子どもの成長は早い
無我夢中だった。
包囲網を抜けると同時に、いくつもの矢と魔法が飛んできた。だが幸運にもそれらは、ふたりと一頭に命中することはなかった。
やがて敵の追っ手を完全に撒いたヴァルカンは愛馬を休ませるため、川縁で逃走の足を止めた。
鞍を外して野性の姿に戻し、愛馬を自由にする。繋いだままでは追っ手に見つかってしまうからだ。それにこの馬は賢い。呼べばちゃんと戻ってくる。
愛馬はしばらく川辺で水を飲むと、近くの草むらで草を食べ始めた。
赤ん坊を腹にくくりつけていたベルトを外し、懐から取り出した生温かい革袋から水を飲む。
「飲む?」
「ぅー?」
革袋の口を赤ん坊の口に持って行って、少しずつ水を流してやると、赤ん坊は喉を小さく動かして飲み始めた。
しばらくすると、赤ん坊は革袋から口を離した。
「ミルクじゃなくて悪いなあ。王都に戻るまで我慢してくれ。そうだな~――」
ヴァルカンは夕暮れ時の空を見上げてつぶやく。
「今日中の帰還はもう無理だな。日が暮れると何も見えん。かといって火を使ったら見つかるだろうしなあ。てなわけで今日は大陸がベッドだ。どうだ、広くて最高だろ?」
「うぅ」
ヴァルカンには赤ん坊がその言葉を聞いているかのように見えた。くりくりとした丸い目で、こちらを見ていたからだ。
あらためてよく見れば、珍しい色の瞳をしている。右は黄金色で、左は白銀色のヘテロクロミアだ。まだ短い髪は白金色か。
まるで宝石のような赤ん坊だ。そんなことを考えた。
「都合良く洞窟でもありゃよかったんだが……」
草原の川縁だ。なるべく大きな岩の陰に腰を下ろした。ごつごつしていて尻が痛い。
ツヴァイヘンダーを横に置いた。手を伸ばせば届く場所だ。
「こっちおいで」
「ぅー」
足場が悪いせいか、赤ん坊がハイハイでやってきた。
「頭いいなあ。まるで俺の言葉がわかってるみたいだ。おい、おまえはどこの子だあ?」
「ぉーぉー、あーうぁ」
「こっちは何言ってんのかさっぱりだ。負けた気がするな」
「ぉぉ……ぅぁぃ」
両手を伸ばして隣に引き寄せ、背中を支えながら胸を押してそっと転がした。
その横で自身も寝転がる。
瞬間、手足が痺れた。どうやら自覚していた以上の疲労が蓄積していたようだ。眠気がやってくる。
「……寝心地は悪いけど勘弁してくれよ……。……あと、俺から離れるな……」
「ぅぅ?」
言った側から赤ん坊はヴァルカンに手をついて立ち上がる。けれど、どこへ行くわけでもなく、ヴァルカンの腹の上へとよじ登ってきた。
そのままそこでうつ伏せに寝転がる。
「ぅぃぃ。ぁ、ぁ」
何かを言いたいらしいが、さっぱりわからない。
睡魔に襲われながらも、至近距離で見る赤ん坊の顔に思わず苦笑した。
「……まったく……図々しいやつだよ……。……こっちは疲労困憊で体中痛いってのに、ひとりだけ極上のベッドだもんなあ……」
頭に手を置いて撫でると、ふわふわの髪の感触が心地よかった。丸くてかわいらしい頭だと思った。ほっぺなど、触るとぷにぷにだ。
女の子かな……?
手触りを楽しみながら目を閉じる。そうしてしばらく、両者の寝息が聞こえ始めたのだった。
こうして夜は静かに更けていく。
だから――。
いない。腹の上にあったはずの重量が消えている。
それを自覚した瞬間、ヴァルカンは飛び起きていた。背中が痛む。
「~~っ!?」
強く撲たれた上に河原で眠っていたのだから。
明るい。太陽はすでに昇っている。
どうやら夕暮れからぶっ通しで、朝まで眠りこけてしまっていたらしい。
しまった……!
赤ん坊の姿がない。どこにもいない。
「ああ、くそ。まずいぞ」
幸いにも、大規模な両軍のぶつかり合いがあったことで草原に棲む魔獣は息を潜めている。だが本来ここらへんは魔獣が多発する危険地帯だ。だからこそ戦地に選ばれていた。
あんな赤ん坊がひとりで歩いていたら、一日と保たない。そうでなくとも保護者なしで生きていける年齢ですらない。
ヴァルカンはツヴァイヘンダーをつかんで立ち上がり、慌てて周囲を見回した。
大声で呼ぼうとして、赤ん坊の名を知らないことに気づく。
「~~っ!! だあ、もう!」
ガシガシと頭を掻いて、とりあえず声を上げることにした。
賢い子だ。聞こえる位置にいさえすれば、自力で戻ってくる可能性もある。
だから、胸いっぱいに空気を吸って。
「お――……」
いままさに叫び声を上げかけたとき、何者かの気配を感じて背後を勢いよく振り向いた。
少女がいた。十歳くらいか、いや、あるいはもう少し下か。薄汚れた子供用のローブを纏っている。
「お?」
「……お? おー。あいや、その~――」
誰だ? 赤ん坊もそうだったが、なぜ戦場にいる?
あんぐりと口を開く。
だが次の瞬間、ヴァルカンは頭を左右に振って早口で少女に尋ねていた。
「ここで赤ん坊を見なかったか!? ええっと、姿はキミと同じような白金色の髪に、これまたキミと……同じように……左右で違う色をした……珍しい……瞳……………………?」
言葉を言い終える前に、ヴァルカンは自身の吐いた台詞と目の前に立った少女の容貌に自ら首を傾げる。
いや、いや、馬鹿な。偶然だ。そのようなことがあり得るわけがない。だが、しかし。あまりにも。面影が。
そうして少女を指さして。
「え?」
少女もまた、ヴァルカンと同じ角度に首を傾げた。
自らを指さしてだ。
「え?」
そうして彼女はにんまりと笑ったのだった。
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