飼い犬
ヴァルカンは振り向き様に鋭い牙を剣で受け止め、両腕に力を込めて薙ぎ払った。
奇襲――!
バギンと音が響く。
軽い。ダンブニルだ。
斬ったわけではない。ダンブニルの全身は空中へと投げ出され、背中から大地に落ちて跳ね上がる。だが、強靱な鱗に覆われた肉体にダメージはない。
その周辺には別の個体が見え隠れしている。
何かが息を潜め、自身を狙っていることには気づいていた。だが、数までは正確に把握できてはいなかった。思いの外、多い。
ヴァルカンは舌打ちをして走った。
「頑丈だな」
叩きつけられたダンブニルはしかしすぐさま起き上がり、大地を蹴った。首筋への喰らいつきを身を屈めて躱して樹木の幹を背負った。
息を整える――間も与えられず、別のダンブニルが側方の茂みから飛び出してきた。
「――っ」
牙を剣で受け止める。だが咥えこんで放さない。鋭い牙が眼前にある。涎を垂らしながらの荒い呼吸が臭い。
――ガフッ、グゥゥゥ!
「そのまま放すなよッ」
剣を咥えたダンブニルごと高く持ち上げ、全力で地面へと叩きつけた。
――ギャゥ……ッ!
さすがに剣を放し、のたうち回るも、それでもダンブニルは四肢を震わせながら立ち上がった。
だがその視線の先に、すでにヴァルカンはいない。
走る、走る、走る――!
小型魔獣の大移動を目撃してから、しばらく。
進む方角が正解であるかのように、ダンブニルの群れに囲まれていた。今度はレヴニーを追う役割ではなく、明確に追跡者を排除するという役が割り当てられているようだ。
移動と迎撃を繰り返す。
彼らはレヴニーのように、一斉に飛びかかってはこない。決して無理はせず、獲物を追い立て、疲労するのを待ち、安全に狩る。そう訓練されているようだ。
人間よりも遙かに速く走り、ナイフのように鋭い牙と、鎧のような鱗を持つ、八つの目の不気味な犬。
その群れに襲われながら、ヴァルカンは駆ける。
眼前の茂みが揺れた。いつの間に回り込まれたのか、一体のダンブニルが飛び出す。
「邪魔だ!」
だが予測をしていたヴァルカンは、その頭部へと刃を叩き下ろしていた。
鱗の欠片が散らばり、ダンブニルが顎から大地へと叩きつけられて鳴く。その身体を踏んでさらに走る。
剣を振るって牙を防ぎ、隙を突いて刃を振り下ろす。鱗が弾けてダンブニルは地に伏せるが、叩きつけられ跳ね上がったと同時に再び牙を剥く。
鱗が硬い。こういった敵は剣より鈍器の方が効く。エイメリアの助力の申し出に甘えるべきだったか。
腰まで覆うシダ植物が邪魔だ。視認性が悪すぎる。このままではいずれ負ける。
見え隠れする魔獣。全方位に神経を配らねばならない。加えて足下の岩に張りつく苔にも気を払う。滑って転べばあっという間に骨だけにされてしまいそうだ。
躱し、反撃し、逃走する。
少しでも有利な場所へ。
どれくらい追われていただろうか。ひときわ大きな樹木があった。幹は他の大樹を遙かに凌ぎ、堂々とした佇まいで枝葉を傘のように広げていた。
その傘の下となる周辺には光が届かないためか、他の樹木はなく、膝上程度のシダ植物だけが蔓延っている。
ちょっとした広場のようだ。
ここなら――!
ダンブニルはレヴニーよりも体躯こそ小さいが、速い。とにかく俊敏で、持久力も桁違いだ。ヒトの足では到底逃げ切れるものではない。
さらに悪いことに、森では肩高の低さから藪に隠れてしまい視認性も悪い。そうなってしまえば、どこから飛び出してくるかもわからない。
だがこの大樹の下ならダンブニルが身を隠せるような深い藪はない。
大樹の幹を背負ったヴァルカンは素早くロングソードを納めて、長い重い大剣を背中から抜剣した。
足を止めて頑丈な魔獣を討つなら、こちらの方が適している。斬るのではなく、叩き潰すのには。
――ガアァウ!
