浮かれるおっさん
余裕ができた。肉体にも精神にもだ。
正面からの牙を防ぎ、側方から飛びかかってきたダンブニルを蹴り上げた――瞬間、ヴァルカンの軸足を狙って地を這うように迫ったロサーダのナイフを、リウがショートソードで弾く。
「……ッ」
バギンと火花が散って金属音が響いた。
ロサーダが顔をしかめて後退する。それを追撃にしようとしたリウへと、ダンブニルが飛びかかった。だが蹴った足を下ろすヴァルカンが頭部を踏みつけ、逆手に持ったクレイモアでその眼球を、地に縫いつけるように貫く。
「残り十体だ」
「はい!」
リウは我が娘ながら、恐ろしい手練れになりつつある。その上、自身の剣を真似て育ったおかげか、言葉など交わさずとも互いの動きが理解できてしまう。もはやこれは、背中を預けられる、程度の話ではない。
まるで自分の手足が倍に増えたかのような不思議な感覚だ。それどころかリウが見ている景色が自分にも見えるかのようだ。
驚いた。ファーガスやエイメリアとの共闘と比しても遜色ない。
飛びかかってきたダンブニルを力任せに薙ぎ払う。刃で頬を撲たれたダンブニルが割れた鱗と折れた牙を飛ばしながらリウの足下に落ちた瞬間、リウのショートソードが口内へと突き入れられた。
刃が引き抜かれたときには、当然のように絶命している。
なるほど、口内か。考えたな。八つあるとはいえ、眼球よりは狙いやすい。
「お父さん!」
わかっている。背後に迫る獣臭。獣の荒い息に屈んで躱すと、頭上をダンブニルの腹があった。だがリウの警告はこれではない。
腹が通過し、尾が通過する。直後に降ってくる二振りのナイフを持つ男。右手のナイフを剣の根元で、左手のナイフを剣の中心部で受け止める。
切っ先と刃が擦れ、キィと小さな音がした。
「冗談キツいぜ――っ」
「おお!」
振り払うと、ロサーダは後方回転をしながら器用に足をつけて着地、素早く背後に回り込んだリウのショートソードの一撃を、二振りのナイフで挟み込むように受け止めた。
そうして刃――ではなく、軽い跳躍を挟んで右足で後ろ回し蹴りを繰り出す。
「このガキ――ッ」
だがリウは後退して軽々とそれをやり過ごすと、再び地を蹴り踏み込みかけて、けれどもさらに後退した。直後、彼女の立っていた場所を三体のダンブニルが喰らいつく。
ヴァルカンは踏み込み、両手で握りしめたクレイモアで同時に三体のダンブニルを薙ぎ払った。
「ぬおおおおおっ!!」
一体目の前脚両方をへし折り、二体目の頬を撲つ。さらにその二体を、強引に三体目へと叩きつけた。ただ一振りでだ。
大量の鱗がキラキラと宙を舞う。
前脚をへし折られたダンブニルは地に落ち、頬を撲たれた二体目は眼球を破裂させて痙攣、再び立ち上がったのは三体目だけ。
だが、それも。
「やああ!」
立ち上がった直後にリウの追撃によって口内に刃を突き刺され、ぶるりと震えて四肢を折る。
あっという間に残り六体だ。
ちょこまかと動く数が減り、ようやっと見やすくなってきた。やはりファーガスやエイメリアと戦場にいた頃を思い出してしまう。いや、それ以上かもしれない。いわゆる同門というやつだからだろうか。
リウはヴァルカンが的確に欲するところ、欲しいときに、手を出してくれる。だがエイメリアはこちらの想定や想像を上回るせいで、時折驚かされる。
結果的に激戦を生き抜いてこられたわけだから、一概にどちらがどうとは言えないが。ただひとつ確実に言えることは、己はきっと人に恵まれているのだろう。
ああ、俺は果報者だ。妻にも娘にも恵まれた。
……あ、偽装だったわ。
ヴァルカンは視線をロサーダへと向けた。
それにしても、この男。
ロサーダは焦るでもなく、空を見上げて誰にともなくつぶやいた。
「……さすがにここまでか」
「ほう。諦めたのであれば――」
「諦めたなら大人しく捕まりなさ~い!」
ヴァルカンがリウの横顔を見つめる。
俺が言おうとしたのに、と。
まあいい。些細なことだ。
「さあ、武器を――」
「武器を捨てて!」
また……。
空を見上げていたロサーダが肩を震わせた。
そうして堪えきれずに笑い出す。
「ふ、くく、はっはっは」
「――っ!?」
「何がおかしいの!? お父さんの顔!?」
何言い出した!?
いや、いや……。何か妙だ。
まさかまだ裏の手があるのか!?
たとえば空。翼竜。人に従う魔獣ではないと思うものの。
背筋に悪寒を感じ、ヴァルカンは視線を跳ね上げた。
空は大樹の枝葉で覆われて見えない。見えないのだ。
目を凝らす。枝葉の隙間へと。凝視。注視。意識を集中する。
同じくリウもだ。
「わっ! えっ!? えっ!?」
リウの悲鳴にとっさに視線を下げて驚愕した。
煙だ。足下に煙が充満している。それはすでにリウの頭頂部までを呑み込み、さらに高度を上げて、ヴァルカンの顔まで――……。
同じく首から上だけを煙の上に出していたロサーダの目が、ニタリと嗤う。
「ふ、はは、ははははっ! やれ、ダンブニルども!」
「――!」
直後、ロサーダは自ら膝を折って深い煙の中へと姿を消した。
やられた。己もリウも、視線を空へと誘導されたのだ。その間に煙を発する何か、あるいは魔術を使用された。
「こ、これじゃ何も見えないよぉ」
「落ち着け、リウ! 背中を合わせろ! もっとくっつけ!」
「うん!」
ぴたり。
「むふふ……」
「!?」
トトトトトと、ダンブニルの軽い足音だけが響いている。
どこから来る? いや、ダンブニルはどうでもいい。問題はロサーダだ。どこに潜んでいる。視界がすべて白い。ダンブニルの肩高では音しかつかめない。
己よりも身長の低いリウはなおさらのこと。
さあ、どこから来る――?
神経を研ぎ澄ます。
リウを頼ってはだめだ。この子には経験が足りない。
戦時中は霧の戦場など珍しくもなかった。それも赤く染まった鉄臭い霧だ。
思い出せ、あの頃を。
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