あなたはいつもずるい
朝食を取りながらヴァルカンは、今朝方早くに伝令騎士が持ってきた封書の中の手紙に目を通していた。
内容は、昨日報告した男に関するものだ。要するにリーベルト伯爵名義で正式にファーガスから、工作員捜索への救援要請がきていた。
その険しい表情にエイメリアは尋ねる。
「何かあったの?」
「ちょっとな」
それだけだ。詳細は口に出さない。
なぜなら食卓には三人がついているから。ヴァルカンとエイメリアだけならともかく、愛しき娘のリウもいる。
「朝ご飯おいしいね!」
「あなたはいつ何を食べてもおいしいでしょ」
「うん! 好き嫌いない! えらい?」
「えらいぞ、リウ。おまえの食欲は天才だ」
このような場で詳細を口にして、先日のように暴走されてはたまらない。
相手は剣士ではない。魔獣使いの暗殺者だ。リウは確かに剣の腕は立つ。それこそ〝剣聖〟レベルにだ。だが、圧倒的に経験が不足している。
騎士とは違い矜持もなく、奇策に奇襲と何でもありの暗殺者を相手にするなど危険過ぎる。それ以上に本当は対人などに手を染めて欲しくないというのが本音だ。
誰だって初めて人を斬ったときには、自身の中の何かが不可逆に変化するものだ。
「お父さん今日も騎士団宿舎だよね?」
「そうだよ」
「やった! 一緒に行ける!」
リウが嬉しげにそう言うと、エイメリアが呆れたように笑った。
「あんた、ほんとにお父さんのこと好きね~」
「うん、好きーっ」
ヴァルカンの鼻の下が伸びた。
なんて素直な子なのだろうか。願わくばいつまでもそういうふうに生きて欲しい。俺だけを見ていなさい。うん。
エイメリアが口元をナフキンで拭ってつぶやいた。
「ヴァルカン、わたしの手は必要?」
「む?」
何かを言おうとして、しかしヴァルカンは口をつぐむ。
リウの前だ。口に出すわけにはいかない。
長年、ともに行動をしてきたゆえだろう。エイメリアはヴァルカンのその態度に、視線をリウへと向ける。
「ほら、遅れるわよ。学校の準備はできてるの? お弁当は詰めた?」
「あ! わっすれ――!」
朝食を口に詰め込んだリウが、食堂から勢いよく飛び出していった。その様子を見てクスクスと笑いながら、メイドらが皿を片付け始めた。
ブラウンの髪を三つ編みにしたメイドが、片付けながらヴァルカンに笑いかける。
「リウお嬢様はいつもお元気ですね」
「まったく。跳ねっ返りで困るよ。ああ、ミアくん」
「はい?」
メイドのミアが首を傾けた。
近所に住んでいる素朴な娘だ。いつも三つ編みをしている。
「今晩は俺の分は不要だ。おそらくまた数日帰れない」
「承知いたしました」
「わたしも」
聞き捨てならない言葉がエイメリアから発せられる。
「リウの分だけでいいわ」
「ええ、はい……」
少し戸惑ったように、ミアはヴァルカンに視線を向けている。
「ミア、すまんが席を外してくれ」
「しゅ、修羅場……!?」
ミアの言葉に、同時に反論した。
「違うよ?」
「ちーがーいーまーすーぅ」
ミアは若干引いたような愛想笑いを浮かべながら、逃げるようにそそくさと食堂から出て行った。
ゴシップ好きで困ったものだ。
彼女の姿が完全に見えなくなってから、エイメリアはヴァルカンに向き直る。
「リーベルト伯爵の封ということは、例の件に対する追加要請でしょう」
「そ――」
隠しても無駄だ。だてに長く副官をやっていない。
ヴァルカンはうなる。
「むう。そうだが、キミにはリウについていてやって欲しい」
「魔獣使いの暗殺者でしょう? 本当にグラズヘイガ一体だと思ってる? レヴニーを人里にけしかけるにはそれで十分だったというだけの可能性は考えた?」
「や、その……」
確かにそうだ。グラズヘイガが複数体いても不思議ではない。
「リーベルト伯爵は別格としても、普通の騎士を頭数に入れるのは賛同できません。むしろ無駄に犠牲を増やすだけです」
口調が変化した。
騎士団時代のようで嫌だと思うようになっている自分に驚く。
「む、う……」
「わたしがいれば損害を最小単位まで減らせます」
そうだろうけれど。
人間の魔術師とは系統の違う先天的な精霊魔法に加え、後天的に得た回復魔術。どちらも大いに助かる。メイスを振らせるだけでも並大抵の騎士など鎧ごと破壊できるだけの力と度胸、加えて冷静な判断力もある。
わかっている。わかってはいるが。
「あなたの任務の補佐をすることがわたしの使命です」
「それは騎士団時代のだろう。俺たちはもう団から抜けているのだぞ。キミに使命などないし、なんなら俺はファーガスの要請を断ることだって自由だ」
エイメリアがヴァルカンの鼻先に指を立てる。
「いいえ、あなたは断らない。他人を見捨てられない。それに、隊長と副官ではありません。夫の補佐も妻の役割です」
「それだって偽装だろ。命を懸ける理由にはならないよ」
ぴくり、とエイメリアの瞼が痙攣した。
そうして両手を腰にあて、ヴァルカンに詰め寄る。
至近距離で彼女の顔を見ると、本当に綺麗だ。怒っていても。
「それはヴァルカンがさっさと入籍しないからでしょう!」
「だ、だって、そんなことしたら、リウが独り立ちしたとしてもエイメリアの人生に汚点が残っ――」
「そんなん死ぬほどどうでもいいわ! あ~も~……」
目元を片手で覆って、エイメリアが首を勢いよく振った。絹糸のような長い直毛がさらさらと揺れる。
「わかってくれ。もう軍の活動などに手を染めて欲しくはないんだ。それに今回の件で万が一があったとき、どちらかが残りリウが成人するまでは育ててやらねばならん。それが親としての……たとえ偽装家族だとしても、正しい役割だと俺は思う」
エイメリアは額に手を当て食卓に肘をついた。
表情が見えない。だが、何を言うにしても彼女に誤魔化しは通用しない。どうせ簡単に見破られるのだから。
だからヴァルカンは本音を口にする。静かに。
「……俺はさ、リウと同じくらい、キミにも幸せになって欲しいんだ」
エイメリアの様子に変化はない。
だが、しばらくして。両手で絹糸のような髪をくしゃくしゃにしたエイメリアは、真っ赤に染まった顔をほんの少しだけ上げた。
そうして蚊の鳴くような声で囁く。
「……あなたはいつもずるい……」
その何とも言えない湿ったような表情に、ヴァルカンは気圧された。胸が妙にざわついてしまって言葉がうまく出ない。
しばらく睨まれて。
エイメリアはため息とともに表情を戻し、肘をついていた体勢からいつもの綺麗な姿勢へと戻った。くしゃくしゃになっていた髪すら、すでに直毛に戻っている。
まるで絵画のように美しい。
「二日だけ待ちます。三日目にあなたが帰ってこなかった場合は、リウを連れてでもアーレンドラスの森まで迎えにいくから」
ここが落としどころか。
その言葉にヴァルカンはうなずくのだった。
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