花形2
よろしくお願いいします。
ネスルはマチルダの背中を見送ってから、頭を下げる。
「悪かった」
「何が?」とすぐさま試すように若者が聞く。
「あんたらのお仲間を連れ出した。商売の道具にした。それなのに、ちゃんと面倒を見てやらなかった」
「ふうん」
童女がつぶやく。
「どうする、コドク」
「そこで俺に振るのか」
「そりゃあ兄だからなあ」
人魚に手を預けていた男は、弟の軽い言葉に苦笑して頭巾をとった。合わせて次々あらわになる色も鮮やかな容姿に、座長が、ずらずら着いてきていた男衆が息を呑む。踊り子たちはほとんどがマチルダの後を遠慮がちに追ったので、衝撃を受けたのは年長組の一部だ。
ネスルとカルブは目を見合わせた。
やはりあの集落の。間違いない。よく似ている。
「人形は壊れていない」
コドクはすっと立ち上がった。気がする。ひとつの動作があんまり静かで自然なので、こちらからはいつの間にか立っていたとしか、認識できない。
かごの骨を一本、親指の腹でなぞってゆく。描かれた貝を口の中でニ、三とかぞえる。声は単調で、何かの台本を読み上げているみたいだ。
「人魚も無事だった」
彼一人だけ髪が短い。黒ではない、夜色の髪。あの人形とよく似ている。銀と深い緑の組紐が頬に垂れ、物憂げな顔立ちによく映えている。瞳はさながら秋空である。澄んでいて、かえってどこか不安になる。同じ色男でもネスルと決定的に違うのは、彼が街を歩いたとしても、女は近寄ってこないところだ。正確には、近寄れない。触れれば怪我どころか死んでしまうのではと思わせる、鋭く冴えた刃のような美貌だった。
「それなら俺たちに問題はない」
「あらそう」
「ならいいがね」
コドクは次に枝葉の裏を探った。
待ってくれ、と座長が声をあげた時だ。
「……ああ、あった」
気怠いつぶやきに合わせ、囲んでいた男女が三歩下がる。
あっと聞こえたのは誰の声か。
「かごが……」
開いてゆく。ゆっくり。自らの重さだけで。
並んだいくつもの骨が花弁の開くように、あるいは優美な乙女の寝そべるように、外側へふんわりやんわり開いてゆく。中にいるのがもっと清潔で不気味な人形など抱かない少女であったら、永遠に見とれていただろう。
ネスルは意識して瞬きをする。そうしなくては、呆けている間に彼らは消えてしまうような気がした。
「待ってくれ、ですって」
「待つのか?」
「さて」
「兄さん次第」
「じゃの。コドク、どうする?」
さいわい座長の声は届いていた。
彼らは立ち去らなかった。
排泄物やら食べこぼしやらで汚れてしまった人魚と人形の体を拭い、服を替え、かごの底を拭き、細工の壊れていないかを調べた。手際よく動きながら話していた。あれだけの臭いがみるみるうちに薄れ、また花の香りが漂い出す。ここまでくると奇術の類だ。
「また俺か」
人魚と二人、脇にどいて不気味な人形の髪を梳いていたコドクはため息をつく。
「何だよ? まだ何か用でもあるのか」
「いや……つまり、その」
見目麗しさは時に人を阿呆にする。二十そこそこの若造、だが鋭いコドクの美貌を正面に見て、座長は口ごもった。本能が畏れているのだ。膝を折れと囁いてくる。
はて自分は何を言おうとしたのだったか。
「ええっと、ですな」
コドクは冷ややかに顔を背ける。
「あんた方の村に行ったがな、夜襲にあった。俺達は逃がしてもらって、かごを拾っていけと言われたんだ」
慌ててカルブが後を引き取った。
「やしゅう」と人魚が繰り返す。
「トリェーチィだろ」とコドクが言う。
「それで?」
「それで? あ、いや、だから、行かなくてもよいのかと……」
馬鹿、違うだろ。
今度はネスルが言葉を被せる。
「夜襲は何てことないんだよな? あんたらには。そんな口ぶりだった。急いで帰る理由はないんじゃないのか」
コドクは、ここではじめて一座に興味をひかれたようだった。あーだのうーだのじゃれつく人魚を片腕に絡ませながら笑う。
「だったら何だよ」
ネスルはごくりと唾をのんだ。
ここから、である。
「アル・ラベェの都を知っているか?」
コドクの笑みが深まった。傍らに座る、大人びた童女を見下ろす。さらさらとこぼれる亜麻色の髪。紐は空色。それで瞳の濃さが際立つ。可愛いというより綺麗な童女だ。赤い外套の裾には瞳と同じ濃緑の糸で樹木の刺繍がしてある。
「知ってるかだと」
「ふむ。私は知っておるが」
くすくすくす。淑やかで謎めいた含み笑い。子どもらしくない。わざとだろうか。
「……劇、踊り、曲芸、奇術、それに歌。王都フリーヤは今あらゆる娯楽を求めている。平民から貴族まで一つの例外もない。狂乱の王の死から五年経つが、人々はまだその在位五十年を忘れようと必死なんだ。あの時代の恐怖を」
連中が揃って目を細める。
「五十二年だ」
「まあよい」
「それで?」
俺たちには目的がある、とネスルは打ち明ける。
ここまで話すのは賭けだった。座長はやめておけと囁いたが、ネスルは確信している。この連中には嘘も隠し事も通じない。
「それは、ある貴族と会うことだ。しかし正面から行くには、ちょっと、都合が悪い。たぶん会えずに追い返される。だから、呼ばれる必要がある」
貴族の宴に呼ばれる。
特別話題になるほどの芸達者もいないこの一座には、難しいことだ。
だが、もしも、人魚がいたら?
