中年の体力の浅さ
森を駆ける。
額から流れる汗と血を拭い、剣で藪を払いながら急斜面を滑り降りて。
「わかっちゃいたが、多過ぎだろ!」
アーレンドラスの森に入ってしばらく。
ヴァルカンの姿はあっという間に返り血まみれとなっていた。パイの甘い匂いにでも引かれたのか、魔獣はすぐに現れたのだ。
当初こそ様子を見るかのように数体だったゆえ問題なく処理はできたのだが、その数は時間を経るほどに増えた。
斬っても斬っても減らないのだ。
「まさかこれほどとは……」
ヴァルカンはたまらず逃げた。
恥も外聞もなく、背中を向けて走った。背中を見せた獲物に、レヴニーらはすぐに食らいついてくる。
追いつかれては斬り、また逃走する。
戦場での鉄則だ。英雄を目指す青二才のような冒険はしない。
いくら〝剣聖〟であったとて、ただの人間には違いないのだ。たった一騎で数十、数百を同時に相手取れるわけではない。
ゆえに、平騎士だった頃と同様に、逃げながら確実に生き延びられる道を常に探す。少しでも生存確率を上げる。
冒険などという博打は、すべての道が閉ざされたときにのみ行えばいい。
だが魔獣は執拗なほどに追ってきた。ヴァルカンにはそれが、気が立っているように見えた。
通称〝腐肉喰い〟。あるいはレヴニーと呼ばれる、大きな角を持つ四つ足の魔獣だ。
鋭い爪を持つ前脚は短く退化しているため、強靱な後脚を揃えて跳ねながら移動する。体躯はせいぜい成人男性より幾分か小さい程度だが、その分肉体は魔獣の例に漏れず強靱だ。
普段はその通称の通り、森で死んだ動物や魔物の死骸、あとは昆虫などを食して生きている比較的大人しい魔獣なのだが。
「チッ」
顔に当たった羽虫を払い除け、樹木につかまりながら斜面を下る。
足を滑らせたレヴニーが数体転がってヴァルカンを追い抜き、崖下へと転落していった。跳躍して襲いかかってきたやつの後脚を剣で受け流して落とす。
そうして上を見上げて――。
「イッ!?」
目を見開いた。
レヴニーたちは急斜面であるにも関わらず、一斉に跳躍して襲いかかってきたのだ。どうやら転落を恐れる知能も持ち合わせていないようだ。
慌ててつかんでいた樹木の裏側に回ると、その木にぶつかって次々と崖下に転落していった。
「はっは、一網打尽……だ?」
だが――。
「だあ、クソ!」
崖下のやつらは平然と立ち上がり、足を滑らせながらも再び駆け上がろうとしてくる。
ヴァルカンは反転し、今度は斜面を駆け上がった。
上にいたレヴニーを斬り伏せ、右へ左へとステップを踏みながら苔むした岩を乗り越え、倒木を跳び越えて、その裏に身を潜める。
ダン、ダン、ダンとリズムを刻むような足音が迫ってくる。
レヴニーの移動は後脚を揃えて地面を強く蹴る跳躍が主であるため、他との判別がしやすい。あれで崖や斜面を登れるのだから、とんでもない身体能力だ。やはり人間とはまるで違う。
ヴァルカンは抜き身のロングソードを静かに構え、片膝を立てて待つ。
「――っ」
背にした倒木の裏。左右揃った足音が強く響いた瞬間、ヴァルカンは剣の刃を高く斬り上げた。
――ギ……ッ。
それがそのレヴニーの断末魔となった。
自ら刃に突っ込んだレヴニーが、縦に裂かれて地面に落ちる。ざぁと血だまりが広がって、異臭が立ちこめた。
自身の使い慣れた剣であれば真っ二つにできたのだろうが、安物の、しかも宣伝用のロングソードでは骨を断つのも困難だ。
「……」
だが、それがいい。それでいい。
これは思っていた以上によい訓練になる。
でもちょっと休憩したい。中年の体力の浅さを舐めるなと言いたい。
再び響き始めた足音に、ヴァルカンは立ち上がる。
その響きで大体の数を推測。当初十数体ほどだった群れが逃走の結果、縦に伸びていることを確信し、今度は反転攻勢に出た。
視界の中には三体。いや、遠くにもう二体。
遠くの二体が追いつくまでに処理を――!
腐葉土の積もる地面を蹴り、先頭のレヴニーに迫る。
鮫のように尖った牙の噛みつきをかいくぐり、その背後にいたレヴニーの頸部を刎ね、三体目の引っ掻きを跳躍でやり過ごす。
――ギィ!
着地と同時にヴァルカンはすぐさま反転。
無理に振り返ろうとして両足を滑らせ、派手に落ち葉を巻き上げながら転がったレヴニーの頸部を斬りながら走り、先頭だった最後の一体の胴体を断ち斬った。
「おお!」
息つく暇もなく、空から影が落ちた。
上――!
考えるより先に身体が動いた。
頭から飛び込んで湿った地面を転がり膝を立てると、先ほどまでいた場所を、追いついてきたレヴニーが後脚で穿っていた。
レヴニーはそのまま跳ねて振り向きながら着地する。
前後に一体ずつ。
「挟まれたか。なんと小賢しい」
対峙。というほどの暇もない。
レヴニーらが地を蹴った。ヴァルカンは迷わず前方の一体に狙いを定め、噛みつきを躱しながらすれ違い様に逆袈裟に斬り上げ、身を翻した。
背後の一体の噛みつきを刃で受け止める。
「ぐ……!」
ギザ歯に噛まれた剣が動かない。構わず突進するレヴニーの勢いに押されて、大樹の幹に背をぶつけた。
やはり膂力は魔獣のそれだ。小型でも人間を遙かに上回っている。
「……くっ」
――ギイィィギグァァ!
徐々に抑え込まれていく。
鋭いギザ歯の隙間から、粘度の高いよだれが垂れている。〝腐肉喰い〟の獣臭で、鼻が曲がりそうだ。
刃の先端を背負った大樹にあてて固定し、片手で柄を握って耐える。
「まったく、厄介な……!」
もう片方の手で腰に差しておいたナイフを片手で抜いて、分厚い皮膚の頸部へと突き刺す。途端にレヴニーは痛みに身をよじりながら噛んでいた剣を放した。
直後、その首が刎ね上がった。
大量の血液が噴水のように噴き上がる。
「ふう」
ヴァルカンが剣を下ろしてため息をついた。
これは確かに一般の騎士にとっては困難な相手かもしれない。少なくとも一対一で勝てる騎士はそうはいないだろう。
「……騎士の捜索が遺体の捜索にならなければいいのだが……」
ファーガスも森に入っているのだろうか。あいつが不明となった隊にいるのであれば、全員生存の可能性もそう低くはないはずだが。それとも、気楽に駐屯地で指揮を執っているのだろうか。
汗と返り血を拭い、ヴァルカンは再び歩き出す。
すべては娘の尊敬を得るためだけに。
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今後、作品を作っていく上での糧や参考にしたいと思っております。




