3.訪問者
外を伺うと、扉の前で中の様子を探っていた長身の男性と目が合った。驚いたように赤い目が僅かに開かれる。初めて見た顔だが、ルーシャはその赤い目になんとなく既視感を覚えた。
「本当にこんなところに人が居たとは……、ああ、失礼した。朝早くに申し訳ない。私はタイタニア王国近衛騎士、隊長のランドール・ウォーレンだ」
この国の騎士隊長を名乗る男は胸の前で腕を水平に構え、敬礼の意を現した。短く切り揃えられた黒髪の下から鋭い目が覗く、その表情はどこか硬い。傍から見れば睨みつけているようにも見えるだろう。
「ええと……隊、長さん? どのような、ご用向きでしょうか……」
ルーシャは戸惑ったまま、おそるおそる口を開く。目の前の男性が恐ろしいから──ではなく、他人と会話を交わすということ自体、ほとんど経験がない。動物や精霊に語りかける以外の言葉を、ルーシャは知らなかった。
「先日、この近くに飛竜が現れてな、討伐は終えているが、周辺の被害状況の確認のために見回らせてもらっている。……怖がらせてしまっただろうか」
ぎこちのないルーシャの様子を、ランドールは怯えさせたと受け取ったらしい。なぜだかその黒い髪に、項垂れて下がった犬の耳の姿が重なって見えた気がして、ルーシャは慌てて首を振った。
「いえ、その、知らない方と話すのはあまり、慣れていなくて……気になさらないでください」
「知らない……?」
ランドールは首を傾げる。国の騎士隊長を務めるならばきっと有名なはずだ、そんな人に向けて、知らないは失礼だったかと思いつつもルーシャは頷いた。
「ずっと、ここで一人で暮らしているものですから、世情には詳しくなくて。無礼をお許しください」
「大丈夫だ、そう畏まる必要はない。ここに居るのは君一人か?」
「はい」
なるほど、というようにランドールが頷きを返す。
どうやら単に疑問に思っただけで、プライドを傷つけてしまったわけではないらしい。
「なので、飛竜の被害というのも特には──」
ない、と言葉を続けようとしたルーシャは、ランドールの背後に目を向けて、あっ!と突然声をあげた。
何事かと振り返ったランドールの視線の先に、柵の内側にいたはずの羊が一匹、抜け出してきている様子だった。ルーシャはわたわたと扉を開けて男の傍を走り抜けると、逃げ出したイタズラな羊を捕まえようと手を伸ばす。
「こらっ、いい子だからおうちに戻りなさい」
遊びたい盛りの羊はひらひらと揺れるマントの裾を追いかけて、足元からなかなか動かない。
その時、強い風があたりを吹き抜け、羊に気を取られたルーシャのフードを舞いあげた。ふわりと波打つ、白い房がフードの下から溢れる。
驚いて顔をあげた丸い瞳は、金色──ではなく、今は少しくすんだオレンジをしていた。頭の上にあるはずの角は、白い髪に埋もれて見えないほど小さくなっている。
「あっ、わわ……」
足元にまとわりついて遊ぶ羊と、風に飛ばされたフードに翻弄されている少女の姿を見たランドールは、口元に小さく笑みを浮かべた。
(笑みと言うには些細なものだったが、ここに近衛騎士の隊員がいれば、あの万年仏頂面の隊長が、とさらに騒ぎが追加されていたかもしれない)
ランドールは少女に歩み寄り羊を追い立てるように手を動かすと、柵の扉を開いて流れるように内側へと羊を仕舞った。
「あ、ありがとうございます……」
ルーシャは、母の言いつけを守り、飲んでいた薬の効能がきちんと発揮されていることに安堵しつつも、それとはまた別に醜態を晒してしまったことへの恥ずかしさで、フードを被り直した。
「いや、大したことはしていない。ほんの礼のようなものだと思ってもらえれば」
なにかお礼をされるようなことをしただろうか、首を傾げながらも、ルーシャはランドールが周辺の被害状況の調査とやらに来ていたことを思い出す。調査への協力のお礼、ということなのかもしれない。
ランドールはその様子を見ながら何か話を切り出すように、軽く咳払いをした。
「最近は活発化した獣による被害も増加している。この辺りは森も近いし気をつけてほしいが、若い女性の一人暮らしでは何かと大変だろう。困ったことがあれば──」
そういい終わらないうちに、今度は先程よりも強く風が吹いて、言葉をかき消す。
しかし今回はそれだけでなかった。降り注いでいた陽の光が遮られ、頭上に大きな影がさす。見上げてみれば、それは大きな翼だった。