呼ばれるだろう。間違いない。この数日でどれほどの信奉者が金を落としたか。欲しいと手をあげたか。この人魚には価値がある。売って損しかしないと言い切れるだけの価値があるのだ。
「そんなに長くは待たせない。持ち逃げするつもりもない。ただ、俺達の目的が叶うまでだ。どうかこの子を貸してもらえんだろうか」
はじめに訪ねてきた金髪の若者が首をかしげる。
「ただ?」
「えっ」
「ただで貸してもらおうっての? 拐って謳って稼いでおいて? 虫がよすぎやしないかい」
「相変わらずね、あんた」
三十路あたりの、赤毛の女が囁く。指先に絡ませた金色の紐があだっぽい。
「兄さん姉さんが優しすぎるんだよ。外じゃあね、人は蛭より質が悪い。欲が深い。ひっぺがすのは大変なんだから」
吐き捨てる彼はその若さで一体何を見たのかと一座の面々は驚いた。
だが、そう。
こんなだった。
老いも若きも関係なく、彼らは人を自分らとは別の生き物のように見、語る。ネスルの代わりに口を開いたのは大人びた童女だった。
「私はこやつらと行ってもよい」
一座は驚いた。若者は苛立った。
「はあ? 何でさ」
「どうせ行くのだ。冠見物。そうだろう? 連れは多い方が楽しいだろうさ」
冠と聞き思い出すのは狂乱の時代。
いや、王都フリーヤはまだあの時代の下にいるのだ。かの女王が戯れの果てに壊してしまったという神話の冠の残骸は、今も城門の上に掲げられ次の主を待っている。
狂王唯一の子、王女ユマオ。その成人は近い。
だから焦っていた。
悠長に機会をうかがう暇はないのだ。ここで断られれば実力行使、無理にでも人魚をさらっていくつもりで答えを待った。若者が言ったとおり、拐って謳って……だが稼ぐためではない。
どうあっても会わねばならなかった。
あの狂った時代を生き延びた数少ない貴族、その筆頭に。
真意を正さねばならなかった。
「ならぬか? コドク」
「ならぬかこどく?」
人魚が真似をする。
意味なんて分かっていやしないのだろう。何度も繰り返してはふわふわ笑う。そして童女の静かな眼差し。
コドクが面倒そうに、なぜだか座長に視線をよこす。
「こいつを、人魚って呼んだって?」
狼狽えても仕方がない。座長は静かにうなずいた。
「どうして」
ドッブと並ぶくらいに言葉足らずだったが、言いたいことはたぶんわかる。
「詩人になりたかったんだ」
真っ先に出てきた言葉だけ伝えた。コドクはかすかに笑った。
それなりに良い家の四男として生まれた。
治める土地はひとつ上の兄までいれば事足りてしまって、順序に割り込めるほど光る才覚もない。お前は自由なのだと投げ出された時、本当に選べる選択肢はあまりにも少なかった。
でもできることなら詩人になりたかったのだ。
ずっとこの旅が続けられたらよかったのに。たくさんの街でたくさんの人々を自分の言葉で集める。そうして笑顔を舞台の上から眺めるこの幸福が、ずっと続くものならよかった。
父や兄たちの無念を晴らすことが本当に正しいのか、わからないままこんなところまで来てしまった。それで誰かが救われるのか。明日を生きようと思ってくれるのだろうか。けれどこんな疑問を口にするには、ネスルはあまりにも真剣すぎる。
座長なんて呼ばれても、仲間たちの頭は自分ではない。
見た目が平凡かもっと下で、目立たないけれどちょっとばかし口がまわって、ひげを生やしていれば「それ」らしいから。
そんな形ばかりの座長の言葉で、一体誰を止められるだろう。いっとう若いビルニークやマチルダだって、なだめるのはカルブたちの役目なのだ。
詩人へのあこがれは消えないけれど、せめて道化になりたい。笑われるのではなく笑わせる。そういう生き方がしたい。
人魚の歌なんて反則だろう。せっかくずっと蓋してきたものが、涙になって溢れてくる。言葉にしなかったのは、きっと意地だ。
