神の山3
よろしくお願いします。
少女が歌っていた。
鐘のような声だった。
いくつも、何人もの声を重ねているように、やわらかく、響きあう。
洞窟の中であるというだけでは説明にならない木霊だった。歌声は空間いっぱいに満ち、それでも決してうるさくはない。聞き覚えのない言葉なのに聞き惚れてしまう。
これがたった一人の口から放たれているのだとみとめるまで、三十分はかかった。
「……おいおい」
と、やっと小さくカルブがつぶやいた。
「俺は、あれか。夢でも見てんのか」
ビルニークの声がふるえる。
「何だよここは……」
天高くにはどうやら穴でも開いているらしい。かすかに差し込む月明かりに反射して、真っ白い太ももがまぶしかった。襟の高い華やかな服は途中見た死者と同じ型だが、緩んだ帯とその身を捕らえるかごのせいで、やけに退廃的なにおいがする。
男らが我に返ったのは、少女が歌うのを止めたせいだ。
ことり、と首をかしげて、
「うわあ、いっぱい、いるよ。知らないひとだよ」
少女は愛らしくさえずった。一区切りずつ声が違う。が、歌さえなければどこの村にでもおる平凡な娘だった。長いばかりでばさばさの髪はまるで干し藁。あの集落の血筋でないのは、間違いない。
「……頭が弱いのか? この娘」
ビルニークが思わずつぶやいても、怒るでもなく少女は笑う。ふわふわと。
「よわいの。このむすめ。じっとして、うたっていたらいいの。知らないひとがね、来たらね、あなたの連れていくところで、うたいますって言うの」
これはだいぶまずいやり方じゃないかとネスルは唸った。粗野な男を相手にするには、あまりにも無防備すぎる。あの理知的な目をした「化け物」たちらしからぬ穴の多い企みではないか。
「それでね、そしたらね、ずっと、お人形といっしょよ」
男らは驚いた。少女の視線が下に向いて、そこでやっと、かごの中にもう一人いることに気がついたのだった。少女の膝を枕にして、それは眠っているようにも死んでいるようにも見えた。
何しろぴくりとも動かないのだ。少女の髪に覆われて、姿形もはっきりしない。
「人形、か?」
ドッブが首をかしげたのも道理で、十四、五に見える少女より、それは更にいくつか幼い子どもくらいあった。影からそうと察したのだが、人形にしてはやけに大きい。
「にんぎょう。かわいい。まだなのにね」
歌うように言う少女は明らかに、外から大切に隠されていたのだ。いくら頭が悪くても、閉じ込められているならどこかに影があるものだ。そういう哀れっぽさが、彼女にはない。
だからと言って、攫っても咎められることはなさそうだ。どういうわけか知らないが、「拾っていけ」と言われたのを男らは忘れていなかった。
ドッブは大きな男だった。そしてまた力も強かった。この頭の弱い少女と人形ごとかごを抱えていくのは大した手間ではない。
「連れていくか」
顔をしかめたのはビルニークだ。
「こんなお荷物を? けどお前、それじゃろくに戦れねえじゃねえか」
ネスルがこれを笑い飛ばした。
「おい、何のための四人だ?」
「ネスル、けどよ」
「しつこいぞ、ビルニーク……こいつは高く売れる」
売れる、とは言いながら、本当に売り払う気はなかった。
これでも芸事で日銭を得る身だ。一座の花形にこの少女を据えればどれだけの客が集まることか。想像するのは容易い。
身勝手だ、酷い、とは誰も言わない。
男らには名声が必要だったのだ。それも早急に。
ネスルの提案は魅力的だった。
長い通路はすでに国境を越えているようだった。密入国とは穏やかではないが、ここ数年、アル・ラベェの国境線は波のように変化している。国王不在の混乱は一向に収まる気配がなく、最早正規の手段など使っている者の方が少ないくらいだ。関所に詰めている兵でさえ、真面目に検査などしていない。まして旅芸人の一つ一つまで出自やら人数やら確認する余裕はないのだった。
