世界一格好いいお父さん
ショートソードを引きずるような小柄な少女は、左右に揺れてフッと消失する。少なくともヴァルカンの視界ではそう見えた。
首筋の産毛が逆立つ。死を連想させる。これまで戦場以外ではなかった感覚だ。
目で追うな。音だ。
ト……ッ。
右方からほんのわずか、軽い音。
考えるより先にロングソードを彼女の身長を加味した高さで下方から上方へと向けて縦に払う。
「――っ」
ギィンと鋭い音が響き、彼女が後方へと弾け飛んだ――ように見せかけ。
「んふふ」
リウは着地と同時にさらに身を低く、今度は音もなく疾風のように後方へと回り込んだ。
死角へ、死角へ。
ヴァルカンは汗を飛ばしながら振り返り、すでに斬り上げながら肉薄していたリウの刃に、辛うじて己の刃を上からぶつける。
腹部に届く寸前で防いだ形だ。まさに寸前で。
「やるな! だがまだ甘い! ぬんっ!」
もう一度後方へと弾き飛ばすべく、両腕に力を込める。
が。
「ううぅぅぅ!」
「ぬん! ぬぅん! ぬん……?」
動かない。押し返せない。びくともしない。
肉薄されすぎたのだ。縦振りのヴァルカンがいくら力を込めようとも、その力は地面に押しつけられる方向へ逃がされてしまう。むろん、リウの両腕にヴァルカンの振り下ろしに耐えうる力があってこその芸当でもあるけれど。
あるッ……けれッ……ど……ッ! ……あるのッ!? ほんとにィ……ッ!?
「お、おお……? ヤバ……!」
「んいいぃぃ!」
二本の刃の向こう側で、歯を食いしばった愛らしい少女の顔がある。
うちの子、かっわ……。
そんな邪念が浮かび鼻の下が伸びた直後、驚愕すべきことにヴァルカンの剣は高く跳ね上げられていた。柄を強くつかみ、手放すことはなかったものの。
が、それでも。
「う……おっ!?」
両手を挙げて万歳。
胴体ががら空きだ。
今度は全身の体毛が逆立った。毛穴が開き、汗が滲むよりも早く。
あ、死……。
剣を戻す速度は、腕が短く、そして軽いショートソードを持っていたリウの方が速かった。さらには立ち位置。ヴァルカンのロングソードではなく、リウのショートソードの距離だ。
リウが戻した剣を真横に薙いだ。
「やああ!」
ヴァルカンの喉がひゅっと鳴る。
その瞬間、様々なことが走馬灯のように脳裏をよぎった。
負けたらどうなる?
俺はヴァシスの〝剣聖〟だから殿下に叱責される?
それとも社会的な死か?
叙爵からして間違いだった?
英雄としての地位は?
娘の尊敬は?
――なあんだ、お父さんって、案外大したことなかったんだねえ。
ぷぅ、くすくす……。
半笑い、あるいは失望の表情。
中年男の瞳に光が戻る。
ならん! それだけは絶対に! 例え他のすべてを失おうとも、娘の尊敬だけはッ!!
そこには大きな背を今日まで見せつけてきた男の、極めてちっぽけなプライドがあった。
「ぬっっっっはああぁぁぁーーーーーーーーーーーいっ!!」
恥も外聞もなく尻を後方へと突き出し、掘り出される曲がった芋のような不格好な体勢で、薙ぎ払われた刃の切っ先を紙一重でやり過ごす。
みっともない姿だが、それでも躱せた。躱せたのだ。
ただし、その際に切っ先がチュニックの腹部を引き裂き、ヴァルカンの腹肉をわずかばかり掠めていたことは追記しておく。
「あ……」
だがその体勢になったおかげで。
右手に持っていたロングソードの刃引きされた刃が、たまたま、偶然、数奇な運命で、リウの頭に落ちたのだった。
コン。
「ぅだ……!?」
「お」
――勝負あり!