羨ましい。
かごの中でも陸の上でももしかすると海の中でさえ、この少女は歌うのだろう。どんなしがらみにも止められるものか。彼女は自由なのだ。
だから歌わせる。
ドッブが珍しく愚痴をたれても踊り子が陰口をたたいても他の一座が口を挟んできても、座長として、ここだけは決して譲りたくなかった。
「その子を貸してもらえないか」
ネスルやカルブには言えないけれど、「虹の羽衣」なんて場所はあの才能を囲い込むには役者が違いすぎる。不相応なんて部外者に言われずともわかっているのだ。けれど、それでも。
「おれは、その子を舞台に呼びたい」
自分の言葉で。
自分が考えた口上で、彼女のための舞台を用意したいと思った。歌を聴かせるために観衆をなだめて、けれど視線が冷めないように、舞台から逸れることのないように。あの瞬間、自分はそれだけ考えている。その自由が、どれほどの誇りをくれただろう。道化だっていいと思った。自分はここにいる。この素晴らしい舞台の一部として動いている。それなら形なんてどうでもいいのだ。
自由を主張する台詞なんて聞き飽きているのに、はじめて本当の自由を知った。
コドクはネスルと座長を見比べる。
「あんたの口上が、こいつの歌の価値を上げてくれた」
別の道で王都フリーヤを目指していたコドクたちのところまで、その評判は聞こえてきた。噂なのに見事にど真ん中を射抜いていて、すぐに人魚が「拾われた」のだとわかった。間違いなくこの座長の目利きと口上のおかげだ。いくら目的地が重なっているとはいえ、早めに合流できるに越したことはない。何しろこの娘は「人魚」だから。
「だから俺たちは、あんたと人魚に同行しよう」
「……ありがとう」
感謝を告げるネスルには視線をやらず、深く頭を下げた座長だけ見つめる。それは一座からすると、不可解でどうにも不愉快なものだったけれど、
「どういたしまして?」
若者は心から楽しそうにこたえた。
座長は今日も高らかに麗しき海の魔性、人魚の姫と謳って客寄せする。けれど人魚は特別に美人ではない。
明るい空の下ではなおはっきりするけれど、造りだけなら集落の者どころかその辺の娼婦の方がだいぶん整っていた。いくら梳いてもパサパサした藁のような髪、日焼けはしていないがそばかすだらけで首やひじの内側はかさついている。
それなのに彼女を美の化身のように敬う客が絶えないのは何故か。座長はまあ仕事だから仕方がない。けれど客は見ていないのだろうか。
踊り子たちにはわからない。見目麗しい旅の道連れが甲斐甲斐しく人魚の世話を焼いているのを見るとなおさらだ。
自分らの方が、とどうしても思ってしまう。
そこで金髪の若者は、兄姉の呆れた視線も気にせず親切に語ってやった。
「あなた方とうちの人魚の違いはね、一つに尽きると僕は思うよ」
親切めいた軽蔑の言葉だ。
「なぁに、どういうこと?」
「人魚はいつも歌うことしか考えてない」
若者はそれこそ歌うように言った。
「食事も排泄も誰かが世話しなきゃならないし、それを恥ずかしがる感性もない。いつだって一心に歌う。無垢に歌う。俗世に疲れた人間ってやつは、そこに何かしら救いを見出だす」
と、ここでまた堪えきれずに笑いだしながら、
「お生憎様。彼らのきれいな人魚姫はさ、自分に貢ぐ馬鹿なんかより、腕の中に抱き込んだ人形の方がよっぽど大切なんだけどね。奴らの愛の言葉の一つも、人魚は覚えてやしないんだ」
「人形、ねえ」
踊り子たちはそれを思い出し、紅を塗った唇をぐにゃりと歪める。
木からくりぬかれたままの人形だ。長い黒髪が被さっている。それにあの、生々しい片目だけがある顔。
「気持ち悪いかい」
見下すように聞かれて、踊り子たちは黙った。
「ねえそれ、あの子にも言っただろう?」金髪の若者がわらい、