こうしてぬるりぬるり下り曲がりして通りすぎ振り向いてみれば抜け道はもうどこやらわからなかった。
獣さえ気づかないのではと思うほど重なった草木と、やわらかすぎる腐葉土のせいだろうか。男四人にかごまで通ったはずなのに、まるで跡がない。
追われる心配はここで消えてしまったが、奇妙な浮遊感は胸に残った。
本音はともかく礼儀として助力を申し出た男らを、集落の多くが穏やかに笑って送り出したのもおかしかった。
「大丈夫」
「トリェーチィだよ」
「大体いつもあいつらなんだ」
「馬鹿だからねぇ」
いつも、と言っていた。
あの台詞。あの穏やかさ。
危機など一つもないように笑っていた。歩けず寝そべったままの娘もいた。笑った弾みにきつく咳き込んだ少年もいた。
それなのにだ。笑っていたのだ。陽気にはしゃいでいた。
「あいつら、今のうちに全部ぶんどっちまおうと思ってるんだぜ」
「そうすりゃ自分らだけ特別でいられるつもりなのさ」
「そんなわけないのに」
「仕組みをわかっていないのです」
「力任せ」
「だからいつだって他に叩かれるのにさぁ」
他、とカルブが繰り返した。
「そう、他の国」
「十二の冠」
「大きさはもうばらばら」
「見てられんのう、汚うてよ」
「なのに騒ぐ」
「調和が、平和がってさ」
「ああうるさい」
ふざけて耳を塞いでみせた女が、あだっぽい上目で男らを見る。
ぎくりとした。
あれではまるで知っているようではないか。
まだ男らの生まれていない遠い昔、均衡と調和、神の時代を。
考えれば考えるほど、男らの過去さえ、彼らには見えていたようであった。
「それに仕舞いにはあれだもん」
「ああ、あれだ」
「第一の、な」
その一言で洞窟中がくすくすふるえた。
火の石が転がってきているのに。あかあかと燃えているのに。
「真の王だってさ」
「一の王だってよ」
「王じゃなくって道化よねー」
「まさにまさに」
神代に語られる大陸十二国家は、今のように言葉が異なるでもなく、大きなひとつの人間という種族だったと伝わる。互いに支え合い、神を敬う。祭司の長は証に冠を賜り人を束ねた。それは神の金属で造られていて、今この時代でさえ、王の証といえばこの冠だ。戴冠の儀式とは本来、民に宣言するものではなく神へ誓うことを意味する。トリェーチィは自らを「第一の国」と称していた。初めに冠を賜った。だからこそ、神意に基づいて他は我に従うべし、というのがトリェーチィの言い分であった。
しかし集落ではそれを心底滑稽に思うらしい。
男らには訳がわからない。古くから棲むという彼らだから、何らかの伝承があるのやもしれなかった。あるいは、抜け道の壁画をもっと詳しく見ていれば答えはあったのか。その時間を惜しんだのが今さら悔やまれる。
導いてくれた子どもらも、襲撃の中を遊びの一つのように跳ね、走った。これまでいくつも苦難を越えた男らをして不安になる明るさだった。陰りなど一つもなかった。懐かしい、羨ましいとさえ思う真昼の明るさ。
ただしあれが本物の、いわゆる未来の象徴としての子どもらしさだったかと問われると、年長のネスルやカルブはどうしても首を捻ってしまうのだ。
では何だ。
わからない。
そうして、結局、
「化け物め」
ここに落ち着く。
町の評判も同じようなものだろうかと男らは思った。はっきり根拠などないけれど、何だか、自分らとは別の生き物のようだった。妙に間のない会話をしていた。一つの生き物の一つの鳴き声のように。
そしてふと気づくのは、夜が明けようとしていること、目的の町が見えていること、かごと、その中の二人のことだった。
ありがとうございました。