透き通ったエイメリアの声が、アンダーウッド邸の庭に響いた。
そうして一部始終を見ていた妻――という役割を自ら買って出たハーフエルフは、パンパンと両手を叩く。
「はい、おしまい。お父さんの勝ちよ、リウ」
「うう、また負けたぁ……。もう、お父さんったら強すぎるよぉ……」
肩で荒い呼吸をしながら、ヴァルカンは胸を張る。
心臓が破裂しそうなほどに脈打っているのを隠し、ニヒルな笑みさえ浮かべてだ。
「当然だ。俺は〝剣聖〟だぞ。これまで何十万何百万回と剣を振ってきたのだ。まだまだ誰にも負けんよ」
「う~。わたしだって毎日五千回は振ってるのにぃ……」
ヴァルカンは我が耳を疑った。
「……なんて?」
リウがニパっと笑って言った。
「お父さんに追いつくために、わたし、毎日五千回は素振りしてるよ。調子がいい日は一万回くらいやることもあるけど」
「学校に通いながら? 朝にも稽古してるのに?」
「うん。そうだよ」
事も無げに。才能に加えて、とんでもない努力家だ。
ズグ、ズグとヴァルカンの心臓が脈打った。
これはまずい。とにかく少しでも剣からリウの意識を逸らさせなければ、早晩地を舐める羽目になるのは己の方だ。
そうして最愛の娘からの尊敬を失ってしまう。
だめだ、だめだ、だめだ。
「そのようなことをしている暇があったら、少しは淑やかな女性らしく料理や裁縫でも覚えたらどうだ? おまえももうよい年齢なのだからな。貴族の子女ならばそれらしく振る舞うことも大切だぞ」
「え? やってるよっ。学校でいつも成績いい方だし、お裁縫だって一番上手なんだから。それに毎日お母さんのお手伝いもしてるもん。そうだ、今度わたしがお父さんにお料理作ってあげる! いいよね、お母さん!?」
エイメリアがにっこり微笑んでうなずいた。
「もちろん。ただ、お父さんは毎日公務でも疲れているのだから、剣の方は少しは休ませてあげなさいな。そうね、これからは……本気の手合わせは月に一度だけ。怪我でもしたら大変だから。――ね、ア・ナ・タ?」
ヴァルカンはエイメリアの救いの言葉にしがみつくように、コクコクとうなずく。
「そ、そうだな。リウもかなり強くなった。俺も百回、いや、千回に一回くらいは負けても不思議ではない。いまは戦後の荒れた時期だ。〝剣聖〟としての職務も少なくない。怪我をして動けなくなるのは困る」
リウががっくりと項垂れた。
「……ぅぅ、そっかあ。そうだよね。ごめんね、お父さん。全然気がつかなかった」
うちの子、めっちゃいい子!
しかしすぐに明るい顔をあげて、ヴァルカンに笑いかける。
「わかった! 来月まで我慢する! またよろしくね、お父さん!」
「よかろう」
「じゃあお母さん、朝食作るの手伝うっ」
「ええ」
エイメリアがリウを連れて邸宅に戻る際に、軽く振り返りウィンクをする。相も変わらず美しい。出会った頃からずっとだ。
ヴァルカンは女神に祈るかのように両手の指を組み合わせ、助かった、とジェスチャーを送った。エイメリアはいつものように微笑みを返してくるだけ。
手のかかる人。
そんなふうにだ。
いい女だ。こんな家族偽装に付き合わせ、彼女の貴重な時間を奪ってしまうことは本当に申し訳ないと感じる。
ふたりが立ち去ったあと、ヴァルカンはため息をついて、大樹の幹に掛けておいた手ぬぐいを取る。
汗を拭っていると、リウだけが戻ってきて、ひょっこりと顔を覗かせた。
「さっきお父さんからお淑やかな貴族の子女らしくって言われたけど、そんなのよりわたしね、世界一格好いいお父さんみたいになりたいんだ」
「お、え? か、格好いい? 世界一?」
「うん! それだけ言っとこうと思って!」
頬を染めながらそう告げると、今度は逃げるように走り去ってしまった。
ヴァルカンの鼻の下がかつてないほどにビロンビロンに伸びる。けれどもその姿が完全に見えなくなった次の瞬間には、腹を押さえてうずくまるのだった。
アイタタタ……斬られたお腹が痛ぁ~い……。
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