかりキメていたら、どうしてもテンポが遅れる。
「そこは持ち前のガッツでなんとかしてくださいまし」
涼しく出雲鏡花は言う。よもやこの汗を流す気の無い女の口から、ガッツなどという言葉が出ようとは……。イヤな世の中になったもんだ。
そしてピンポン玉が尽きると、今度は前のカゴから後ろのカゴへ移せときた。言われるがままに、僕は作業を続ける。
前のカゴから後ろのカゴへ。その作業に移って間もなく、草薙先生が登場した。一度稽古は中断。雑巾がけのすり足を草薙先生に確認してもらう。草薙先生の評価は、「うむうむ、稽古はしてるようだな」と、良いとも悪いとも無し。ピンポン玉トレーニングに戻るよう命じられた。
しかしこちらはダメが出た。
「太一郎、起き上がった姿勢からのけぞり前かがみになるときは、落っこちてみろ」
何を言っているのか分からない。不思議そうな顔をしていたのだろう、草薙先生は実演して見せてくれた。
すると草薙先生の動きは、まさしく上体が落っこちていた。完全に脱力して、床に向かって腕から落っこちているのだ。クッションに身体を預けるのにも、脱力しろとか言われていた。ということは、奥伝稽古のキモは脱力なのだろうか?
推測してピンポン玉トレーニングに挑む。面白いことに、脱力するとより早くより楽に作業をこなせた。
「よし! それじゃあまた、すり足に戻るぞ」
草薙先生が言う。しかし今度のすり足は前のものとちょっと違う。進行方向から横へ逃げる運動が加わるのだ。こうなってくると、僕にもよく分かる。これは前進しながら、相手の攻撃をかわす動きだ。草薙先生のあとを追うように進む。しかし僕より大柄な草薙先生の方が素早いのには舌を巻いた。だけど基本的なすり足を思い出すと、無駄な動きが無くなって、先生の動きに追いつくことができた。
「普段の稽古の賜物だな」
これは良い評価と受け取っていいのだろうか?
で、さらに稽古は混迷を続ける。今度のすり足は上体ひねりをしながら前に進むという奇っ怪な動きだったのだ。まるでタコ踊りである。しかもそこに、クラッシック音楽のワルツがついたものだから余計に始末が悪い。上体を前へ後ろへ。前進前進、クッションにもたれかかる。後退後退、クッションにもたれかかる。
僕は一体なにをやっているのだろう? 僕でなくても疑問に思うはずだ。
「草薙先生、お客さまのようですわ」
気がつくと出雲鏡花は出入り口に立っていた。見ると相田ひかるさんが一緒だった。相田さんは真っ赤になってうつむいていた。しかも、学校の制服のまま。まだ家に帰っていないのだろう。
「鏡花さん、そちらは?」
「クラスメイトの相田ひかるさんですわ。入りづらそうに表に立っておりましたの」
稽古が中断された。草薙先生は相田さんを道場に上げる。相田さんは僕に伝えたいことがあるそうだ。
「なんだろうな、太一郎? 愛の告白だろうか?」
「それは無いと思います」
車座になって、道場中央に座る。相田さんは正座して背筋を伸ばして言った。
「実はいま、空手部で藤堂くんの様子を見て来たんです!」
思い詰めたように、相田さんは切り出した。
「で、どうだった?」
草薙先生が訊くと、相田さんは女の子らしい表現で答えてくれた。
「はい、なんだか二人で寝っ転がって、取っ組み合いをしてました」
「……寝技の稽古ですわね。こちらには寝技など無いというのに」
出雲鏡花がほくそ笑む。「無駄な稽古に時間を割いておりますわね」という笑みだ。
「でも出雲さん、柳原くんに寝技が無いってことは藤堂くんの方が有利になるんじゃないの?」
「相田さん、付け焼き刃の寝技程度でしたら、ウチのへっぽこぷーでも瞬時に関節を取れますわ」
意味は分かってないだろうけど、寝技では僕の方が有利だというのは伝わっているみたいだ。相田さんは感心したように「おーー……」と漏らしている。
「逆に申しますと、ルール上寝転がった状態で殴る蹴るは禁止されてますから、藤堂選手お得意の技はすべて使えなくなってしまいますわ」
「というと、柳原くん断然有利……?」
「簡単な足し算引き算で考えれば、そうなりますわね。ですが勝負は数式が闘うものではなくて、人間と人間が闘うもの。必ずとか絶対ということはありませんわ」
「難しいんですね……」
「いえいえ、要約しますと強い者が勝つ。単純にそれだけのことですわ」
「となると柳原くん……さっきのコンニャクみたいな踊りは……」
おぉっ!? 見られていたかっ!! お恥ずかしい!
しかし出雲鏡花はシレッと答える。
「一五〇〇年の昔から宮廷を妖怪変化魑魅魍魎から守り抜いた、我が流派の奥伝稽古……つまり必殺技の稽古ですわ」
「すごい……やっぱりあるんだ……必殺技……」
うん……そうらしいんだけど……その必殺技を僕はまったく理解できていないんだ……。
「だけど柳原くんの動き、コンニャクみたいっていっちゃったけど、ホームランバッターが一発打つときみたいになんだか予感させてくれたよ?」
「アスリートだねぇ、相田さん」
満足そうに草薙先生がいった。
「君は今日、太一郎のために来てくれたんだよね? だったら私が保証してやろう、試合当日の太一郎は、ヤラカすぜ……期待してくれ」
「え? ヤラカすって……?」
ホエ? という相田さんの肩を、出雲鏡花がポムと叩く。
「草薙先生が太鼓判を押しましたわ。当日はウチのポンコツに賭けなさいな」
なんだ?
僕の理解をよそに、なんだか凄い技を授かっているような……。しかも出雲鏡花は、足し算引き算では割り切れない要素があると言っていたのに、まるで僕の勝利を確信しているような……。
早速のブックマーク登録とポイント、まことにありがとうございます。作者、とても励みになります!




