花形3
よろしくお願いします。
かっかっかっかっ!
天へと響く太鼓の拍子にあわせ、女たちが足を踏む。腰を揺らす。華やかな朱の指先を、晴天に伸ばし腕飾りを鳴らす。
しゃんっしゃんっしゃんっ。かっかっかっかっ!
翅のような薄衣が一斉に翻ると、途端にわあっと歓声があがった。舞台手前、楽器をかき鳴らす男らの足下は硬貨の雨だ。多くは銅、そしていくらかの銀。それを投げて寄こす人の、なんと明るく輝いていることか。
「虹の羽衣」一座とその麗しき道連れは、うずまく活気の中心に立っていた。
都に近づくごとに華やぐ街、あか抜けた人々、喜びの声。
狂王の下で息をひそめていた五十と二年から解き放たれ、民の心は今、我先に人生を楽しもうとしているのだった。
近づく「解放記念日」に合わせフリーヤへ向かう一座はひとつではない。二つ向こうの通りでも、五つ向こうの広場でも、音楽が響き歓声があがる。
しかし「虹の羽衣」は他の三倍は人を集めていた。いや、これは正確な表現ではなかろう。硬貨の色を見ればわかる。
弦楽器の余韻があり、優美な一礼と共に踊り子が下がると、座長がすかさず声を張り上げ注意をひいた。
「さぁて皆様! お待ちかね!」
そうだこれを観たかったのだと口々に言い、待ちきれない客がつま先立つ。前がそうすると後ろは跳びはねる。
押すな邪魔だの騒ぎに向かって、座長はわざとらしく肩をすくめた。
「おやおや騒がれちゃ困りますね、旦那がた! うちの人魚はひどく臆病なんですよ。あんまり周りがうるさくっちゃあ、歌えるもんも歌えなくなります!」
観衆はあっという間に静まった。裏の踊り子には気分のよくない話だ。客に見えないところではあるが、あからさまに嫌な顔をする娘もいた。マチルダは舌打ちさえしたくらいだ。
しかし座長は髭を撫で付け、もったいぶって息を吸い、客をさらに焦らしてみせる。この辺は長年の技というやつ。内心の複雑な思いをまるで感じさせない自信たっぷりの大声で、高らかに口上を述べる。
「これにおりまするは人魚の娘! 歌声を食らい! 波を誘い! その業は海よりも深い魔性の娘!」
ここで、たった一人でかごを担いできたドッブに人々がどよめく。
座長はやわらかく声量を落とす。
「皆様、どうかお静かに。陸の人魚の歌声ならば、まさか海には呑まれますまい。しかしどうかお気をつけて、ゆめゆめ溺れることなかれ。神に祈り、お聴き下さい。人魚の歌です」
実を言えば、人魚はとっくに歌いはじめていた。踊り子の足音、手前の楽器、そして座長の大声でごまかしていただけだ。
何しろ気まぐれな歌い手だから、無理に止めれば一日ふて寝してしまうかもしれない。それで早めに踊りを切り上げさっさと舞台にあげたのだが、人魚の歌は、今日に限ってひどく静かだった。今までにない心細さである。しんとした通りに、どこかで誰かが泣いているような、かなしい歌声が染みてゆく。
「おい、あの子どうしたんだ。声が小さいぞ」
不安げな座長に小声で問いつめられ、コドクは面倒くさいという顔を隠さなかった。もちろんこの人自体には含むところはない。
「うるせえな」
とはいえ、どうにも不愉快な同行である。つぶやきにかすかな殺意さえ混じったのに、座長が気づかなかったのは幸運だった。
「静かに聴けっつったのはあんただろうが」
「しかし」
「黙れよ」
迫力に負けた座長だが、そわそわ落ち着かない様子で人魚と客の様子をうかがう。他の面子はちらちらとこちらへ視線をよこして助けを求めるものだから、コドクの苛立ちは募る一方だった。
苦笑か嘲笑か他人には判断しづらい表情を浮かべて、金髪の弟がそっと目配せする。
「……やるのか」
「たまにはね。鈍るのは嫌だし」
この連中や観客を喜ばせてやる義理はないが、兄弟には甘いコドクである。それに、人魚が今にも泣きそうだということには気づいていた。声を張るのにひどく臆病になっている。大方《鱗》を引っ掻かれでもしたのだろう。
ざっと視線を巡らせれば、ざまあみろとばかりにくすくす囁きあう娘らがいる。
踊り子の、特に若い三人だ。
