仮面卿
アーレンドラスの森とトルキア村との間には、騎士団が築いた簡易の木柵がある。その手前はレヴニーの死骸こそ片付けられているものの、地面は妙に湿り、異臭を放っていた。
ようやく死骸の処理だけは済んだようだ。
ヴァルカンは炎の明かりで照らされている木柵へと駆けていく。頑丈に組まれた柵だ。外側には穂先のように尖らせた丸太を斜めに向けて固定し、簡単には近寄れなくしている。当然、柵の前には溝が掘られていた。
騎士たちがヴァルカンの姿を認めた瞬間、木柵付近がにわかに騒がしくなった。すぐさま戦闘態勢を取っている。横に広がり、木柵の内側から長槍で突く。そんなところだろうと見ていてわかった。
だからあえて先に声を掛け、騎士たちへと向けて手を振る。
「けが人だ! けが人を連れてきたぞ!」
慌ただしく迎撃の準備に奔走していた騎士たちの動きが止まった。
「おい、人間みたいだぞ。警戒を解いて構わん」
「だが森から出てきたぞ。姿もよく見えん。賊の可能性は?」
「ないだろ。騎士団が駐屯してる村だぞ。狙うなど自殺行為だ」
「深夜の森は立ち入りを禁止していたはずだ。どこの馬鹿だ」
「第三小隊の生き残りかもしれん! とにかく入り口を開け! 何者であろうと一名なら問題なく処理できる!」
木柵の一部が扉のように開かれた。
ヴァルカンはそこを走って通り、近くにいた騎士に、気を失っているルーネスを肩から下ろして預けた。
「けが人だ。森で倒れていた。ルーネス・ガランドルフという者だ」
騎士たちがざわめく。
「な――っ!? ガランドルフ! 生存していたのか!」
「行方知れずとなって三日だぞ! 奇跡ではないか!」
「すぐにリーベルト団長に知らせろ!」
「担架の手配だ! 急げ!」
長槍を持っていた騎士がひとり、トルキア村の方へと走っていった。
ヴァルカンは呼吸を整えると、地面に直接置かれた小さなテーブル上の革袋を手に取った。予想通り水だ。
「悪いがもらう」
「え……」
一気に煽る。渇いた肉体に水が染み込んでいく。残りは火照った肉体に頭からかけた。
すべて使い終え、革袋を戻す。
「よし、ガランドルフは確かに預けたぞ。ではな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ああ、えっと、仮面卿! 森に戻るのか!?」
悪くない呼び名だ。だがいまはそれどころではない。
ヴァルカンは早口に吐き捨てた。
「まだ用がある」
「用って……。あんた、名は? なぜそんな格好をしている? なぜ森にいた?」
応じている時間が惜しい。
さりとて騎士団に追われては被害が広がってしまう。
ヴァルカンは懐から狩人ギルドのプレートを取り出し、近くにいた騎士に投げて渡した。
「アルカン? 狩人ギルドのアルカンだな?」
「その免状が本物か偽造かは村にいる狩人に尋ねろ。時間がない。もうひとり救わねばならんやつがいる。だが、あんたたちは来るな。足手まといだ」
「なに!? 我らを愚弄するのか!? たかがレヴニーごときに手こずる我らでは――!」
殺気立つ騎士たちを意にも介さず、ヴァルカンは続ける。
「レヴニーではない。森の地形が変化してしまうような魔獣が現れている。第三小隊を不明にしたのはそいつだ」
「なんだと!?」
この情報が伝わっていないということは、ルーネスのいた第三小隊はまだ森か。
いや、気の毒だがもう……。
だがそれを伝えている時間はない。すべてが終わったあとに、ルーネスを発見した場所から周辺を調べてみるしかない。
「その魔獣がレヴニーを追い立てていた可能性が高いと、ファーガ――リーベルト……団長に伝えろ。詳しくはガランドルフ殿が意識を取り戻したあとに聞け」
これ以上は無駄だ。
それにファーガスがここへ現れたら、さすがに仮面だけでは誤魔化せないだろう。
様々な質問が騎士の口から飛び出す中、ヴァルカンはそれらには答えず走り出した。今度は森の方へとだ。
近づくほどに、異様さがわかる。
鳥も、魔獣も、翼あるものはどんどん空へと逃れていっている。樹木は次々と倒れ、地響きが近づいていく。
大丈夫だ。まだリウが動いているからこそ、震動が続いているのだから。
森に入ればあらためて異様さに気づく。
生物の気配がない。動物も魔獣も鳥も虫ですらもだ。すべてが息を潜めている。あるいは逃げてしまった。巨大な魔獣の立てる音以外のすべてが、消えている。まるで死の森のように。
レヴニーが数体、死骸となって転がっていた。
必要最小限の傷。頸動脈のある箇所を小さく裂かれている。かなり新しい死骸だ。
当然、自身が倒したものではない。
違和感を覚えて立ち止まり、手で触れる。
「まだ温かい……。リウの仕業……か?」
ショートソードで頸動脈のみを……?
可能ではある。可能ではあるが、狙ってそうする必要性は……?
頭を振って立ち上がり、再び走り出した。
それよりも。いまは森の奥へ。もっと奥へ。震動のする方へ。
生物なき森と化したにもかかわらず、走るほどに震動は続いている。大樹が軋み、大地が悲鳴を上げている。
ふいに空からの光が失われた。
ただでさえ遮断した月光くらいしか射し込むことのない夜の森が、暗闇に閉ざされた気がした。
ヴァルカンが見上げた空に、光はなかった。黒だ。黒いものが月も星も覆っていて。
息を呑み、そして……本能的な恐怖に駆られた。
「――っ!?」
直後、とんでもない震動が起こった。
大地が爆破されたかのように破裂し、木々そのものが小枝のように弾け飛ぶ。走ることは愚か、立っていることさえできず、ヴァルカンは大樹にしがみついた。
震動は一瞬だ。夜空から射し込む光も戻った。
いま、何が起きた。
わかっている。魔獣が跳躍しただけだ。だがそれは空を覆うほどの巨体で、月光も星の光も遮って闇に落とし、着地で大地を割るほどの重量だった。
到底、人間にどうにかできるものではない。
――ギャアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
大音量の甲高い咆吼が、ある種凶器のように空間を震わせ、思わず耳を塞いだ。
「ぐあ……っ」
音波の衝撃が全身を貫き、大地に蔓延る森の草木を薙ぎ倒していく。頭蓋の中に残った音が反響し、軋むような痛みに顔をしかめた。
まずい。やはり未知の魔獣か。
だが、だからといってリウを見捨てる理由にはならない。最悪、かっ攫って逃げるだけでもいい。
再び走り出す。
やがてヴァルカンはその姿を目にする。
人型。暗黒色。大樹のような体躯は、4、いや、5マーゼルといったところか。1マーゼルと少ししかないリウの身長など、足の臑あたりだ。巨獣と赤子ほども違う。
筋骨の肥大した腕は異様に長く、人型でありながら四つ足のように森を破壊しながら駆けるバケモノ。全身は黒い毛で覆われ、闇に紛れてしまう。
木々を避けることもせずに薙ぎ倒して進み、右へ左へと素早いステップを踏み、虫けらを潰そうとしているかのように、両腕を何度も大地へと叩き下ろしていた。
魔獣、いや、魔猿か――!
その足下を、傷だらけのリウが駆ける。
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