遠足から脱走したらしい
ヴァルカンは夜の森で頭を抱えていた。目の前で怪我をしている騎士を手当する娘に、視線だけ向けながら。
リウの通う王立ヴァルナ学園初等部の遠足は、トルキア村での農業実習だったらしい。だが知っての通りトルキアは現在、森から溢れ出てくるレヴニーらの対処のため、騎士団関係者や狩人ギルドの関係者以外は丁重にお引き取り願う状況だ。
ではなぜヴァルナ学園初等部は行き先を変更しなかったのか。これはひとえに、ファーガスたち騎士団の敷いた箝口令に原因があった。
要するに、学園側にはトルキア村の状況を知る術がなかったのだ。
リウは早朝、王都でヴァルカンと分かれたあと、学園から大型馬車でトルキア村を目指した。それがちょうど、ヴァルカンが騎士団に追い返されて苦悩の果てに武具屋へと駆け込んだ頃だ。
初等部はトルキア近辺まできたあたりで騎士団駐屯地の存在に気づき、トルキア村の事情を説明された。当然、強行など以ての外だ。初等部は学生らを連れて引き返し、トルキア手前の宿場町レオニールにて温泉と遊興にふけるプランに変更する。
一方、ようやく狩人ギルドを出たヴァルカンは、初等部が宿泊手続きをしていることには気づかずレオニールを素通り、そうしていまに至る……ということだったらしい。
ヴァルカンは意図的に声を低くし、いまにも垂れ下がりそうな目尻を気合いでつり上げてリウを睨んだ。
子育てというものは、かわいがるだけではダメだ。
「おまえが初等部の遠足から離れたのはいつだ?」
「えっと、レオニールに引き返す前……かな?」
罪悪感があるのだろう。リウは少しうつむき加減にそう言った。
「どうやって離脱した?」
「お、お父さんの爵位が、えっと、普通の貴族のじゃないって、教官たちはみんな知ってるから……」
血を流し、浅い呼吸をしている騎士を横目で一瞬だけ見て、リウがそう言った。
おそらく俺が仮面をつけていたことで、正体を明かさない方がいいと察したのだろう。頭のよい子だ。
そうしてリウは続ける。
「それで、騎士団の駐屯地に用事があるって言ったら、許してくれたの……。えっと、お父さんからリーベルトおじさんに伝言とか、そんな感じ……?」
「駐屯地に寄るだけなら、なぜ初等部を待たせなかった! お父さんはおまえに、ひとりで危険な街道を歩かせるような真似を許した覚えはない!」
まあリウの腕なら多少の魔獣や少数の賊くらいはなんとかしてしまいそうではあるが。
リウの眉と唇が歪み、その目が潤み始めた。
「う……。き、騎士団のリーベルトおじさんが、人をつけて送ってくれるからって……教官に、嘘をつきました……。……ごめんなさい……」
蚊の鳴くような声だった。
かわいそう。そのかわいそうな顔がまたかわいいんだ。萌える。
ぎゅってしてあげたい衝動に駆られてしまう。
そんなことを考えて、ヴァルカンは頭を振って邪念を払った。
いかんいかん、いまはそのようなことを考えている場合ではない。ファーガスまで嘘に巻き込みおって。騎士団の統括者だぞ。責任問題に発展したらどうするつもりだったのか。
いくら賢くとも、こういう部分はまだまだ浅はか。所詮は子どもだ。
「なぜ、そのような真似をした?」
「だって……トルキア村の人たち、困ってるって言ってたから……。お父さん、いつも言ってるよね。貴族には貴族の役割があるって……。困っている人たちを助けることが、貴族の役割だって……そのために存在してるって……」
う……、ぐう。
額に手を当て、ヴァルカンは見えない夜空を仰ぐ。
正しく育てすぎたのだ。そこが魅力でもあるのだが。
だがやはり、親の立場としては。
「それは何も、子どものおまえじゃなくても……」
「だって騎士さんたちが犠牲になりかけてるんだよ! 誰かを呼びに行ってる間に死んじゃったらどうするの!?」
「騎士は貴族だ。命をかけることが彼らの誇り高き仕事だ。世間もろくに知らん子どもの出る幕ではない」
「だって……だって……」
ああ、嗚咽しちゃってる。
許したい。嫌われたくない。だが、ここは譲れん。
どう声をかけるべきか考えあぐねていると、幹にもたれたままの騎士が小さなうめき声を上げた。
「う……。ど、この、どなたかは、存ぜぬが、あまり、その子を、責めないであげてくれないか……。……救われた……んだ……」
