よからぬ気分
ヴァルカンは寝室のベッドに横たわり、自身の利き腕をかざして見上げていた。
まねごとから始まったリウの剣術は、すでに自身にも届くほどとなった。
恐るべきことに己の知る型は、リウもまたすべてを修めた。わずか一年だ。一年で剣の振り方に関しては追いつかれてしまった。
ならば他に両者の勝敗を分ける要素は何か。
状況判断による機転、あらゆる角度に対応できるだけの柔軟な肉体に、相手の動きを捕捉する目。そして純粋な筋力が生み出す力と速さ。
筋力以外のすべてにおいて、彼女はヴァルカンを上回りかけている。
もう同じ長さの剣ではほとんど互角になっていた。以前の試合でそれがわかっていたからこそ、今回は少しでも有利なロングソードを選んだのだ。
ところがこの体たらくときたものだ。
自身が本当の戦場で握る得物は特大剣とも呼ばれるツヴァイヘンダーだが、あれでは逆に彼女の速さには追いつけない。ロングソードの重量ですら、ろくについていけなかったのだから。
親馬鹿を抜きにしても、リウには天賦の才を感じる。
「ふー……」
傷だらけの腕を下ろす。
もはや教えることはない。剣を合わせるほどに距離を縮めてくる。このままでは早晩、追い抜かれてしまうだろう。
そうして、尊敬を失うのだ。
――お父さんって、案外大したことなかったんだねえ。
嘲るような顔で。半笑いで。
想像しただけで、もう胸が張り裂けそうだ。涙ぐむ。
あの子が見る景色は、いつだって己の背中だけでいい。そのためならば、俺は何でもしよう。悪魔に魂とて売る。
そうしてまた言ってもらうのだ。「世界一格好いいお父さん」と。
「むふふ」
ヴァルカンの鼻の下がだらしなく伸びた。
「かくなる上は、やむを得ん。俺も鍛え直すべきときがきた」
幸いエイメリアの機転で一月の猶予を得た。
十分だ。矢雨をかいくぐり、剣林を薙ぎ払いながら戦場を駆け抜けていた頃の己を取り戻すには。
ドアがノックされ、返事を待たずに開かれる。
現れたのはエイメリアだ。すでに薄めの寝間着に着替えている。
「もう少し詰めてください、ヴァルカン」
「お、ああ」
ヴァルカンがベッドの端に寄ると、エイメリアは迷いなくその隣に腰を下ろし、そのままうつ伏せに寝そべった。そうして顔だけをヴァルカンの方へと向ける。
輝く金色の髪が背中で少し流れた。
「……あのな、エイメリア。未婚の女性が、あまりよくないぞ。このようなことは」
エイメリアが空のように碧い瞳をヴァルカンに向けた。そうして真顔で言うのだ。
「家族ごっこを始めたのはヴァルカンでしょう。それにいまさら同衾くらいで、なんですか。戦争中はともに枕を並べることも珍しくなかったじゃないですか」
「いまは狭い兵舎や野宿ではない。おまえには部屋だって与えているだろう」
「両親が別々の部屋で眠っていたら、リウだって勘ぐるかもしれませんよ」
言われずともわかる。
血縁なきことをだ。
リウにはこう言っている。
おまえは俺たちの子どもで、ある日、迷い込んだ戦場で戦争に巻き込まれ、結果すべての記憶を失ってしまったのだ、と。
要するにルシャードやファーガスに話した内容と、まったく同じ嘘だ。
素直なリウはそれを信じた。そうしてヴァルカンとエイメリア、リウは家族となった。
最初の一年間、エイメリアはリウの寝室で眠っていた。リウが暗闇を怖がる子だったからだ。けれどもやがてアンダーウッド邸にも慣れ、それを恐れなくなった。夜の用足しだって、もうひとりでいける。
そうなってしまえば、エイメリアがリウと同室で眠る理由はもうない。彼女自身の独り立ちのためにもだ。
だからこそ一年が経過した昨今より、エイメリアは夫役であるヴァルカンとともに夜を過ごすこととなったのだった。
「それともヴァルカン、あなたまさかわたしを異性として見ているのですか?」
「ばっ、バカなことを言うものではない。おまえは確かに美しく聡明で魅力的な女性だ。だが同時に俺の副官でもある。そのような思いを抱えて、ともに任務をこなせるものか」
そう言ってそっぽを向く。
視線が外された瞬間、エイメリアが不機嫌な顔をしたことには気づかずに。ヴァルカンが再び視線を戻したときにはもう、いつも通りの美しいすまし顔だ。
「そうだ、エイメリア。いつか尋ねようと思っていたのだが」
「なんでしょうか、アンダーウッド隊長?」
「イヤミはよせ。俺みたいな中年男でも、距離を取られると傷つくのだぞ」
ヴァルカンが苦い表情を見せると、今度は少し笑った。
「なんですか、ア・ナ・タ?」
「今度は近づきすぎだっ」
「冗談ですよ」
そう言って、エイメリアは顔を伏せる。
