血脈1
よろしくお願いします。
人魚がかごごと戻されると、舞台裏にはいつも白けた踊り子達の目が待っている。
まあ彼女らにしてみれば、突然現れて花形を奪っていった人魚は、素直に認めるにはあんまり気まぐれすぎたのだろう。マチルダが何かやらかすとき、それはほとんどの場合、踊り子仲間の総意だった。見た目にそぐわない幼さは計算だと感じたし、「生まれもった」才能に驕っているだけじゃないかと苛立った。才能があるなら、歌いたくない時は歌わなくていいのか。そんなのがまかり通るのはおかしい。自分たちだって、別に踊り子をしたくてしているのではないのに。
しかし、である。
今日ばかりはいつもと様子が違っていた。
「すごかったわ! 私、私あんなにきれいな、静かな……ああ、何て言ったらいいのかしら? わからないけど、あんなにすっごい舞を観たのは生まれて初めてよ!」
年長の一人がこう口火を切ると、私も私もと踊り子は一斉にさえずった。
もちろんそんな圧力におされる柔な二人ではないから、金髪の若者もコドクも、気にせずすたすたかごを運んだ。それでも彼女らは引き下がらない。ついて歩きながら興奮を吐き出す。
「ほんと、どうやったら重たい外套をあんなに軽く魅せられるの?」
「剣もそうだわ。だって飾りじゃないんでしょう?」
「それを指でなぞるなんて!」
「信じられないわ」
「一度も同じ型をとらなかったし」
「なのに一度もずれなかったしね!」
女ではなく一人の踊り子として、かりそめでも音楽で生きる身として、讃えずにはいられなかったのだ。「あわよくば一夜を」とまとわりつく女はひどく嫌う二人だが、今は強く拒絶しないでいた。黙って踊り子の興奮が醒めるのを待った。こういう類に必要なのは時間だ。
コドクがかごを開けて人魚を抱きかかえ、若者が中をきれいに拭く。その間に他の兄弟も集まってくる。
かごを中心に兄弟の輪、その周りを囲む踊り子の輪ができる頃になって、彼女らはやっと落ち着きを取り戻した。一座の男らの驚きの目、歌い疲れた人魚のかくっと崩れてはむずがる仕草、これを優しくなだめる大人びた童女。
そんなものが視界に入ってきて我に返った。
居心地の悪い沈黙を挟んで、
「それに、その、歌も」
遠慮がちに一人が囁く。
「彼女、今日はあなたたちの音に合わせていたでしょう? 私、彼女はやみくもに歌うだけだと思ってたわ」
「観客を楽しませるとか、踊りを引き立てるとか、そんなことできないんだと思ってた。やる気もないって」
「私も。声だけの子なのに、なんて」
でも違った。
「あたしらじゃ、足りなかっただけなのね。全然。邪魔しかできないのはあたしらだったのに、この子のせいにしてたわ」
集まった踊り子全員が真剣にうなずいた。
「……いつまで一緒についてきてくれるんだか、あたしらは知らないけど」
「もしよかったら、彼女の歌で踊ってみたいわ」
「もちろんもっと上手くなってからの話だけど」
慌てて付け加えれば、童女が上品にくすくす笑う。
「それはこの子に頼むことだな。まあしかし、今日は遊びすぎたらしい」
人魚はもう眠りの国へ降りてしまって、童女が頬をつついても静かな寝息を立てるばかり。年長の踊り子は苦笑する。
「そうね。話はまた明日、ゆっくりするわ。長いこと邪魔してごめんなさい。……謝罪もまた改めて」
向こうで青ざめている若い娘三人をちらりと見ながら、こう囁いた踊り子が去ってゆくと、コドクはため息をつき、若者は肩をすくめる。
「ねえ、この際さ、人魚の取扱い方でもかごに貼っといたほうがいいかな?」
「おお、それはよいな」
「ちゃんと描いてあるんだけどねぇ、一応」
「誰も気づかねえもんな」
夕暮れ時、色は違えど似通った老若男女はひそやかに笑う。
「しかし、まさかこんなところで大っぴらに神代の舞を観るとはなあ」
若者は肩をすくめた。
「僕もまたやる機会があるとは思わなかったよ。懐かしかったな」
「それより私はひやひやしたわね。あんたが間違えるんじゃないかと思って」
「ちびっこに誘導されかけてたろ。八の昼から移る時にさ」
「コドクに止められたのは見物じゃったわ」
