第六話 駆け上がれ!
「すべて閉じているじゃないか」
思わず声が出てしまった。私はくたびれたように溜息をつくと、近くの壁にもたれかかる。時刻はすでに昼近く、試験開始から五時間ほどは経過しているだろうか。それだけの時間をかけてわかったことは、この迷宮には初めから脱出経路など用意されていなかったということである。
チンピラ集団から巻き上げたメモや地図の束をすべてあわせたところ、現在のロットハイム市のほぼ完璧な地図が完成した。その結果、町を覆う結界には一部の隙もなく、通り抜けられる道などないということだけがわかった。複雑怪奇な迷宮に見せかけておいて、実はただ単に空間魔法と結界の中に閉じ込めていただけなのである。どおりで、いままで出られなかったはずだ。
「どこかに出られる場所があるはずなんだが……」
あのいけすかない赤の女王とやらは言っていた。脱出法は簡単に見つかったと。そしてそれは、地図を見ているだけでは決してわからない場所であると。私はまぶしい陽光に目を細めながら、じっくりと頭をひねる。
まず朝に言われたことは、単にこの町を脱出しろというだけ。もしかすると町の建物の壁を破壊したり、地面に穴を掘ったりして出るのもありなのかもしれない。だが、試験の内容がそんなに単純でいいのだろうか。それはどこか違う気がする。
さてどうしたものか……壁にもたれながら、私はぼんやりと空を眺める。青々とした空はどこまでも広がり、その中を漂う白い雲が目にまぶしい。雲の峰の間を渡り鳥が見事な編隊をなして飛んでいく。赤茶けた鳥が晴れ渡る空の元、幾重にもくさび型を描くそれは、とても美しかった。鳥…………どうして今まで気がつかなかった!
「空だ! 上から出るんだ!」
私は慌てて身体を起こすと、通りへ出て周囲を見渡した。するとすぐに私の求める条件に合致した建物が見つかる。町の中心部に聳える、教会の高い尖塔。見上げると首が痛くなるほど高いそれは、ねじれて螺旋を描きながらも空へと昇っていた。
地図を頼りに通りを走り抜け、塔へと向かう。すると何名かの受験者が我先にと塔へ入って行くのが見えた。急がねば――体が自然と加速していく。教会の前に広がる広場を刹那のうちに駆け抜けて、私は塔の根元へとたどり着いた。
白い石造りの塔には、人が一人通り抜けられる程度の小さな扉が一つあるだけだった。それはすでに開け放たれていて、薄暗い中の様子が垣間見える。案の定、塔の中は外観と違って歪んでいないようだ。私はドアをくぐり抜けると、すぐさま上を確認する。
果てしなく伸びる螺旋階段とその上から差し込むおぼろな光。足音がバラバラと雨のようにがらんどうの塔の中を響いてくる。すでに、結構な人数が塔を登っているようだ。先ほど中へ入って行った受験者たちの背中も、小さいながら確認できる。
「チッ、解放!」
翠石を具現化すると、靴に押し当てる。黒い軍靴は白い光に包まれ、たちまち銀翼の生えた金属製のレガーズへと変化を遂げた。韋駄天の靴、私が保有する靴の中でもっとも強力な速度増加効果のある靴だ。むろん、銀月花を使えば一時的にこれを超えることは可能だが、あれは私の体感時間で一分の時間制限がある。長い距離を走ることを考えればこちらに分があった。
翠石内部に保管された武具と、現在装備している武具との融合。私に与えられた能力のうち、もっとも気に入っている能力の一つだ。他にも似たようなもので、武具を自らの体と一体化させるという能力もあるにはあるが……こちらはあまり好きではない。
勢いをつけ、軽く駆け始めただけで私は風を超えた。螺旋階段を目が回るような勢いで上る上る。嵐の日の風車よろしく、景色が大回転していく。やがて先を行く者の背中が大きくなってきた。私はひょいとジャンプしてそれを飛び越えると、さらに速度を上げていく。
塔は外から見たよりもずっと高かった。もしかしたら、歪んでいないように見える内部にも何らかの空間魔法が掛けられているのかもしれない。走っても走ってもなかなか階段の上の光が近づいてこないのだ。
「なッ!」
いきなり塔が揺れ始めた。上方から細かな砂やほこりが降ってくる。それと同時に、階段がじりじり壁へと吸い込まれ始めた。どうやら合格者を簡単には出さないための罠のようだ。足場を失った受験者たちが塔の底へ落ちていくのが見える。上からも下からも落ちていく様子はさながら、人の雨のようだ。まったく、なんて仕掛けだろう!
