教育が行き届きすぎた娘
時間がかかる。
リウと、そして自身が大暴れし、大量のレヴニーを処理してきたとはいえ、アーレンドラスの森は暗く深い。つけた目印を辿るのも大変だ。
だというのに、リウは先に立って迷いなくスタスタと歩いていく。
「リ――ああ、えっと、娘。時折、大樹の幹に印を刻みながらきた。指し示す方角に向かえばトルキアに戻れる。だからまずは印を探せ」
「大丈夫だよ。わたし、道を覚えてるから。そのためになるべくまっすぐに走ってきたの」
道!? 嘘だろ。どこもかしこも同じような景色、それも闇の中だというのに。しかもまっすぐって、そんな理由だけで大群を避けもせずに突っ切ってたのか。さすがに嘘だろうと思いたい。
いや、しかし。
大樹の幹。時折見つける自身が刻んだ印と同じ方角に、リウは歩いていく。
ほんの少し進行方向を変えたと思えば、必ず避けるべき岩石や沼がある。こんなにも暗いのに、正確に回避しているように見える。
思えばリウは、森で目撃した当初からまっすぐにこの騎士が倒れている場所を目指し、夜の闇の中をとんでもない速度で走り続けていた。
……どうやら真実のようだ。怖っ。
「おまえもしかして、闇の中でも目が見えているのか?」
「昼よりは見えづらいけど見えてるよ。でもやっぱり、あんま変わんないかなあ」
「そ、うなのか……」
ヘテロクロミアの瞳。左の金と右の銀。
そうか。なるほど。
リウの強さの一部が理解できた。
目だ。目が異様によいのだ。動くものを捉えるときも、遠くを見通すときも、闇の中にいてさえも。
「でもわかんなくなっても死骸を辿れば大体わかるよ。わたしも結構駆除しながら走ってきたけど、お父さんはもっと多いね。さすが!」
残念ながら、それは周囲がろくに見えなくて回り道をしまくってきた結果の副産物に過ぎない。それに、たぶん実際にはリウの方が倒した数は多いと思う。
でも愛する娘が褒めてくれているから甘んじて受け容れよう。
「ふふん、まあな」
しかし、思えばそうだった。
剣を教えていたときにも、手取り足取りしながら型を覚えさせたわけではない。懇切丁寧に口で解説したわけですらない。リウはいつだって目で見て身体で真似て覚えていた。
目だけではない。それを完全再現できるだけの理解力を持った頭脳も、再現を容認できるだけの肉体も優れている。
すべての才覚に溢れている。
誇らしい。同時に恐ろしい。
俺は何に勝とうとしているのか。
今日まで辛うじて勝てていたこと自体が、もはや奇跡なのかもしれない。
だが、いや、しかし、それでも彼女の心地よい尊敬を失うわけには――……。
「お父さん」
「おん?」
呼ばれて正気に戻った。
リウの指さす方角、木々や生い茂った植物の隙間から、微かな明かりが見えてきている。トルキア村だ。
直線距離なら、さほど離れてはいなかったようだ。
「もう少しだぞ、ルーネス殿」
「……」
返事をする余裕もなさそうだ。
それに、己の肩から胸に垂れた彼の両腕が、ぐったりとしている。もはや意識を保っているかどうかすらあやしい。
急がねば。
「お父さん」
「なんだ?」
「何か変だよ」
これまで先導していたリウが立ち止まり、ヴァルカンの後方に視線を向けていた。言われて気づく。
後方、森の奥。樹木が軋む音がしている。いや、それどころか倒れているような音だ。
まだ遠い。
「レヴニーか?」
「わかんない」
ルーネスが呻くように言った。
「……私を……置いて……逃げるんだ……。……やつが……くる……」
やつ。先ほどルーネスが言っていた、巨大な魔獣か。
「……私が……いては……逃げ切れ……ん……。……置いて……行け……。……時間は……稼ぐ……」
背中から下りようとして、ルーネスが全身を震わせた。よほどの激痛のようだ。ルーネスの汗がヴァルカンにも伝う。
「無理だ。動くな。その必要はない。多少の痛みは我慢されよ、ルーネス殿。――走るぞ、リウ!」
「うん」
リウ。そう名を呼んでしまったことに、ヴァルカンは気づかない。
森を振り返っていたリウだったが、すぐさま走り出したヴァルカンに追いつき併走を始めた。
「お父さん!」
「わかってる!」
地響きだ。遠くから確かに震動が伝わってきている。樹木が薙ぎ倒されているかのような震動だ。しかもあろうことか、正確にこちらへと近づいてきている。
速い。地響きの大きさから、すぐ背後にいると錯覚さえ引き起こしてしまう。
「なんだこれ!?」
樹木が軋み、倒れる。
もはやそれが振り返れば目視できてしまう距離だ。
巨大な魔獣とは聞いていたが、あのように樹木をへし折りながら来るとは、いったいどれほどの体躯なのか。想像を遙かに超えていることだけは確かだ。
「まずいな」
無理だ。とても逃げ切れない。歩幅が違いすぎる。それにこんなものを引き連れてトルキア村に入れば、それこそ村は壊滅だ。
相手がレヴニーならばともかく、騎士団とてこのような魔獣では迎撃の準備が整わない。
「お父さん」
「いいから走れ! おまえは先に行って騎士団に応援を願え!」
「わたしが魔獣の気を引くから、ルーネスさんをトルキア村まで連れて逃げて」
その言葉に血の気が引いた。
教育が行き届きすぎたのだ。貴族の義務とはいえ、本来たかだか十歳そこらの子どもが背負うものではない。尊敬してもらいたいがため、いつだって自身を偉大に見せてきた。そのツケがいまこの最悪のタイミングで回ってきた。
「馬鹿なことを抜かすなッ!! それはおまえの親である俺の役目だッ!!」
「わたしじゃルーネスさんを担げないよ!」
力はある。あるが、体格が足りていない。
一刻を争うようなルーネスのこの状態では、もはや引き摺って生還できるものではない。だが、ああ、娘を置いていくなど道義に反する。
違う。道義などどうでもいい。嫌だ。ただ嫌なのだ。失うことが恐ろしい。
「お父さん。迷ってる時間はないよ」
「~~っ」
ルーネスを見捨てるか。
そのようなことをしては、リウはもう二度と己に尊敬のまなざしを向けてくれることはないだろう。自身もまた、罪悪感で娘の目を見る勇気を失いそうだ。
ああ、ああ。正しく育てすぎたのだ。正しく親であろうとしすぎたのだ。子など育てたこともないくせに。
ヴァルカンの狭い視界にも、森の入り口が見えてきた。
これ以上この魔獣をトルキア村に近づけるわけにはいかない。振り返れば樹木が次々と吹っ飛び、踏み砕かれている。
歯を砕きそうなほどに食いしばり、ヴァルカンはその隙間から言葉を漏らした。
「絶対にまともに相手をするんじゃないぞ。俺が戻るまで逃げ続けろ。これは絶対だ。いいな?」
「わかった! まかせて!」
その瞬間、リウはヴァルカンの隣で反転し、息づかいの聞こえ始めた巨獣の方へとすさまじい速度で駆け戻っていった。
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