何かが起こっているけど何かわからない
不抜の城塞都市イェドラ。
ヴァシス王国の北方に位置し、ガリアナリス帝国との国境線上に建つ、人口およそ十万人の都市だ。王国の守りの要所とされ、高さ二十マーゼルにも及ぶ分厚い防壁とその周囲に造られた幅広の堀により、堅固な防衛力を誇っている。
その堀に掛けられた跳ね橋が、軋みながらゆっくりと下ろされた。
「アンダーウッド子爵のご帰還だ!」
門番がそう叫ぶと、橋が下りきる前から大歓声が響き渡った。
ヴァルカンはこの都市に駐屯する英雄のひとりだ。激戦からの、さらに殿からの生還ともなれば、歓迎ムードになるのは理解できる。
だがこれは、いささかやりすぎではないだろうか、と、当の本人は思う。
「どうなってんだ?」
「うー?」
花吹雪が舞い上がり、喇叭の音が高らかに鳴り響く。
それもひとつやふたつではない。楽団が出ている。戦時中だというのに。
下りた跳ね橋を愛馬に乗ったまま渡っていく。
防壁の内側では、都市に住まう民らがヴァルカンの姿を一目見ようと詰め寄せていた。そうしてヴァルカンを視界に入れた瞬間、老若男女問わず歓声を上げて手を叩いた。
「今日って祭かなんかだっけ……?」
「うー!」
リウは空気に呑まれて興奮しているようだ。
よくわからないが、とりあえず観衆に手を振る。なぜかリウも。
「あー、どーもどーも。恥ずかしながら帰って参りましたー」
黄色い完成が飛んだ。若い女性らが花束を持って詰めようとしているところを、騎士団の若い連中が垣根を作ってどうにか抑えている。新人の騎士たちだろうか。
いい気分だ。なぜかモテている。理由はさっぱりだが。
若い女性らに潰されそうになりながら、若い騎士が俺に視線を向けた。
「うひぃ……! ア、アンダーウッド閣下、リーベルト団長が騎士団詰め所の作戦室にてお、お、お待ちです!」
「おお。ファーガスの野郎も無事だったか。そいつは何よりだ」
興味のないふりをしつつ、ちょっと気取って髪型なんか直したりして。黄色い歓声がさらに増した。
声を掛ける勇気などないが、横目でチェックはする。
あの娘はふくよかでいい。いや、あちらの輝く金髪碧眼のスレンダーな美女もクールな様が――……。
「ん?」
見覚えがあった。自身の隊の副官だ。なぜか町娘らに紛れてこちらを睨んでいる。
「おお、エイメリア! 無事で何よりだ!」
「……」
気のせいだろうか。そっぽを向かれてしまったように見えた。
「か、かかか閣下ぁ、もう抑えが……ッ、お、お早く……っ! ――あン!?」
騎士たちの垣根が潰れた。
途端に若い女性らが騎士を踏みつけながら詰め寄せてくる。まあ、鎧を着てるし、馬の蹄鉄ではなく人間の靴だし、鍛えてる騎士だからあれくらいなら平気だろうが。
口々に感謝の言葉や、武勇を褒める言葉、どさくさに愛を伝えてきたりしているが、声が四方八方から飛び交うせいか何一つまともに聞き取れない。それにリウが先ほどから縮こまり、しがみついてきている。どうやら怯えているようだ。
仕方がない。
「すまないが、通してくれないか」
民衆に怪我をさせぬよう、少しずつ馬を進ませる。
いや、いや、しかし。ただ生還しただけで何だこの熱狂は。まだ戦争は終わっていないというのに、この浮かれっぷり。危険な殿を務め果たしてきたとはいえ、あまりにも。
人混みを抜けた途端、彼らから逃げるように馬を軽く走らせて、ヴァルカンは騎士団の詰め所へと逃げ込んだ。ところが詰め所にまで民衆は追ってくる。
「うぇ!?」
すぐさまやってきた世話係に馬を預けてリウを抱え下ろし、今度は詰め所の建物内へと逃げ込んだ。
さすがに追ってはこられないはずだ。
一息つくと、建物内に詰めていた騎士らに注目されていることに気づく。
「ああ、えっと。アンダーウッドだ。すまないが、勝手に失礼するぞ」
「ええ、もちろん!」
「無事のご帰還、おめでとうございます!」
「閣下は我ら騎士団の誇りです!」
民と同じく視線が熱い。泣いているやつもいる。なぜだ。己がリウを連れているから奇異な目で見られているのだろうか。
詰め寄せてこない分、民衆よりは幾分冷静ではあるものの。
いつになく居心地が悪く感じられる。尻がむずがゆい。
「すまんが、もう少し付き合ってくれよ、リウ」
「うー」
リウの手をつかんで詰め所の廊下を歩いていく。作戦室は入り口から向かって左に歩き、最奥の部屋だ。
すれ違う若い騎士らはヴァルカンを見るなり姿勢を正す。これはいつもの光景だ。けれどそのあとを歩くリウを見て首を傾げた。
古参の騎士らとは気軽に挨拶を交わす。
「むははは、やはりしぶとく生き延びておったか、アンダーウッド卿」
気楽に声をかけてきたのは、立派な髭を生やした同世代の地方領主だ。互いに戦場を駆けた仲間でもある。
「わはは、貴公もな。ウルタニア卿。この歳になると騎士の大抵は引退か殉職だ。互いにせいぜい気をつけようぜ」
「……? ん? 何を言っておられるのだ? ――もしや貴公、まだ知らんのか」
立ち止まって振り返る。
「何を?」
ウルタニア子爵は少し迷ったように視線を揺らしたのち、その髭面ににんまりと意地の悪い笑みを浮かべて、自身の後方に位置する作戦室のドアを親指でさした。
「その目とその耳で直接確かめられるがよい。気づいてなくば、驚くぞ」
「ふむ」
「むははははは!」
そんなご機嫌な笑い声を残して、ウルタニア子爵は歩き去って行った。
リウと視線を合わせてから首を傾げ、ヴァルカンは作戦室のドアをノックする。
「ファーガス。俺だ。入るぞ」
返事も待たずにドアを開く。
簡素な部屋には巨大な地図の置かれたテーブルと、そして奥に執務机がある。そこは古き友であり、長きにわたりこの戦争をともに戦い抜いてきた、城塞都市イェドラの領主ファーガス・リーベルト伯爵の席だ。
だがその椅子に座っていたのは、本来いるべき友ではなく――……。
「……!?」
背筋が伸びた。電撃魔法でも喰らったかのように衝撃が全身を駆け抜け、疲労など一気に意識の彼方へと消し飛んでしまった。
驚愕で言葉が出ない。
「お……え……」
見慣れた友ではなかった。年の頃は三十にも満たないか。貴族的な洋服でもなく、さりとて軍事に着用する鎧や肌着でもない。すらりとした黒のパンツスタイルに、白のシャツ。喉元あたりから垂れる布はタイといったか。そこにジャケットを羽織っている。
昨今このネヴィル大陸の超上流階級の間で流行りだした、モダンスタイルだ。
青年は椅子に座り、不敵に足を組んでニヤけていた。にも関わらず、気品に溢れている。
丁寧に整えられた驚くほどに濃いブラウンの髪に、狼のような黄金の瞳をしている。最前線の城塞都市とは思えぬほどに、清潔感のある様相だ。
「よ、久しぶりだな、ヴァルカン」
「ぅ、あ……。で、で、殿下!? な、なぜこのようなところにあなたが……!?」
ヴァシス王国が国王ハロルド・アレンドラスが長子、ルシャード・アレンドラス王太子殿下だ。
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