深まる謎
リウの言った通りだ。ダンブニルたちも、煙の中でこちらの姿は見えていないらしい。追ってはこない。煙の残る一帯を飛び出しても。
それでも、さすがにもうロサーダの姿は見えない。だが人間が通れば必ず痕跡は残る。それはどれだけ森に精通した人間であろうと、例外はない。
踏みしめられ折れた草むら、藪や蔦の切り口はもちろん、わかりやすい足跡ですら、人間はすべてを消すことができない。
「まだ辿れるな」
だが時間が経過すれば、折れた草は立ち上がり、植物の切り口からは新たな芽が生え、風や雨が足跡を消す。急がねばならない。
厄介なのは小川などの水場だ。そこに入られると、上がった場所を探すことに時間が取られてしまう。向こう岸に上がると見せかけて戻っている場合も多い。
方角は森の奥。トルキア村からは離れていっている。いまのところは。
というか。
「……」
ヴァルカンは走るのをやめて歩き出した。
急いで追う必要はなさそうだ。体力の回復を優先する。水を飲み、食料を口に入れながら歩く。
やがて。
やがて、誰の目にもあきらか。
大岩の上に片膝を立てて腰を下ろし、こちらを見ている青年を発見した。
覆面はない。手に持っている。顔を隠す気もないようだ。
黒く短い髪に、黒い瞳。間違いはないだろう。
したたかな戦い方をするからもう少し年齢がいっているかと思っていたが、想像していた以上に若い。まだ二十代といったところか。
「案外時間がかかったなァ」
「急ぐ必要はない。キミがわざと痕跡を残してくれていたからな」
青年が笑った。
屈託のない、若者の笑みだ。
悪辣なそれではない。
青年はもう、逃げようとはしなかった。
まだ何か罠があるのかと、ヴァルカンは警戒する。だが、周囲の魔獣の気配はない。足下にもあからさまな罠は見受けられない。
それでも慎重に歩を進める。
「罠ならもうねえよ」
「普段の素行が悪いから信じられないなあ」
「はは、言ってくれる。普段なんて知らねえくせに」
だが存外、ヴァルカンは何事もなく辿り着いた。青年が腰を下ろしていた大岩の前までだ。
互いに、すでに剣は抜いている。ロサーダは両手でナイフを弄び、ヴァルカンはクレイモア――ではなく、ロングソードに持ち替えていた。
決して侮っているわけではない。素早い相手に大剣では後手に回ることになる。クレイモアは魔獣のような相手か、戦争のような乱戦で薙ぎ払うために使うものだ。
「もう逃げないのか?」
「あんたとふたりきりで話がしたくなってなァ。待ってたんだ」
ロサーダが大岩から腰を浮かせた。
「殺り合いながらでいい。生きてる限りは付き合ってくれや」
ちょうどいい。こちらとしても願ったり叶ったりの提案だ。
ヴァルカンはあえて口にする。
「ロサーダ」
その名を口にしたとき、青年は確かに一瞬だけ動きを止めた。
だがすぐに立ち上がると、岩の上からナイフを構えてヴァルカンへと斬りかかってきた。
「ん~?」
金属音が鳴り響く。
黒い目が愉しげに細められた。
至近距離で競り合う。刃を両手のナイフで挟み込まれているせいで押し切れない。もっとも、まだ押し込むつもりもないのだが。
額がつくほどに顔を近づけ、ヴァルカンは問いかける。
「そう名乗ったのは偶然か?」
青年がナイフを解き、ロングソードの刃を躱してヴァルカンの喉元へとナイフを滑らせた。ヴァルカンはその切っ先を紙一重で躱して踏み込む。
しかしそこにもう青年の姿はない。踏み込みに合わせて側方に回られた。振り抜かれたナイフを、けれども足で蹴り上げて軌道を逸らす。
青年が顔をしかめて数歩後退した。
「あ~。レメアの王族の姓を知ってるってことは、レメアがどうして滅んだかも知ってるってことだよな?」
「恥ずかしながら先日知ったばかりだ」
「……ま、そこらへんはリディリア平原の向こう側でも禁忌だからな」
ファーガスに聞かされたガリアナリス帝国の成り立ちだ。
「帝国でもそうなのか」