完璧な出来と他の誰が見間違えても、同じものを学んだ兄弟の目はごまかされなかった。特に点の辛いのは女性二人で「まあ、お前にしては上出来だろうな」「そうね。まあまあね」と締めくくる。
「そこまで言わなくってもさあ」
「ほっほっほっ。比べて、コドクはさすがの一言じゃなあ。あれぞ我らが長。真の王よ」
「あんたくらいなんじゃないの? あれの型、今でも全部覚えてるなんて」
集落で学ぶことは色々ある。
読み書き計算、礼儀作法に医術。染色、鍛冶、織りや刺繍。体が丈夫なら弓、槍、剣。
今日披露された舞は中でも覚える者が一番少ない技能だった。求められる体力、才は他の舞踊より格段に上。己で己を完全に操らねばならず、止めるにはそれだけの読みが求められる。神代の、と呼ばれる通り、古来十二王家が冠を授かるのと引き換えに神へ捧げた舞を起源としている。そしてまた、古き王たちの求婚の儀式でもあった。
十二王家ごと、昼と夜ごと、そこからまた意味ごとに分かれる型。これをすべて覚えるだけではまだ基本。それらが曲として組み立てられ、並べられてゆく。もう、「外」では誰も覚えていない、失われた祭事のひとつだ。
今揃っているのはこの舞を一通り修めた三人、そして舞を止める役割を担った経験のある三人だった。何しろ高度な技術が必要な舞踊であるから、集落では、これは「しとめ」や「はこび」になるための通過儀礼なのである。「しとめ」とは狩りの担い手、「はこび」はその獲物を集落の中に持ち帰る者を指す。
数えで九つになってからずっと、コドクは「しとめ」の兄をやっていた。「おいたて」や「はこび」と違うのは、兄のくせにあまり弟妹の世話をしないところだ。「しとめ」は代々兄のやり方を教わるのではなく、盗む。のんびり教えていたら皆が飢えるからだ。
コドク達の血脈は、神山の最奥、天にぽっかりと大口を開けた巨大な洞窟に棲んでいる。壁はほとんどが険しい崖で、しかも内側へ反り返っている。横穴はいくらかあるが、子どもがやっと通れるかというものばかりで獲物を運ぶにも使えない。底に湧く泉があるので水汲みこそ楽だが、狩りに出る者は崖を越えられることが最低条件だった。
神岩をかるぅく蹴り、木々へ、あるいは山肌へ。
勢いよく下っていきながらも、足音は山の身じろぎ、呼吸は川のせせらぎよりかすかに殺して疾走する。風に乗る。
あまりに年老いているのでも赤子でもなく、そうやって獣を追い回せる体を持つ者は少ない。
そもそもいわゆる健常な体の持ち主が血脈には少なかった。
数百年に及ぶ閉鎖的な交配の結果だ。ならば外からもらって、というのも難しい。「それは反する」と言われるからである。誰からか。上の方々、とコドク達は習う。
「さて我ら血脈にとり一番重要なのが何かと言えば」
と、教師役の年長者は勿体ぶってこうはじめる。子ども心にも全然気持ちこもってねえなと感じる「えへんえへん」だの「おほんおほん」だの咳払いつきである。
いわく、血脈とは何か。
それはもはや公には存在しない血の道だ。
十二の、青い血の、最古の王の。
この世で貴ばれる清き血の粋がここに隠されている。
つまり我々は、神と契約を交わした、世界で最も貴重な生き物なのだ。
……ここでまた「えへん」とくる。
そも、世界には神だけが在った。
地もなく空もなく命もなかった。
そこで神は天地をつくり、この境に命、すなはち人、獣、草木をつくった。
しかし、人がすべてを独り占めしたがったため、地を分け与えることにした。
また、天には夜と昼とをつくり、さらに世界を分けた。
同じ土地でも、夜の王と昼の王を別に立てたのだ。これでやっと、人は満足したという。
王は神と契約した。
血脈の祖である。
昼の一の王が夜の一の女王と契り、一の国を。同じく十二までの国が大陸に生まれた。
暦に刻まれる十二の輝石は今なお続く契約の証であり、十二国家が神意に沿うことを証明する冠である。
いつからか血脈が遺されてきたのはこのためだ。
生きてさえおれば何でもよい。
冠を戴ける十二の血の人形を飾りとして、世間はとどこおりなく動いてゆく。
我々は飼われている、とわらったのはかつての「はこび」の姉だ。
言葉通り外の国に荷出しされ、もう五十二年が経った。