――グウゥゥ!
周囲の茂みから大樹の広場へと次々とダンブニルたちが飛び出してきた。そうして大樹を背負ったヴァルカンを包囲し威嚇する。
――ガアアアァァ!
「十、十一、十二体か」
ようやく群れの全貌が見えた。
ここまでよく逃げられたものだと、我ながら関心する。そこまで考えて、違和感を覚えた。
「逃げ……られた……?」
かぶりを振る。いまは余計なことを考えている場合ではない。目の前の敵に集中せねば。
焦りはない。相性が悪くとも、姿が見えていさえすれば対処は可能だ。
少なくともリウなら余裕でやってのけるだろう。ああ、また余計なことを考えてしまう。
左足を少し前に出し、右足を引く。
背中は気にする必要はない。大樹が守ってくれる。
「ふぅー……」
一体のダンブニルが唐突に襲いかかってきた。
同時にヴァルカンが上段からクレイモアを振り下ろした。牙が届くよりもずっと早く、刃がダンブニルの頭部へと叩き落とされる。右四つ、左四つの目、その中央へと寸分違わぬ位置へと。
「おお――ッ!!」
ドン、と音が響いた。
頭部の鱗が弾けて割れ、顎から大地へと叩きつけられたダンブニルが、刃の重みに押し潰される。
派手に血肉が爆ぜた。
地面に残されたのは、首から上のない魔犬の死骸だ。
「一体目。……これで退いてくれりゃ無駄な殺生はせずに済むが」
ヴァルカンは静かにつぶやき、素早くクレイモアを構え直した。
くるりと回転させて、切っ先を最も近い位置にいたダンブニルへと向ける。
わかったはずだ。力の差は見せた。
野生の群れであるならば、これで退く。力の及ばない敵に自ら挑むことはない。だが、このダンブニルの群れは、それでも牙を剥いて威嚇する。戦意を失ってはいない。
命じられているからだ。ロサーダに。
「やはり飼い犬か」
残り十一体。
幸か不幸か、ここは反撃することにおいては、とても都合のよい場所だ。ダンブニルは手強い魔獣だが、この場所でなら、時間をかければ確実に仕留めることができる。
そう。ここでなら。
だからこそ――。
ヴァルカンはダンブニルから視線を切った。先ほど覚えた違和感だ。素早く周囲の状況を見回す。
首筋にわずかな痺れ。
その目が徐々に見開かれていく。
風……。
……葉擦れ……。
視線を跳ね上げた。初めて小型魔獣から視線を外した。本来であれば自殺行為であるにもかかわらず。
瞬間、理解したのだ。違和感の正体を。
魔犬を使って自分はこの場に誘われたのだ、と。
罠か――ッ!!
ぶわりと全身から汗が浮いた。
大樹の枝から黒い何かが落下してきている。二振りの短剣の輝きを、軌跡のように残しながら。
その切っ先がヴァルカンの両肩へと突き刺さる寸前。
「おお!」
ヴァルカンはクレイモアの刃を無我夢中で振り上げていた。
ギィンと鋭い金属音が鳴り響き、激しい火花が散る。
瞬間、互いの視線が交叉した。
黒い瞳――! ロサーダか!
やつは黒衣を纏っていた。あのときのローブではない。
黒い目出しの頭巾、というより覆面か。シンプルな黒の短衣に、ゆとりを持たせた膝下までのズボン。隠密用、闇に紛れるための服装だろう。
跳ね返されたロサーダは身軽に空中で後方回転をしながら、静かに着地する。ダンブニルの群れの中央にだ。
そうして、つぶやく。覆面の下で口を動かして。
「何度も何度も驚かされる。これも防ぐのかよ、ヴァシスの〝剣聖〟は」
そう言って、ロサーダは目を細めた。
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