まずは腹ごしらえ
ヴァシスは小国だ。王都からトルキア村まで、さほどの距離もない。
いまでも思う。
大国と呼ばれるガリアナリス帝国との戦いに勝利したのは、本当に幸運だった、と。
あの日、偶然にもリウを拾わなければ自身の命はなかったし、ガリアナリスに対しヴァシスが勝利することもなかっただろう。
レオニールと呼ばれる宿場町を素通りして、トルキア村を目指し馬を走らせる。トルキア村近辺までくると、街道沿いには簡易的に組まれた騎士団の駐屯地ができていた。
本来であれば寄り道をしてファーガスに情報をもらいたいところだが、そういうわけにもいかない。
ヴァルカンは街道を外れて駐屯地を迂回し、旅人のふりをしてトルキア村へと入る。
小さな農村だ。宿も一軒しかない。
情報を得るために入ってみると、中は意外と広かった。だが、あきらかにカタギには見えない客層で溢れている。
おそらく狩人ギルドの面子だろう。
騎士団のように国家予算が出るわけではないため、駐屯地を組むようなこともできないのだ。
本来なら情報を得たかったが、これ以上狩人ギルドにも正体を知られるわけにもいかないため、彼らを無視して太った店主のところへ行き、尋ねてみた。
「店主。騎士が行方不明となっていると聞いたが、見つかったのか?」
「ん? いや、まだのようだ。騎士団も捜してはいるみたいだが、レヴニーが毎日大量に森から溢れ出てきて、その対処に常に追われてる状況でね。正味の話、森に立ち入れているのは少数の騎士と狩人ギルドくらいのもんだよ」
「そうか」
「トルキア村のために戦ってくれた騎士たちだ。申し訳なく思うよ」
「気にしなくていい。民のため命をかけることが騎士の仕事であり、誇りだ」
一度あえて店主に素顔を見せてから、ヴァルカンはあえて仮面を装着する。
強盗呼ばわりされないためにだ。さすがに王都から離れれば、〝剣聖〟の素顔を知る者もそう多くはないだろうと思ってのことだが、あまり長く素顔をさらしていると狩人ギルドの面々には気づかれる恐れがある。
そのヴァルカンの姿を見た店主が、気づいたように言った。
「おや、あんたも狩人ギルドの人間かい?」
「ああ」
早速、受付嬢にもらった狩人ギルドの仮免状の金属プレートを見せる。これで強盗呼ばわりされることはないだろう。
「宿は必要かい? できる限り安くしとくよ。お仲間さんと相部屋だけどね」
王都では仮面と剣を買った。
もう持ち合わせはほとんどない。それこそ食事分くらいだ。
「いや、日持ちする食料をいくらか売ってくれるだけでいい」
「そうかい。干し肉や堅パンでいいかい?」
「十分だ。一日分頼む。それと水も」
水は森に流れているだろうが、飲めるとは限らない。戦時中は敵地を彷徨い夜露などで凌いだものだが、それに頼らなくても済むならその方がいい。
「あいよ」
太った店主がカウンター奥に入っていき、しばらくしてからまた出てきた。手には革袋をふたつ持っている。食料と水だ。
「食料の方はサービスしといたよ。水には少量の塩と砂糖、それに腐敗を遅らせるため果実を少しだけ搾ってある。若干苦く感じるだろうけど我慢してくれよ」
「至れり尽くせりだな。助かる」
「なぁに、みんなトルキア村のために動いてくれてるんだ。できる限りのことはさせてくれ。騎士団が駐屯してくれるまでには、家畜はもちろん人間だって何人もやられたんだ。だからあんた、頼むよ」
うなずき、支払いを済ませて店を出た。
革袋の中を覗くと、二日分ほどの食料が入っていた。どうやら本当にサービスしてくれたらしい。これともらったアップルパイを合わせれば、三日は動ける。二日間は奥地へと進み、三日目に戻ればいい。
再び馬に跨がり、トルキア村を出る。
村から森への直線ルートには、騎士団が築いたらしい木柵がある。そこには常に数十名の騎士らが詰めているようだ。
木柵の向こう側はレヴニーの死骸が数え切れないほど転がっている。
それを迂回し、ヴァルカンは森へと踏み込んだ。
森。深い森。暗い森。呼び方は様々だが、正式名称はアーレンドラスの森だ。
ヴァシス王国から北東へと広がるこの森がどこまで続いているのかを確かめた冒険者はいない。森の向こうに何があるのか、まだ誰も知らないのだ。ヴァシスのみならず、ネヴィル大陸の誰も。未だ。
奥深くへ進むほどに魔獣は増えて強くなり、人類の侵入を拒絶する。その上で、レヴニーは森のもっとも浅い場所に棲む、比較的安全な部類の魔獣だ。
真昼だというのに、平地との境界線からすでに薄暗い。鳥の声、虫の声に交じり、得体の知れない魔獣の叫び声が響いている。
臭いが変わった。湿った土と、無秩序に生える植物と、魔獣の臭いだ。
ヴァルカンは馬から下りて、その尻を叩いた。
「安全な場所で待ってろ」
馬は逃げるように走り出す。トルキア村の方角へと。
本能でわかるのだろう。アーレンドラスの森へ立ち入ることが、どれだけ無謀なことであるか。
森を通過するだけなら馬は必須だが、夜を越えることを考えた場合、馬が一緒ではその臭いで魔獣を呼び寄せてしまう。かえって危険だ。
「まずは補給するか」
手頃なところの倒木に腰を下ろす。
倒木には獣によって引っかかれたような鋭い傷があった。おそらくそれが原因で倒れたのだろう。
だが、いま気にしていても仕方がない。
ヴァルカンは冷めたアップルパイを取り出した。いくつかに切り分けられている。そのうちのひとつを手に取った。
「いい匂いだ。いただきま~す」
半分囓る。
甘さと酸っぱさのバランスが絶品だ。鼻から抜ける焼けたリンゴの匂いがさらに食欲をかき立てる。空腹の状態では、思わず身震いしてしまうほどうまい。
ラーナ夫人からは「温かいうちに食べて」と言われていたが、ここから先、何日かかるかわからないことを考えて、ギリギリまで残しておいたのだ。
にこやかな老婆の顔を思い出して、ひとりつぶやく。
「申し訳ない。焼き立ては次回必ずいただきます」
そんなことをつぶやいて、残りの半分を詰め込むように口に入れた。
栄養が全身に行き渡っていくのがわかる。力が湧いてくる。二つ目、三つ目とどんどん口に運ぶ。
食べられるときに食べておくことは、戦場での鉄則だ。
丸一枚。もらったすべてのアップルパイを食べ終えてから無精髭ごと口元を拭って、ヴァルカンは立ち上がった。
「さーて、行くかね」
その目が徐々に鋭く変化していく。
娘を見る甘い父の目から、生死の境で戦場を彷徨っていた頃の戦士の目に。
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