そうだ旧友に鍛えてもらおう
朝食後、ヴァルカンはリウとともに馬車に乗る。ヴァルカンは騎士団宿舎へ、リウは学校へと向かうためだ。馬車は王都郊外の小さな町オルガドを離れ、王都へと向かう。
いつものように、日常生活における他愛のない会話をしながらだ。ヴァルカンはこの時間がたまらなく好きだ。
学校のクラスメートの話や、エイメリアのこと。
今朝は。
「お父さんお父さん、朝食どうだった?」
馬の蹄の音と、馬車の車輪の音がしている。
適度な揺れが心地よい。
「どう、とは? いつも通りうまかったぞ。エイメリアの料理は最高だからな」
「へっへ、実は今日のお父さんの分は、わたしが作りましたー!」
腕まくりをして右上腕を見せつけるように、リウが得意げな顔で言った。
クソかわいい。
ヴァルカンの目尻が垂れる。
「おおっ。……指に怪我はないか? 火傷はしなかったか?」
「もー! するわけないーっ! バカにして! そんなにドジじゃないもん!」
「はっはっは。味はうまかったぞ。とびきりだ」
「やったっ」
やがて馬車は王都に入り、王都門の検問を経て学園前に停車する。
ヴァルカンの腕にもたれかかっていたリウが、御者をしている老執事の方へと乗り出して口を開いた。
「ありがとね、エリックさん」
「いえいえ。お気をつけて行ってらっしゃいませ。リウ様」
「は~い。――行ってきまーす!」
そこでリウを降ろして馬車は再び走り出す。
それからしばらく、騎士団宿舎前へと到着した。
「旦那様、到着いたしましたぞ」
「ご苦労さん、エリック。夕刻までは自由にしていてくれ」
「承知いたしました」
ヴァルカンが馬車から降りかけると、エリックが再び口を開く。
「溌剌さは以前からでございましたが、昨今ずいぶんと聡明さが増しましたな」
老執事エリックがアンダーウッド邸で働き始めたのは、戦後からだ。エイメリアを含めて家族を偽装するとなったときに、企みに加担してくれた彼女の負担を減らすために、老執事と身寄りのないメイドを三名、新たに雇った。
ゆえにエリックはリウが言葉を知らぬ頃から彼女を見てくれている。リウもまた、この白髪の老執事によく懐いている。
ヴァルカンが困ったように頭を掻いた。
「言葉を覚えてからの方が成長が早い。それはよいのだが、裁縫や料理よりも剣を振るのを好むとなれば、将来が少々心配になる」
もらい手はいるのだろうか。いや、いる。あの愛くるしさだ。学校での異性関係のことはあまり話さないが、彼女に向けられる気持ちは少なくないだろう。
モヤ……。
……許さん。基本的に許さん。基準などない。ただ許さん。
そこには矛盾と身勝手極まりない親馬鹿があった。
「ほっほっほ。よいではないですか。昨今は戦争の影もありませぬゆえ、剣もまた健康のためとなりましょう。きっと奥様のように美しくなられるでしょうな」
「まあ、そうなのだがな」
ヴァルカンが指先で鼻の頭を掻く。
それが問題なのだ、と。
あの戦を経て王国騎士団の団長となったファーガスの要請で、こうして騎士団の若い騎士らに時々稽古をつけに来ているものの、自身の剣は戦後になり戦う場を失って鈍る一方だ。それこそ、わずか十一の娘に追いつかれてしまうほどに。
娘の尊敬を失うわけにはいかぬ。いつまでも言わせたい。お父さん大好き、と。
鼻の下がわずかに伸びる。
「おっと、遅れてはファーガスに何を言われるやらわからん」
「お引き留めしてしまいましたな。旦那様はリウ様のこととなると長考する癖がございますゆえ」
長考というより妄想だった。
「む、ははは……。ま、行ってくる」
「はい。お気をつけて」
ヴァルカンが馬車を降りると、エリックは馬に鞭を入れて馬車を走らせた。夕刻まで彼が何をして時間を潰しているのかは知らない。だがそういう誰にも知られない時間という自由も、人には必要だろう。
そう、ヴァルカン自身もまた同じくして。
実のところ、今日はファーガスから呼ばれて参じたわけではない。
騎士団宿舎入り口に立つ衛兵ふたりが、一瞬槍を交叉した。だがヴァルカンが近づくと同時に槍を立てて敬礼をする。
「アンダーウッド子爵! おはようございます!」
