嘘の家族
本日も二話更新です。
流れる血も浮いた汗も拭えぬまま、ヴァルカンは自らの左腕をロサーダの喉へと押しつける。樹木に縫い止められたロサーダには、もはや反撃の方法がない。
そうしてようやく、安堵の息を吐いた。
「ふう」
「マジかよ……。あんたは死を恐れないのか……?」
「うん? 怖いに決まってるだろ。娘に逢えなくなってしまうからな」
だが世界から娘の居場所がなくなってしまうことの方がよほど怖い。ヴァシスはリウがこれからの長い人生を生きていく国だ。まだ失わせるわけにはいかない。
あの子の未来は誰にも奪わせやしない。それがヴァルカンの騎士道だ。
ロサーダは痛みに顔をしかめながらつぶやく。
「娘。くく、娘、ねえ。ダンブニルの群れに突っ込んできた子どものことだよなァ? あれは、あんたの娘か?」
ヴァルカンの動きがピタリと静止した。
いまさらながらに動揺したのだ。リウの顔を暗殺者に見られてしまったことに。遠回しに、娘を狙うと宣言されたようなものだ。
だから激しく動揺した。ゆえに、気づかない。
……背後に迫っていた気配に。
言葉に意識のすべてを持って行かれて。
「それがどうした? 顔を覚えて人質にでもする気か? 言っておくが無駄だ。なぜなら彼女はすでに、俺より……お、俺より、つ、つよ、強い……かもしれん」
認めたくない。
器の小さな男だった。
「ハハ、だろうなァ! あり得ねえよなァ!? あの年齢であんなもん、まともじゃねえよなァ!?」
まともじゃない。その言葉がヴァルカンの怒りに火をつける。
ロサーダの喉へと食い込む左腕に力が増した。
「……ッ」
「何が言いたいッ」
「く、くく……、……よせ、よせ……あんたの娘を……愚……弄……したわけじゃ……ねえ……」
ロサーダの笑みが歪む。
嫌な予感がした。
このわずか数秒後、ヴァルカンは自身の迂闊な質問に後悔することになる。
この先に続く言葉を言わせるべきではなかったのだ。もっと言えば、会話などするべきではなかった。問答無用で意識を奪い、拘束しておくべきだったのだ。
瞬間、ヴァルカンは草を踏みしめる小さな足音に、ようやく気づいて振り返る。
「お父……さん……?」
そこにはリウがいた。
ロサーダが口角を上げてつぶやく。
眼前で戸惑う男を嘲るように。ようやく辿り着いた少女に聞かせるように。
「ヴァルカン・アンダーウッド。あんた、その娘をどこで拾った?」
「――ッ!?」
息を呑んだ。
ヴァルカンと、それ以上に小さなリウが。
「かはっ、はははっ! やっぱそうかよっ!! その娘はなァ――」
ざわと、背筋に悪寒が走った。
いますぐにロサーダの口を塞がねば。
手を伸ばす。
「待てッ!!」
だが顔を振ってヴァルカンの手から逃れたロサーダは、声高に叫んでいた。
「人間などではないッ!! イクスのデザインベビーだ!」
腹を蹴られてヴァルカンが吹っ飛ぶ。
「ぐ……っ」
だがヴァルカンは反撃には出ず、ただ数歩よろけて樹木に背をあて、呆然とリウを見ていた。その隙にロサーダは自らの肩口へと突き刺さった剣を強引に引き抜き、二本の指を咥えて指笛を鳴らす。
「しま――っ」
その直後、巨大な影がすべてを呑み込んだ。
それは樹木を小枝のように踏み砕きながら、大地を揺るがして着地する。大地が爆ぜた。礫が飛び散り重々しい轟音が鳴り響く。
ヴァルカンもリウも飛礫から目を覆った。
「う……お……」
「うそ……」
真っ白な体毛を持った、大樹ほどもある体躯の魔獣。
白い魔猿だ。
「グラズヘイガだと!? まだいたのか!」
「くく……、心配すんな、こいつは撤退用だ。悔しいが準備が足りなかった。トルキアからは手を引いてやる。今回はあんたの勝ちだ、ヴァルカン・アンダーウッド」
「く!」
ヴァルカンが背負ったクレイモアを抜いたとき、しかしグラズヘイガはロサーダをその大きな掌でかっ攫うと自らの胸で抱き、視線を森の奥へと向けて、その両脚を曲げた。
「待て!」
「じゃあな、〝剣聖〟。また会おうぜ。それに――」
ロサーダの視線が、呆然と立つリウへと向けられる。
だが、あくどくねじ曲げられた口からは言葉はなく。グラズヘイガのたった一度の跳躍で二十マーゼルは離れた場所に着地し、また跳躍したときにはもう、深い森の奥。目で追うことすらできなくなっていた。
あとにはただ、樹木を踏み潰す足音が聞こえるだけ。それすら遠のいていく。
森に静寂が戻った。
「逃がしたか……」
ヴァルカンは頬から流れる血を拭い、クレイモアを背中に納めた。それから投げ捨てられたロングソードを拾い上げて、リウを振り返る。
「リウ」
「……」
「リーウー?」
「……え? あ、う……お父さ……」
いつものようにそう言いかけて、リウが躊躇ったのがわかった。
それがたまらなく悲しい。胸の中に鉛を入れられた気分だ。
だから、手を伸ばす。
「……」
自分の娘であると嘘を重ねてきたことを知られてしまった。血のつながりなどない、赤の他人であることを知られてしまった。
リウは差し出した手をつかもうとはしない。
ただ、見つめ合うだけ。
「帰ろう。オルガドに」
戦っていたとき以上に心臓が鳴っている。
怖い。怖い。怖い。怖くて仕方がない。もしもリウが踵を返して目の前から消えてしまったら、血縁無き己にそれを追う資格はあるだろうか。
「ほら、手をつかんで。エイメリアが――お母さんが待ってるよ。あ~、いまはトルキア村にいるのだったか。はは……」
リウがうつむく。
心臓が痛い。涙がこぼれそうになる。
だが堪える。おそらく自身が受けた衝撃など、リウが受けたそれに比べれば大したものではないのだから。
「わ、わたし……は――」
蚊の鳴くような弱々しい声でリウが何かを言いかけたとき、恐怖を振り払うようにヴァルカンは強引にリウの手を取った。
言葉を聞く勇気がなかったのだ。
そうして、彼女の手を引いてゆっくり歩く。
森を歩いている間中、会話は何もなかった。
ただ静かに、リウが涙を流していたことには気づいていた。
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