暴走娘
誘い込まれた。
魔犬を利用して、この大樹の真下へと。ロサーダは魔獣に命じて、自らは大樹の枝に身を隠し、ただ待っていただけだ。
単純な待ち伏せ。だが確実だ。なぜなら、誰も思わない。この広大な森で、たった一点に自分が誘い込まれるだなどということは。だからこそ効果的なのだ。
いまのは本当に危なかった。
いまさらになって、ドグ、ドグと心臓が跳ね始めた。
冷たい汗が全身を伝う。
「なるほどなあ。魔獣の群れに囲まれれば、大抵のやつは背中を隠したくなる」
ヴァルカンは振り返って大樹の幹を軽く叩く。
「この大樹なんてうってつけだ。ダンブニルを利用して人間が有利となるこの場へとあえて追い込み、俺たちが大樹の幹を背負うことを計算しての奇襲、死角からの落下攻撃か」
相手が魔獣使いであること、そして暗殺者であることをヴァルカンがあらかじめ知っていなかったなら、自身はすでに死んでいただろう。
「肝が冷えたよ」
十一頭のダンブニルはロサーダを守護するように取り巻き、うなり声を上げている。
そのロサーダが覆面の下で顔をしかめるのがわかった。
「せっかく時間をかけて幾重にも施してきた段取りが台無しだ」
なんという悪辣な作戦を立てるのか、この男は。偶然見抜けたからよかったものの、心臓が口から飛び出すかと思った。
だが、敵に弱みは見せてもつけこまれるだけだ。ゆえに、あえて虚勢を張る。
ヴァルカンは肩に刀身を乗せ、ニカッと歯を見せて笑った。
「ふはは、すごいだろう! 俺はすごくすごいんだ!」
焦ったせいで語彙力が失われていた。
覆面から覗く目が、左右で大きさを変える。
「言うな言うな。そういうことは自分で言うな。いまので俺の中でぶち上がってたあんたの格が、だいぶ下がっちまったぜ。いまや靴の裏で踏みしめる地面の高さだ」
「そ、そんなあ……」
軽口をたたき合いながらも、互いからは決して視線を外さない。
ロサーダが覆面の上からでもわかるくらいに口元をねじ曲げた。
「んで、どうすんだ? 見破ったからといって状況がひっくり返ったわけじゃないぜ。依然こっちが有利だ。それも圧倒的にな」
実際その通りだ。
ダンブニルたちは号令を待つように、威嚇のうなり声を出しながらいまにも飛びかからんとしている。
ダンブニルだけならまだいい。素早さはあっても攻撃も回避も直線的。警戒すべきやつらの攻撃は、その鋭い牙による噛みつきだけだ。首の長さから察せられる警戒すべき噛みつき範囲は自ずと絞れてくる。数は厄介でも、やつらの身を隠す草むらのないこの場でなら迎撃できる。
だがそこに二本の腕で二振りのナイフを自在に操る暗殺者が混ざるとなると話はがらりと変わってくる。だからといって逃げようとしたところで逃げ切れるものではない。森に飛び込んだところで、不利になるのはこちら側だ。
大樹を背負ってクレイモアを正眼に構える。
考えても仕方がない。どうせもうやるしかないのだから。
けれど、その前に。
「ロサーダ。おまえは誰だ?」
そうつぶやくと、男の動きが一瞬止まった。
「はは、適当に言った名を律儀に覚えてたのか。ん~……」
時が止まったかのような錯覚を覚えるほど、森が静まりかえる。
しばらくして、男は――距離を見紛うほどの速度で迫り、ヴァルカンの喉をナイフの刃で薙いだ。すんでのところでクレイモアを引き寄せて防ぐ。
鋭い金属音が耳元で鳴り響き、火花が散った。
「――ッ」
「~~っ」
足を持ち上げ押し返すように蹴ったときには、男はすでに後退している。
ロサーダがナイフを構え直すと、彼を守るようにダンブニル数頭が前に飛び出した。そうして男は覆面から見える目を歪める。
「んまあ、殺り合いながら話そうや、アンダーウッド。もしもあんたが最後まで立っていられたら、そんときはすべてを聞けるってのはどうだ?」
ヴァルカンは切っ先をロサーダへと向けた。
「お互い落ち着いて平和的に話すわけにはいかんだろうか」
「やなこった。――狩りの時間だ! ダンブニルども!」
それが皮切りだった。
十二体のダンブニルがほとんど同時に動き出す。
最初の一頭が正面から牙を向き出しにして飛びかかってきた。ヴァルカンは牙をクレイモアの刃で防ぎながら、側方へと回り込んでから襲いきた別のダンブニルの口へと、魔獣革で作らせたブーツを突っ込んで蹴る。
――ギャン……ッ!