世で狂乱の王と名高い彼女が、本当はどれほど聡明で、気高く、家族想いのひとだったか。知っているのは血脈だけだ。
「いずれ血が途切れれば、賜った地は神に還る。それを避けんと『上』が悪知恵をまわした産物がこれだ。混ざりすぎ、弱くなった血脈。見ろ。まともな体の兄弟は少なく、今は健常なお前たちさえ、ほとんどが若くして死にゆく。下らないな。まったく、こんな契約の、何が尊いものかよ」
彼女は樹に背を預けて座っていた。歳は十六。
王と呼ばれるようになる、ほんの数週間前のことだ。
いつもなら出ていくのは崖を登れない兄姉だのに、彼女が手をあげた。もう誰も見送りたくないから、と。勝手を許してほしい、と頭を下げて泣いた。「はこび」の重責に背を向けてでも、そうすると決めたのだ。意志の強い女だった。
「それでまた、奴らは私らをけだものと呼ぶんだ。兄弟姉妹に父と娘、こんな間柄でまじわるのは人ではないとさ。馬鹿馬鹿しい。それに冠をかぶせるのは手前らだというのにな。我らの命ひとつまともに数えられん外の奴らなぞ、全員死に絶えてしまえばよいのに」
この時彼女の話を聞いた子どもたちは、コドクの他はまだ外も上も知らないちびばかりだった。山奥で生まれ、次に血を繋ぎ、死ぬ。それが人生のすべてと定められた子どもたちだ。中でも飛びきり血の濃いのが、血脈でただ一人きり「コドク」を名乗る。
これまでのコドクは、外に出られない者が多かったそうだ。成人まで生き延びるのも稀なら、その先種を蒔く、あるいは孕むのはもっと稀だ。何しろ一番尊い血であるから、血脈らしさも一番というわけ。「しとめ」の兄なんぞしている今のコドクは、だから、非常に珍しいコドクだった。
コドクらがしとめて帰った鹿を鍋でやわらかくほぐしながら、どっか遠くへいっちまえよ、とよく年長の兄姉らは囁いた。
同母でも同父でもないが、兄姉弟妹と血脈では呼びあう。姉の言っていたとおり、獣より滅茶苦茶に繋がっているので、兄が父だったり弟が孫だったり、とにかくややこしいのだ。だからもう生まれ順に兄で姉で弟で妹だ。でもそれが蔑まれるようなことだと、コドクたちは一人も思っていない。
「どっかいっちまえよ。上のご意向なんざくそくらえだ」
「そうだよ。なあ」
兄たちがやたら穏やかに言うのでコドクはうつむいた。
皆は連れていけない。
もとよりここから出ることさえできない、弱りに弱った血脈だ。しかしこれ以上閉じこもっても、コドクより深い血が生まれるはずがないのは明らかだった。
数百年、飼われ続けた彼らである。
交わり続けた彼らである。
上さえ知りきらぬ滅茶苦茶な血脈の末まで、互いだけは正確に知っていた。
一度も目を開けたことのない妹がいる。
彼女は医術に秀でていて、針一つで病を治す。
両足なく生まれた兄がいる。
彼の物語は海を越え空を翔び、虹より輝いて心に響く。
名こそコドクひとつしかないけれど、一人一人に意味があった。価値があった。それは高貴な血、なんてものではなかった。このまま朽ちるくらいならと皆が思うのは当然だった。
自分らを蔑み、そのくせ頼る権力に吸いつくされるのを待ち続けるくらいなら。
「もう一人待ってみよう」
と、コドクは言った。
「弟が生まれたら、俺は行く。皆、どこへだって行ってしまえばいい」
何度か繰り返された問答だった。これもそう、あの気高い姉なら「下らない」と笑うだろうが、最後の賭けだ。だって全員は連れていけない。いくらコドクが、コドクらしくない男だからって。
一番近く十月十日を迎える娘を皆が見つめた。もうしばらく男児は生まれていなかった。「おいたて」の妹が優しく笑う。
「きっと男よ、兄さん」
「そうか、そうかもな」コドクも笑った。
大声で叫びたい気分だった。獣より濃い血の道の果てで、親を兄姉と呼ぶ自分たち。上とやらが蔑み、外の誰もここに飼われていると知らない自分たち。下の町では化け物とも呼ばれている。
だが生きたいのだ。
皆で共に生きていきたいのだとコドクは願う。
強く。強く。
その願いが聞こえたのは、血のせいなんかじゃない。
どっちだって叶ったなら満足だけれども、コドクはそう考えている。
行き詰まった自分らの前に現れたのは、違ったから。