「おう、おはようさん」
もう片方の衛兵がドアを開けてヴァルカンを通した。
彼らのヴァルカンを見る目がリウのように輝いていることに、この男は気づかない。
そのまま廊下を歩き、司令室のドアをノックもせずに開く。
「ファーガス」
ファーガスは執務机で何やら書類にサインをしていた。
その視線が上がる。
「ん? なんだ、ヴァルカンか。部下の稽古なら今日は頼んでいないぞ。さては曜日を間違えたか。このうっかりめ」
「違う。今日はこちらから頼みがあってやってきたのだ」
ファーガスの赤い眉が歪められた。
「何を?」
ヴァルカンは旧友に頭を下げて叫ぶ。
「俺に稽古をつけてくれ!」
「……はあ?」
「俺に、稽古を、つけてくれ」
「いや、ちゃんと聞こえているよ」
羽根ペンをインク壺に置いて、ファーガスは両腕を組み、椅子の背もたれに身を預けた。
「いまさら何を言っているんだ、ヴァルカン。おまえはヴァシスの〝剣聖〟だぞ。稽古など不要だろう。それとも理由でもあるのか?」
無論、言えるはずもない。器の小さな男ゆえに。
わずか十一歳の娘に負けそうだからだ、などと。決して。
ヴァルカンはあらかじめ考えておいた嘘をすらすらと吐く。
「その〝剣聖〟ゆえなのだ。戦争が終わって以来、肉体は鈍る一方。これでは聖剣大綬章などぶら下げて歩けるものか。頼む、俺と互角なのはもうこの国では騎士団を統括しているファーガス・リーベルトを置いて他ないのだ」
実際その通りであった。
もしもあの戦場で殿を務めたのがファーガスだったとしたら、この男もまた務めを見事に果たして無事に帰還していただろう。
ただし、そこにリウがいたかは不明だが。
学生時代からの、長きにわたるライバルだ。もっとも恋愛方面では見事に敗れ、リーベルト夫人はファーガスの妻となったのだが。だがそれもよしと思っている。この男ならば彼女を幸せにするだろう、と。
「あのな、俺だって忙しいのだぞ」
乗り気ではないように見える。
だが、ファーガスはニヤリと笑ってこう言うのだ。
「それにおまえ自身も先ほど口にしたように、おまえは戦後一年、剣をろくに握らず家族のために過ごした。一方、俺は騎士団長として毎日剣を握り、騎士団に在籍する猛者と実戦さながらに打ち合い続けた。多対一でもだ」
ソードラックの剣に視線をやり、ファーガスは立ち上がる。
この男、意外にノリノリである。
当然だ。ヴァルカン同様、ファーガスもまた剣で生き、剣で成り上がってきた男だ。執務など本来、畑違いも甚だしい。
それに学生時代から続くヴァルカンとの戦績にも、そろそろ決着をつけたい、などと考えてもいた。
「いいか、ヴァルカン。この差は決して小さくはないぞ」
「ぐ……。わ、わかっている。だからこそ鍛え直したいのだ。例えおまえに地を舐めさせられようともだ」
「よかろう。ならば久方ぶりに我らの鍛錬といくか。そうだ、せっかくの模擬戦ゆえ、団の若いのを見学させても構わんか?」
「そ、それは……こ、まる……」
誰に敗北を見られてもいい。そのようなことは些事。だが不特定多数に見られたならば、それだけ他者に漏れる可能性は高まる。
リウにだけは。リウに知られてしまうことだけは絶対に避けなければならない。愛する娘からの「お父さん格好いい」を失わないためにも。
「おまえな、いま以上を目指すならくだらん矜持など捨てろ」
しかし背に腹は代えられん。
「わ、かった」
「そのような顔をするな。安心しろ。無論、団として常日頃からここでの一切は箝口令を敷いている。殿下の耳にも当然届かん。軍としてもヴァシス最強の〝剣聖〟が負けた、などと世間に流布されるわけにもいかんしな」
世間。そのようなことはヴァルカンにとって、心底どうでもいいのである。リウだ。この男の世界はリウを中心として回っていると言っても過言ではない。
そもそもファーガスとの戦績など、半分は負けているくらいなのだから。だが、リウの耳に入らないことが確かならば、ここで退く理由はない。
「頼む」
ヴァルカンは旧友に頭を下げるのだった。
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