同時に刃を噛んだままのダンブニルを振り上げて、その背後のダンブニルへと薙ぎ払いぶつけた。
「おお!」
直後、足下。
影の中。ヴァルカンの足首を刈り取るように、二振りの刃が挟み込む。とっさに足を上げて躱したヴァルカンに、体当たりをするかのようにダンブニルが飛びかかった。
「ぐ――ッ」
屈んで躱しながら、ロサーダの追撃をクレイモアで防ぐ。
まずい。まずい。まずい。
息継ぎすらする暇がない。
ダンブニルの鱗は強固だ。腰を据えた一撃でなければ貫けない。だが、こうも息つく暇もなく攻められ続けては。
「痛――ゥッ」
刃が二の腕を掠めた。瞬間、今度は跳躍したロサーダが上空から逆手に持ったナイフを振り下ろす。それを剣で受け止めると、腹に重い一撃を喰らって吹っ飛ばされた。ダンブニルの頭突き――いや、喰らいつこうとして革製の上衣に阻まれただけ。
もはや大樹を背負う余裕すらない。
振り返り様に薙ぎ払う。ガッと重い手応えがして、鱗を散らせながら横っ面を叩かれたダンブニルが吹っ飛んだ。
だが、致命傷ではない。ダンブニルは四肢を震わせながら立ち上がる。
「おいおい、どうした剣聖様よぉ!? 俺に質問があったんじゃねえのかよッ!? よく回る口が止まってんぜッ!!」
「……ッ」
躱し、喰らいつかれ、振り払って叩きつける。
「何も知らずにそのまま死ぬ気かよ!? ええ、おい!」
革製の上衣から血液がしみ出していくのがわかる。
火花が散る。腹下が熱い。
「援軍なら来ねえぜ。そのためにトルキアに魔獣の群れを流したんだからなァ!」
息が苦しい。これは本当にまずい。
視界が歪む。
痛みを感じて振り払う。
「く……ぁ!」
防いで踏み込み、けれども倒れ伏したダンブニルにとどめを刺す暇もなく、ナイフで引き裂かれる。大丈夫だ、傷は浅い。
「うおおおおおーーーーーーーっ!!」
刃を斬り上げるが、そこにロサーダはもういない。血と汗の玉だけが、勢いで真上に流れていく。刃は風を纏い、けれども虚空を斬った。
「ハッ、んなやけくその大振りがあたるかよ!」
頸部。左右から切っ先が迫った。
とっさに屈んで躱したヴァルカンの顎を、ロサーダの膝が蹴り上げる。
「あぐ……」
ぐにゃり、と歪んだ空が見えた。空といっても、大樹の傘だ。脳が揺さぶられ、視線が地面に落ちる。
辛うじて足を出し、堪えた。
激痛が腕に走った。おそらくダンブニルに噛まれたのだとわかる。牙が肉を貫き骨を軋ませる。だが、振り払うだけの力がとっさに出せない。
膝が揺れる。剣を落としてしまいそうだ。
死ぬ……。
視界は揺れながらもロサーダやダンブニルを捉えているのに、脳裏によぎるのは別の顔だった。
こんなことなら素直にエイメリアの力を借りるべきだった。どうして彼女は俺に付き合ってくれるのだろう。昔からずっと一緒にいた。生き延びられたら、これからもそうだったのだろうか。
俺が死んだら、リウは、ひとりで、生きられる、だろうか……。
「そんなの無理だよぉ!」
空間に散り始めた意識が、その声で覚醒した。
重い。重かった右腕が、突如として軽くなる。頭を振って視線を向けると、喰らいついていたダンブニルが潰れた眼球のひとつから大量の血を滴らせながら、大地に落ちた。
痙攣し、ぐっと身体が伸びる。即死だ。
視線の先には、ヴァルカンを庇うように立つリウの小さな背中があった。
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