帝国はルマ王国、デイドラ王国、山岳都市アルストンからなる三国同盟を骨格とし、他の同規模の国家を次々と無血で併合してできた大国だ。だがその平和的な成り立ちには裏がある。
三国を除くその他の国家が併合を受け容れたのは、三国が併合前の見せしめとして、レメア王国だけを滅亡させたという要因が大きい。断ればレメアと同じ運命を辿ることになるのだから。
「そらそうだろ。汚く卑怯な成り立ちを公然と認める国があるかよ。帝国が焚書に口封じにとあらゆる手段を講じて隠した裏の歴史だ。広大なリディリア平原を挟んだヴァシス王国にその記録があっただけで驚きだぜ。ま、だからこそ、なんだろうけどな」
「やはりキミはレメア王家の生き残りなのか?」
青年が踏み込んできた。鋭いナイフの切っ先をロングソードの刃で弾き、死角から回り込むように薙ぎ払われたもう片方のナイフをも頭を下げて躱す。
「本当のところは知らねえが、周囲からはそう言われてるね」
躱しながら横方向に薙いだ剣が、空を斬った。
速い。ダンブニルの比ではない。
ヴァルカンは眉の高さを変え、切っ先で牽制しながら問う。
「だとしたら、なぜ帝国に力を貸しているんだ。帝国はキミの祖国の仇だろう」
「真偽はさておき、たとえ俺がレメア王家の末裔だとしても、んな何代も前の歴史に怒りなんて湧かねえよ」
その気持ちはわかる。
だが、そうではない者もいるかもしれない。
思考を切り払うように、ロサーダはナイフでヴァルカンの剣を突き下ろし、踏み込みながらもう片方のナイフで胸を突いてきた。
半身を引いて躱し、その勢いを利用して剣を振り上げる。けれども斬撃はナイフでするりと流された。
うまいな……!
この青年、やはり相当な使い手だ。
「ならば周囲に担ぎ出されたか」
「バァカ、んな重要な役割が俺にあんなら、こんな下っ端の汚れ仕事なんざしてるわけねえだろ?」
「む、それはまあ、確かに……」
亡国とはいえ、仮にもレメアの王族だ。レメア復興のために彼を担ぎ上げるつもりなら、命の危険に遭わせるような役割は与えないだろう。
ヴァルカンは眉をひそめる。
「だったらどうしてこんなことを……」
「ヴァルカン、あんたは前提から間違えてる。俺ぁヴァシスの味方じゃあねえが、帝国はもっと違うんだ。やつらは俺にとって明確な敵だ。系譜とは関係なくな」
わからない。その言葉が真実か偽りかさえだ。
だが、気づく。二国間における、その他の可能性に。
「おい、おい……!」
ゆっくりと、徐々に、ヴァルカンの目が大きく見開かれていく。
王国の味方ではなく、さりとて帝国も敵。
だとすれば、第三の勢力が存在しているということになる。
「まさかガリアナリス帝国を弱体化させるためだけに、ヴァシス王国をもう一度帝国にぶつけようとしているのか!?」
「クク、ようやく理解したかよ。剣は鋭いが頭は鈍いな」
初めて。初めてだ。
この青年に言動に、腹の底から怒りを覚えたのは。
「ふざけるな! あのようなくだらぬ侵略戦争で、どれだけの民や騎士が血を流したかわかっているのかッ!! ましてや無関係のトルキア村まで巻き込んで開戦を目論み、悲劇を繰り返そうだなど!」
「はははっ、あの村は気の毒な餌だった! ヴァシスという大魚を釣るためのなァ! 今頃大挙して押し寄せる魔獣どもによって蹂躙されてることだろうぜ!」
もはや斬ることに躊躇いはない。だが第三勢力とやらの情報が必要だ。
可能な限り、生かして捕らえねば。
だが――!
上段から放たれたヴァルカンの振り下ろしを二振りのナイフで受け流し、ロサーダは凄惨な笑みを浮かべた。
加減して倒せる相手とは思えない。
「無関係なふりをするなよ、ヴァルカン! いいか、これはあんたのせいでもある!」
「なに!?」
「あの戦争を終わらせた、英雄ヴァルカン・アンダーウッドの!」
ロサーダのナイフが、それまで以上に苛烈に迫る。
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