何をしたのかもわかっていない愚か者。悪意に疎い人魚をおだてたか何かで釣っておいて、近くに来たところで手を出したに違いない。
そういう類がいるという知識はあったのに、傍を離れた自分にも腹が立った。あの小さな人魚が怯えている間、自分ときたら童女と二人、思い出話に花を咲かせていたのだから。もちろんそれが悪いこととは思わないけれど、せめて弟の一人でも付けておくべきだった。
コドクは腰の剣に手をやった。その視線の向かう先に気づいたネスルが険しい顔をして近づいてくる。まさか自分はこんなところで簡単に事を終わらせてやるような優しい男だと思われているのか。心外だ。
添えた左の親指をくっと伸ばせば、しゅりり、と刃の擦れる音がする。
全く同時に同じことをした金髪の弟に、一つうなずき、
「どけ」
座長の横をすり抜けて舞台へあがる。足音はない。
評判とは少々違うがやはり美しい人魚の歌に気をとられていた観客は、突然現れた二人を奇術かと驚きつつ受け入れた。
コドクと弟はかごを間に向き合って、鏡のごとく動きだす。
赤い頭巾の刺繍をなぞり、ゆっくりと陽光に肌をさらす。
老若男女みな息を呑む、美しい二人の男だ。
一人は爽やかに微笑みながら、一人は切っ先のごとく鋭い視線で、しゃりんっとそれぞれの剣を抜く。これ自体はひどく優しい響きだった。
剣は交わるたびにりんと鳴り、きんと弾きあい、互いの指でなぞる分だけしゅいいいい、長く響く。
合わせた剣を軸にまわり、すばやくすれ違いながら相手の剣の肌に触れるのだ。
少し間違えれば指が落ちる危険な行為なのに、危うさは少しもなかった。
しっ、しっ、という独特の呼気にあわせて細かい刺繍の入った外套がひるがえり、萎み、ふわっと舞って、一拍、地に擦れる寸前に立ち上がって広がる。このかすかな衣擦れさえ、今は調和の一部だ。
二人の男のあざやかな「伴奏」に引っ張られて、人魚の声が二重になり三重になり、ついに一つの鐘の音になる。
あどけない瞳はしばらく「伴奏」を追いかけていたが、突然拍子を変え、かと思えばふと黙ってみたりして、「伴奏」とじゃれあって遊びはじめた。それに当たり前のように付き合って動ける二人の技術の、美しいこと凄まじいこと。
観衆は言うに及ばず、踊り子も荒事を得意とする男衆も、ただ目を見開いて成り行きを見守った。
硬貨を投げようとする者は一人もいなかったが、一座の誰も催促しない。
仮にも芸を売る身だ。これほどの舞台の邪魔をできるわけがなかった。あえて言えば他の通りの歓声が耳障りだったが、静まれと叫ぶのも惜しい。
いつの間にか影が伸びていた。
帰る者は一人もない。皆ひたすら息をひそめ、祈るように舞台を見つめた。これだけの剣舞、これだけの歌、これだけの美しい調和をこれだけ長く、一体彼らはどうやってつくりあげられるのか。誰もが不思議に思った。いまだ、外れた音は一つもない。
夢の終わりは突然だった。
まだ途中だと言われてもこれで終いだと言われても納得できる、絶妙な一拍。
そこをとらえた亜麻色の髪の童女が、銀髪の若い男が、盛りを過ぎた赤毛の女が、老人が、だんっ!!! と舞台を踏み鳴らした。
体を捻りながら宙を舞った二人の男が、最後の最後まで一瞬のずれもなく着地する。外套がはじめて地に触れる。
人魚が「ぱちぱちぱちー」とふわふわ笑いながら手を鳴らした。
それが少しずつ波のように、舞台上から人々へと広がっていく。
お、と一人が声をだし、あとはもう滅茶苦茶だった。
おおおおおおおおお!!!!!
「うるさーい」
無邪気に耳を塞ぐ人魚にも、そのかごを持ち上げて去った二人にも、暴動じみた歓声が鳴り止まなかった。
遠くから近くから投げられる銀貨、銀貨、銀貨。中には金貨や装飾品、輝石に衣装まであった。もちろん襤褸なんかではなくて、庶民には一財産になるほど上等なものだ。貴婦人の扇まであったのは、噂を聞いて忍んできた富裕階級が興奮のあまりに、というところか。
間違いなく、「虹の羽衣」一座、そしてこの街始まって以来の大稼ぎであった。
ありがとうございました。
次回更新は12月13日です。