頬がこすれそうなほどの壁際を狭い歩幅で走り抜ける。コートが壁にこすれ、しびれるような音を立てていた。あと少し、あと少しだ。光はわずかずつではあるが、近づきつつある。三十秒。それだけ持てば、どうにか頂上までたどり着ける――!
「クッ、足りない!」
足場はもうすでに、靴の幅と同じぐらいになっていた。しかし、頂上まであと十メールほどある。跳んで跳べない距離ではないが、いかんせん角度が悪い。斜めに跳ばざるを得ないため、途中で壁にぶつかり落ちてしまう。私はとっさに横を見た。向こう側の壁まで、距離は八メールといったところか。これならギリギリだが、行けるかもしれない!
頼む――!
右足に力を込め、身体を斜め左へと跳ばした。コートが風をはらみ、羽音のような風切り音を立てる。横から急速に壁が迫ってきた。ここでさらに、左足で壁をける。かろうじて残っていた突起物――階段のなれの果て――に見事足が引っ掛かり、カンッと小気味良い音が響いた。放物線の頂上に達していた私の体は、今度は逆方向へと舞い上がっていく。
光に手が届いた。指先がわずかにだが頂上の床をとらえる。古びた石の表面は今にも崩れそうだった。私はさっさと脱出するため指に力を込めると、逆上がりの要領で身体を振り一気に塔の頂上へと飛び出す。すると――。
「デカイ!」
そう言わずにはいられなかった。視界を占領するがごとき巨大な船が、塔の上空に浮いていたのである。円筒型をした白銀の船体は、軽く百メールはあるだろうか。空に浮かぶクジラ、いやそれ以上に大きな船体の中央には赤く竜の紋章が描かれ、この船がドラゴン・スケアのものであることを示している。
船からは細く長いタラップが伸びていた。その途中には仰々しく「ゴール!」などと書かれた派手な色彩の看板がつけられている。私はそれに苦笑しながらも、タラップを歩いて飛行船まで向かった。
途中、遥か下界を見てみると紅の結界が町をしっかりと覆い隠していて、塔の先端だけがそこから飛び出していた。この結界は受験生を阻むものだけでなく、その目や耳から飛行船の姿を隠す役割もしているようだ。下を動き回っている受験生に手を振ったりしてみたが、反応はない。しかし、私が先ほど見た鳥などの動物や雲などの自然物はしっかり見えているようである。
「フィーネ、残ってたのか!?」
すでに飛行船に乗り込んでいた受験生たち。さすがにいずれも猛者ぞろいで、チンピラ連中とは比べ物にならない洗練された威圧感を感じる。虎と野良犬ほどは違いがあるだろうか。だが驚いたことに、その猛者たちの中にはフィーネがいた。私が驚いて声を上げると、彼女もびっくりしたようで私に声をかけてくる。
「ファーストじゃない! 無事に残れたんだ!」
「フィーネこそ。性格的にメモとか奪えないだろうから、残れないと思っていたぞ」
「ほとんどこのマルのおかげよ」
フィーネは自身の隣に立っている少女の肩を叩いた。とても華奢な印象の小柄な少女で、フィーネや私より頭一つ身長が低い。筋の通った鼻と憂いを帯びた青い瞳が特徴の顔は凛として美しかったが、やや幼い感じに見える。十四、五歳といったところか。
「私はマル、よろしく」
少女マルはそういうと、私から顔をそむけてしまった。かなり人見知りをする性格らしい。しかし、なぜかフィーネにはしっかりと懐いているようで、身体がくっついていた。本能的に、私の持つ歪な邪悪さとフィーネの性格の良さを見抜いているのかもしれない。
「マルはすごく頭がいいみたいなの。今回の仕掛け、すぐに見抜いたわ。この子と組めなかったら私、間違いなく落ちてたわね」
「運も実力のうちだろう。それより、誰か降りてくるぞ」
飛行船の二階部分から、私たち受験生の待機している一階部分へと階段が下された。カツカツと硬質な足音が二階から響いてくる。
「受験生諸君、まずは第一試験合格おめでとう。私がドラゴン・スケアのギルドマスター、リオールだ」
そんな声とともに現れた姿は、ずいぶんとまた意外なものだった――。