決してそんな下らない「神」ではなかったから。
厳格ではなかった。清らかではなかった。
そんな美しいわけでもなく、完成されたものでもなく、ただただ幼かった。
それは満月の夜、妹の腹からうまれた。
あまりに小さな弟だった。
コドクたちは、あの夜のことをよく覚えている。
弟は生まれた時から天使だった。
背中に羽などなかったが、産声からしてまともじゃなかった。
「かみさまは、やめることにしたんだ」
と、へその緒も切らないうちから舌っ足らずにかわいらしく笑ってみせた弟を、一人も怖がらなかった。畏れなかった。捨てなかった。
人はそうすると思ってたよ、なんて不思議がる小さな弟を笑い飛ばした。
「そうか」とコドクが、
「こんなことだったのか」と兄が、
「あっさり言うねえ」と姉が、
「何それ変なのぉ」と妹が、
「馬鹿じゃねえの」と弟が、
そうかそうか、何だよそれ面白えな、と皆が、泣きながら笑った。
こんな簡単に消えた鎖につながれて、何人死んだか覚えている。
誰が泣き誰が笑われ誰が謳われ誰が奪われたか覚えている。
姉の吐き捨てたとおりだった。
まったく、こんな契約の、何が尊いものか。
「ぼく、天使になろうとおもうんだよ」
弟の言葉はわかりにくかった。
「ひとりでいるのは、たいくつだからさ」
「つまり、何だよ」コドクはいい兄らしく問いかける。
「ふたりになるのさ」
かつて天地をつくったように、昼と夜とを分けたように。
大いなる創造主は二つに分かれ、神と天使になることにしたのだ、と得意げな口ぶりで弟は続ける。
「ぼくは今、こうしてうまれたわけだけれど」
そうだな、と兄姉はうなずく。
「あ、それについてはありがとう。古い血はなじみやすかった」
あっさりしてるなー。取りあえず意味はあったわけだ。しっ、静かに。
「うん、それでね。神さまについてどう思う?」
思うって。別に何も。同じじゃ面白くないかもね。だから、しーっ。
「そう! そうだよ、面白くない」
えっ採用された。されたなあ。いいなー。もう、お黙りったら。
「このぼく、つまり使いには肉をつかった。じゃあ、神には?」
ええっと水。それじゃ、土。火、とか。木もあるわ。あれっ。今姉さんも言ったね。言ったな。……いいからお黙り。
「ふんふん、木。天に高く、地に深い。き、き、木か。いいね」
採用されたぞ。よかったね姉さん。おめでとう。おめでとー。拍手。お、だ、ま、り。
「さてさて、お兄さんお姉さん」
はいはい何だよ、小さな弟。
「ここにふるぅい、樹があります」
そうだね、弟。四の姉さんのお気に入りだったよ。
「ぼくは、ここからくりぬきます」
えっ何を。馬ぁ鹿、流れでわかるだろ。神様だよ。神様……。
「だけどそれだけじゃつまらないから」
おお、とまたざわめく洞窟。
月の下、うまれたばかりの弟がきらきら笑う。洗われながら。
「皆で少しずつつくってみませんか」
えっ何を。馬ぁ鹿、流れでわかるだろ。神様だよ。神様……。
「えっ、神様を?」
「つくるって?」
「みんなで?」
「うん。そう」
だってぼくら、きょうだいだもの。ひとつの命だもの。そうでしょう。
と、天使は歌うように言った。
そうかそうか、何だそれ面白えな、って誰かが言ったみたいだった。でもそれはたくさんのざわめきに紛れてしまって、一人の声にはならなかった。
あの夜。
あまりにも大きな満月の夜。
血脈は小さな天使の弟と、彼が赤子の手でくりぬいた未完成の神様と、それから、新しい道を見つけた。
皆で生きる道を。
どんなに弱く脆いきょうだいも、あわせてひとつの命になれば欠けることなく生きていける。朽ちない血脈になったのだ。死んだって、また姉妹の腹を借りてよみがえる。そしてその循環には天使もいる。驚くべきことに。面白いことに。
己が果てと諦めていたコドクは、満たされた笑みを浮かべて黒髪を切った。
「それでは最初の名誉を俺に」
天使はひどく喜んだ。
「そうだね、お兄さん。血脈にひとりの名のある兄さん。あなたはきょうだいそのもの。ぼくらそのもの、なんだもの」
それにコドクの髪はいつだって、神にふさわしい満天の星空のようであったから。
ありがとうございました。