ヴァルカンとリウの視線が騎士へと向けられた。
ヴァルカンが早口に言う。
「平気か?」
「あ、ああ……ヘルム……を……」
リウがすぐに短い手を伸ばし、騎士のヘルムを取る。
青年。思った以上に若く、そして美しい顔つきをした騎士だった。汗で額に張りついてしまっているが、灰色の髪をしている。ガントレットは外され、リウが巻いた包帯の内側からは鮮血が滲んでいた。
「……不甲斐ない……。……小隊が巨大な魔獣に急襲され、散り散りになって、撤退するしかなかった……」
巨大な魔獣。青年は確かにそう言った。
育ちすぎたレヴニーでもいたのだろうか。あるいはレヴニーの大移動の原因となった捕食者だろうか。
だがいまはこの青年を無事生還させるのが優先だ。
「……その際にレヴニーの群れに追われ、喰いつかれたところで、その子に救われたんだ……。……はは……とんでもない強さだな、あなたのお嬢さんは……」
「でっしょー!? かわいい上に強いんですよーっ!!」
反射的に胸を張って自慢をしてしまった。
すでに〝剣聖〟よりも強いんだ、うちの自慢の娘は。なんたって、ここへ来る途中にも何十何百ものレヴニーを片手間で仕留めながら来たくらいだ。
……いやはや、今回のことで己も確かに成長したという実感があったのだが、それすら上回られてしまった気がする。
リウのじっとりとした視線に気づいて、すぐに咳払いをして誤魔化した。
「……はは……そう……か……。……父御の薫陶が……よかったのだな……」
「うん、そうだよ。お父さん、わたしなんかよりすっごく強くて偉くて優しくて、とっても格好いいんだから」
よせやい。そのような本当のことを言うものではない。
「こらこら、よしなさい。よそで身内を褒めるものではないぞ」
「ええ、さっきお父さんだってわたしのこと――」
あ、そうか。
それにしても、リウにそこまで言われたらキュン死しそう。それにこの騎士も良い青年ではないか。死なせるには惜しい。
「あんた、立てるか?」
「あ、ああ……」
ヴァルカンは青年の脇に潜り込み、ゆっくりと膝を伸ばしていく。
「ゆっくりでいい、そう、ゆっくりだ」
「……ぅ……ッ」
キツくしかめられた顔から、一気に汗の玉が浮き出した。一気に呼吸が荒くなる。その足下にダラリと血がしたたり落ちた。
よくない状態だ。血を流しすぎている。意識もいつまで保てるか。
深い傷は右腕と両足だ。ガントレットはリウが外したのではなく、どうやらレヴニーに喰いつかれて外れたようだ。両足も同じか。リウが包帯を巻いてはいるが、出血は止め切れていない。鎧とヘルムのおかげで顔と胴体が無事なのは僥倖だった。
自力での歩行は不可能だろう。
「背負うよ。トルキア村まで送る」
背負うしかない。正直、もう少し探索をしたかったが。
……巨大な魔獣とやらを。
「す……まない……。……ガランドルフ……。……ルーネス・ガランドルフ……だ……」
ガランドルフ。王都の侯爵家の姓だ。司法、立法、行政を司るヴァシス三大貴族の一角と言われている名門でもある。ガランドルフ家は司法だ。
ガランドルフ侯爵とは何度か会ったことがあるが、挨拶を交わす程度で面識はさほどない。察するにルーネスは彼の嫡子か。
だとすれば、まだ十代後半だ。青年というより少年に近い。
「……よければ、あなた方の家名を……教えては……もらえないだろうか……。生還できたなら……礼がしたい……。……あなた方も、貴族なのだろう……?」
ガランドルフ侯爵とパイプができるのはリウの将来も考えれば嬉しいところではあるが、ファーガスの面子を潰すわけにはいかない。
だからヴァルカンは自身の仮面を指先でつついて苦笑した。
「すまんが、俺たちはちょっとややこしい立場にいてな」
足下ではリウも仮面をちょんちょんつついて見せている。
「ごめんね、ルーネスさん。せっかく名乗ってくれたのに」
「はは……そうか……。……それなら、いいんだ……。……この場で礼を言わせてくれ……。……ありがとう……」
こうしてヴァルカンたちはルーネス・ガランドルフを連れ、夜の暗い森をトルキア方面へと向けて歩き出したのだった。
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