「まあ、でしょうね」赤毛の女がうなずき、
「そういうことかよ」銀髪の若者があきれて、
「道理で出て来たがらぬはずだな」亜麻色の髪の童女はため息を吐く。
「かわいそうに。怖かったろうなあ」
最後に囁いたのは、白髪に少しの栗毛が混じった老人。
「怖いって何よ?」
マチルダが聞くと、そんなこともわからないのかと呆れられる。
「奪われるのが、よ。お嬢さん」
「かごが開いておったなら、間違いなくそうしただろう?」
「評判の人魚姫が持つにはふさわしくない、ってか」
ここで全員一斉にため息。
「まったく、そんな恐ろしいことされなくて本当によかったよ」
「かごをつくって正解じゃったな」
「あの子が泣き叫ぶところなんて見たくないもの」
いつもなら売り言葉に買い言葉、そんなことしないと怒鳴るマチルダもこればっかりは黙り込む。なにせあの人形を真っ先に気持ち悪がったのは彼女だ。かごだって、いかな芸術的な代物でもとにかく邪魔だから壊してほしいと訴え続けていた。
「……あんな頭の悪い子に、そんな理屈がわかるっていうの?」
それでも毒づくのはやめないあたり、反骨精神だけは一人前だ。そこで止めない仲間も仲間だ。
まったくこの芸人気取りの方々ときたら! 金髪の若者だけではない。他の一座も、目の肥えた一部の商人や富裕層も、彼らがただ実力のない旅芸人なら花形の人魚を引き抜こうなんて早々思いはしないのに。座長の人柄で引いてくれたのがまったくわかっていないらしい。
そんな「楽しい」世間話に興じる兄弟達と違って、コドクは一座の者とは口をきくのさえ嫌がった。
毎朝、人形にも人魚にもかごにも傷のないことを確かめては、一日その傍でぼんやりしている。近寄る蛮勇は持たずとも、その美しい空色の双眸に映りたがる女はここの踊り子だけではない。道々に出会う大概の女がそうだったが、コドクは一瞥もしなかった。
こうして旅をしているのは、子種をばらまくためではない。それを言わねば、いいや言ったってわからないから、外の奴らは嫌なのだ。
「……まったく、面倒くせえな」
ぽつり、つぶやきに答えて童女が笑った。
「仕方がない。お前はいい男だからな。女としては、少し彼女らに同情するぞ、私は」
言いながら、あぐらをかいたコドクの隣にすとんと腰を下ろす。かごを置くため持ち込んだ赤い敷物にはコドクらの血脈に伝わる刺繍が細かく細かく施されていて、種類を同じくする童女の衣装はその上によく馴染んだ。コドクの瞳と同じ色の紐をいくつも編みこんだ柔らかな髪が、ふんわりと香るのを横目に見る。
「あんたがいるのに、他の女なんか目に入るか」
「おい。こんな子どもに言う台詞か? 趣味を疑われるぞ」
童女は苦笑して自分の右手をコドクの左手と合わせて比べる。コドクはすぐに引っ込んだそれを追いかけて掴みなおした。
「コドク?」
右膝に頬杖をついたままコドクは笑う。
「俺の記憶じゃ、どっちにしろあんたはそこら辺で止まってる」
「言いすぎではないか。あの頃は、今の三倍は育っておったはずだろう」
「そうだったか?」
「うむ」
真面目ぶってうなずく童女の顔から不安が消えたのを見届けて、手を放す。
「あんまり焦るなよ。嫉妬されるのは、まあ悪い気しないけどな。らしくない。大体、俺がどれだけ待ってると思ってるんだ。今が五歳だから、あと十年ちょいだろ。そんなに長い時間じゃない」
童女はぱちぱちと瞬いて、
「……お前が、そういう男だから、焦るのではないか」
珍しく年相応、幼い仕草でそっぽを向いた。
昼寝に飽きた人魚が「まっかー」と笑うので、童女はますます赤くなる。ついで寄ってきた兄弟たちにもからかわれ、童女はこの日、眠る時までむくれていたのだった。
やっと名前が出せました。遅い。
次回更新は12月11日です。




