尊敬できる人の娘でいたいから
リウを見て気づく。
いまはそれどころではなかった。宿酒場へはエイメリアを呼び止めにきたのだ。
「そうだ、店主。それより、うちの妻がきているらしいが、どこにいるのだろうか。姿が見えないようだが」
「あ。あーーーーーーーーーっ!!」
突然の大声に、ヴァルカンが引く。
「な、なに?」
「アンダーウッド夫人ってーと、あの、お美しいエルフの? それともギルドの若い魔術師の方? ど、どっちですかね?」
「ああ、エルフの方だ」
ギルドの若い魔術師は、おそらく登録に行った際に魔術を放っていた娘だろう。
「エルフといってもハーフエルフだが。部屋にいるのか?」
店主が額に手を当てて空を仰いだ。
「や、さっきまで魔術師の方と一緒んなってみんなの治療にあたってくれてたんですが、エルフの方は主人の捜索に出るといってアーレンドラスの森に向かっちまいまして」
「……はあ?」
言葉を理解することを脳が拒んだ。
だが、徐々に浸透してくる。動悸が激しくなっていく。
「んなああああああああっ!? ああぁあぁぁぁぁ、んもぉぉぉおおおおぉぉぉぉっ!! それを先に言ってくれよぉぉぉぉ!」
「す、すいやせん!」
「ああ、もう……なんでだよぉぉぉぉぉ!?」
すでにすれ違ってしまっていた。ファーガスのアホが呼び止めたせいだ。その上さらに余計な雑談に興じてしまっていた。
これではもう森へ入ってしまっているだろう。
疲労感に、膝から崩れ落ちそうだ。
信じられない。これは現実だろうか。めまいがする。
森での激戦を経てクタクタになり、ようやっと生還できたというのに、またすぐにあの魔の森へと戻らねばならないとは。
家族の問題すら、まだまったく解決していないというのに。いや、これも家族の問題ではあるけれど。
「う、うう……」
リウがギュっとヴァルカンの手を強く握った。
ため息をつく。次に深呼吸をして、気分を落ち着かせる。
ヴァルカンが晴れ晴れとした泣きそうな顔を上げた。
「は、はは、ははは。よし、もう一回森に行くかっ」
踵を返して歩き出す。
でも。けれども。そのときに。
「ぷ……ン……く……、ふ……ふふ……」
リウが肩を震わせて、笑っていた。
本当におかしそうに、笑っていた。
そうして。
「いつもいつも、そうやって苦労ばかり背負うんだね。仕方ないなあ」
「おん……?」
リウが唇を尖らせ、ヴァルカンを横目で見上げる。
「そもそもこうなったのは、お母さんのことを置いていったからだよ? 危険から遠ざけるためだっていうのはわかるけど!」
「む、ぐう……」
ぐうの音が出てしまった。
「それにわたし、お母さんから色々聞いたんだから。今朝のケンカのこととか、実はまだちゃんと結婚式さえ挙げてもらってなかったこととかー?」
娘に何を聞かせてんだ、あいつは!?
リウが両腕を薄い胸で組んで言った。
「よくないよね、そういうの。男らしくない」
「う……。め、面目ない。だ、だが、その、俺たちには色々と事情があって……」
「それってたぶんわたしにも関係してることだよね。言い訳に使わないで」
「んぅ~ごめんなさい」
さすがに、娘はおろか妻まで偽装だったとは口が裂けても言えない。
だがゆえに、周囲にどよめきが広がっていく。先ほどまで尊敬の眼差しを向けてきていた騎士や店主でさえ、いまや非難のそれだ。
「アンダーウッド閣下、まさか夫人とは夫婦ではなく、ただの同棲だったりします?」
「……」
店主が額に手をあてて空を仰ぐ。
「嘘だろ、エルフのあんな美人を何十年も捕まえておいて……」
「不逞、いや、不貞行為のためか? 英雄は色を好むっていうし……」
「閣下って顔がすけべだよな」
何を言う!?
そこの騎士、おまえだけは顔を覚えたからな!
「……なあ、このようなことが万が一殿下の耳に入りでもしたら、聖剣大授章の取り消しもあり得るぞ……」
ひっ、聖剣大綬章の取り消しだけならともかく、殿下の小言だけは本当に勘弁願いたい。彼の冗談は生きた心地がしない。
どよめきがまた広がった。そうして静まりかえる。
冷たい視線がいたたまれない。
なぜ自分がこのような目に遭わされねばならないのか。そもそもエイメリアがそれを望んでいるとは限らないというのに。誰も何も知らないくせに。
でも何一つ言い返せない。
「子どもまで作っといて……?」
「最低だ」
違う。親子関係はいまとっても繊細だから弄らないでもらいたい。この子には血のつながりがなかったことがバレたばかりだというのに。
恐る恐るリウに視線を向けると、けれどもリウは平然と苦笑を浮かべていた。
「ちゃんとしてあげなよ、お父さん。女性にとっては人生の一大イベントなんだからね?」
「……」
ただ、呆然と。その言葉を聞いていた。そうして、遅れて気づくのだ。
リウがまだ、自分のことを「父」と呼んでくれたことに。
胸が熱くなった。
「うん、うん、そう……だな……」
声が上擦った。鼻に掛かった声になってしまった。
眼球の裏側が熱くなって、涙がこぼれ落ちそうになる。
先ほどまでの疲れや居心地の悪さなど、綺麗に吹っ飛んでしまった。
そのたった一言が、嬉しくて。うなずいて、何度もうなずいて。
「いま、そうだなって言ったね?」
「え?」
だから言葉尻を取られた。迂闊にもだ。
リウが背後を振り返って、この場にいる全員を煽るように叫んだ。
「言ったよねーっ? みんな聞いてたよねーっ?」
「言ったぞ。俺たち全員が証人だ」
騎士がそう言うと、他の騎士らも、店主ですらも深くうなずく。そうして、丸みを帯びた肉付きのよい手をヴァルカンの肩に置いて。
「あんたには立派な〝剣聖〟のままでいて欲しいんだ」
「む、う」
リウが両手を腰にあててヴァルカンを睨んだ。
「お父さんっ!! 覚悟を決めなさいっ!!」
「…………………………わ、わかったよ……。……えっと、じゃあ、その……エイメリアには……言うだけ言ってみる……?」
「なんてっ!? なにをっ!?」
「……えっと、お、俺と、結婚するかい……って」
リウが再び背後を振り返って煽った。
「みんな、聞いてたよねえ? いまの!」
うおおおぉぉぉ、と全員が返した。
二階で休んでいたらしき狩人の魔術師が、目を擦りながら何事かと部屋から出てくるのが見えた。
「絶対だからね、お父さん! 日和ったらわたし、許さないから!」
「あ、ああ、うん……」
本気の目だ。ヘテロクロミアの愛しい瞳だ。
「じゃあみんな、お母さんを捜しに行ってくるね!」
「頑張れよ、嬢ちゃん」
「うん! ――行くよ、お父さん!」
手を引かれ、宿酒場のドアから出て――。
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