「わがままですね、ヴァルカンは」
「ぬ、すまん。それより今日まで聞きそびれていたのだが、終戦の日、イェドラに殿下がいらしたとき、どうして俺に話を合わせてくれたんだ? 打ち合わせもしなかったのに」
エイメリアが少し困ったような表情をして、指先で頬を掻く。
そうして何かを思いついたような顔をすると、ヴァルカンの手を取って自身の横顔へと、大きな掌を乗せた。
「お、おい」
「長耳です。作戦室の中であなたが困っている声が聞こえていたから」
長耳を触らせる。少しくすぐったそうな顔で。
ヴァルカンは苦い表情を浮かべた。
「ドア越しに聞こえていたのか?」
「大丈夫です。わたしだから聞こえただけなので。人間の耳では不可能かと」
「しかしそれで殿下に嘘をついてまで俺の味方をしてくれるとは……」
エイメリアは呆れたように言う。
「わたしたちが何年一緒にいたと思っているの」
「あ~。何年だ……。十年ほどか?」
「十八年よ。――そりゃ情だって湧くわよ」
いつの間にかエイメリアの口調が変化していた。
駆け出しの頃、同じ隊で同じ階級だったときのように。
「そうか。ありがたい」
「もっと有り難がって。ヴァルカンにここまでしてくれる女なんて他にいないわよ」
「う、うむ」
軍属になってから、ほぼずっとだ。
どういう縁なのか、ずっと同じ隊にふたりはいた。平の騎士時代には、騎士団内でそれを散々やっかまれた。エイメリアを巡って、いわれのない決闘を申し込まれたこともある。もちろん腕の立つヴァルカンはすべて張り倒してきたが。
だからこそ余計に、上官として彼女との距離にはずいぶんと気を遣ってきたつもりだ。いつか彼女が誰かと幸せをつかむまでは、と。
「まさか聞こえていたとはなあ。あんなに分厚い扉ごしだというのに」
砦の扉というものは通常の館のそれとは違い、外門はもちろん、中のドアに至るまですべて頑丈に造られている。そうでなければ籠城すらできない。
もっとも、そこまで攻め入られた状態では生き残るためというより、どれだけの敵を道連れにできるかの勘定になってくるのだが。
「エルフは危険な森で生きる生物だから。人間と比べて耳や目はいいのよ。だから弓も得意ってわけ」
「だが、感心はできんぞ。王族に嘘をつくなど、へたをすれば絞首刑になってしまうというのに」
「当然、そこらへんの真偽は知らなかったわよ。もしかしたら本当にあなたの隠し子かもしれないと思ってたから。でも、どちらにしても殿下に問い詰められて応えられない状況なら、わたしの助けが必要でしょ」
今度は少し得意げな顔だ。中年男の胸がわずかに疼く。
いい女だ。
「それにルシャード殿下はああ見えて情の深い方だし、嘘だと判明しても許してくれると思うから」
「そうかあ? やれ偽証罪だやれ侮辱罪だと、俺はよく脅されるぞ」
「それは彼にとっても気の置けない友人のヴァルカンだからよ」
友人。本当にそう思われているのだろうか。あの冷たい目をした青年に。
「だからわたしがいるのです。あなたを補佐し助けるのが、わたしの任務ですから」
「口調を戻すな。さっきまでの方がいい」
エイメリアが眉根を寄せた。
「難しい注文ね。そうね。ま、だったら外面だけよくしとくわ」
「ふはは、是非そうしてくれ」
「はいはい」
何という献身か。呆れるほかない。彼女が犯罪者にならなくてよかったと、心からそう思う。もっとも、いまでも血縁なきことがルシャードに発覚したらどうなることやら。
エイメリアはいつもの美しい顔で、じっとこちらを見つめている。意図して抑え込んできた感情にすら、迷いが生じそうになる。
ヴァルカンは誤魔化すように天井を見上げた。
「今日は疲れた。もう寝る」
ヴァルカンの耳に唇を近づけて、エイメリアが囁いた。
「そうですか。……おやすみなさい、ア・ナ・タ」
「やめてぇ……。一応俺も男だからな。あまり挑発はしないでくれないか」
「わかってやってるけどー。ハーフとはいえエルフの長い人生、そのうちの何十年かくらいはこういう暮らし|があってもいいかな~って思うのよね」
耳元で言葉を囁かれるたびに迷いが大きくなる。よからぬ気分に駆られる。
リウを拾ってからというもの、英雄になったり結婚を偽装したりと生活は一変した。
そんなことを考えて応えあぐねていると、エイメリアは悪戯に笑う。
「冗談よ。おやすみ、ヴァルカン」
「もちろんわかっている。おやすみ、エイメリア」
毎日これでは昼も夜も身が保たん……。
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