↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の玉座と美しの狂王  作者: 香
第二部 自由の都
26/28

宴4

佳境です。短いですが……区切りが難しいですね。

よろしくお願いします。

 ユマオは瞼の裏の虚像へ囁く。


「…ははうえ」


 幼い声だった。王女らしからぬと叱られても仕方がない、弱い声。

「目をお開け、ユマオ」

 優しい抱擁は夢だと思った。

 死者の国に行くまでの一瞬の幻だ。

「これ、聞いておるか?」

 ユマオは、まだ十七の若い娘は、ふるえる腕で精一杯きつく抱き返して首を振る。

「いやです」

「ユマオ?」

 困ったように、慣れた指先で頭を撫でられる。

 それがあんまり温かいから。


「よいこにします。だからもう、おいていかないで……」


 ユマオは泣いた。葬儀でさえ、涙なんか一滴も浮かばなかったのに。今のユマオはまるっきり子どもだった。

「わかっておる。母はどこにも逃げぬよ。だから、さあ、ほら」


 そのかわいい瞳を見せておくれ。


 母の口癖だ。

 懐かしい、あの日々。


 ユマオは導かれるまま顔をあげた。ゆっくりと、おそるおそる目を開く。

 母が……母と同じ色の瞳をした童女が、ユマオの濡れた頬を包んでいた。

 ユマオはつぶやいた。

「ははうえ?」

「ああ。そうだ。お前があまりに心配でな。生き返ってしもうたよ」

 童女は笑う。

 ユマオの大好きな優しい笑顔だ。花開くように美しく、やわらかく、少年によく似ている。

「生まれ変わったって言うんじゃないの? こういうのは」

「知らん。呼び方なんぞ気にするなよ、弟」

「相変わらず細かいわねえ」

「感動の再会だってのに」

「水を差すでないわ、まったく」

 いつどこから出てきたのか、ビルニークの剣を弾き飛ばした老若男女がスヌーヌごと周りを囲んでいた。

 びっくりしすぎて涙も止まってしまったユマオに、彼らは朗らかに笑いかける。

「はじめましてだなあ、ユマオ」と銀髪の若者が、

「僕らは姉さんの弟だよ」と金髪の若者が、

「わたしは姉よ。妹の娘」と赤毛の女が言い、

「わしは初めてではないな。久しぶり、じゃの? 妹の娘。覚えておるかな?」と老人が尋ねた。

「宴があっただろう、お前の五つの祝いの。あれに兄は来ておった」

「そう。奇術を見せてやった」

 ぱっと現れた花束にユマオは目を丸くして老人を見上げる。母が指さして笑った人だ。

「あの時と何も変わらんな。よいこじゃ」

 その目尻の皺がぎゅっと深くなるのを、まだ夢心地に見つめる。

「ふふ、当たり前だ。私の娘だからな」

 童女も笑っている。

 母上だ。

 抱きしめられたままユマオは思った。

 こんなに小さくなってしまわれた。髪の色も違う。でも、間違いない。この方は私の母上だ。

「お」

「うん?」

「おかえり、な、さい、ませ」

 それしか言葉が出なかった。言いたいことも聞きたいこともたくさんあった。あったのに、ずっと考えていたのに、今はもうこれだけでいいと思った。

「ああ。長いこと待たせてしまったな。すまぬ、ユマオ。愚かな母を許しておくれ」

 首を横にぶんぶん振る。それから、縦にも。

「か、かえってきてくださった、だけで」

「そうか? ユマオは優しいな。もっとわがままを言うてよいのに」

 ずいぶん長かった五年を挟んで、今では「姉に見える」のはユマオの方だ。それがおかしくておかしくてしあわせで、どうしようもなくて、またきつくきつく抱きしめる。今は、それがユマオのわがままだった。

「まあ、うらやましいわね。後でかわりなさいよ、妹」

「ふむ。よかろう。ひとつ貸しだぞ。占の姉」

「それではわしも」

「俺も」

「僕も」

 剣を弾き飛ばされたビルニークは目の前のやり取りを呆然と見つめていた。


 何だこれは、と思う。


 おかしな集落の者たち。違和感を覚える隙さえないほど大人びた童女。金髪の若者はあっけなく剣を奪った。あの、普通の娘のように泣く王女を庇って。

「何だこれは、って顔だね?」

 その若者はわらっている。体中をふるわせ、わらい続けている。

「さっきの言葉、そっくりそのまま返すよ」

 その時、ビルニークだけではない、その場の皆が彼の呪いを聞いた。


「貴様らが姉上を殺した。それで十分だ。僕が、貴様らを、わらうには」


 呪い。

 全員の骨の髄まで刻まれる大声で彼はわらう。

 日頃気弱にすら見えた優しい唇を吊り上げてわらう。

 憎しみのかたまりのように、消せない悲しみのように。


「姉上は優しすぎる。何故冠しか壊さなかったのです。もっと全部何もかも滅茶苦茶に、国の名前ごと消せばよかったではありませんか。残るように手を加えてやる意味など欠片もない」

「……お前の情の深さは、時にお前らしからぬ恐ろしいことを言わせる」

 と、かつての女王は微笑む。

 女王。そう呼ぶのをためらう理由はもう誰にも何もなかった。

「『余』は、こわいお前も嫌いではないが」

 即位の時には誰もが目を奪われた妖艶な表情で、娘の青ざめた頬を抱く童女は美しい。

「この子にはよくないな。腹の子にも」


 神話の時代が、今この広間にだけ戻ってきていた。

 冠は輝かしく、王は神々しかった調和の時代が。


 しばしその姿を眩しそうに見つめていた若者が跪く。

「はい、姉上」

 呪いの波が引いてゆく。

 急に呼吸が楽になったのは、決して気のせいではない。

 童女がふとサーラブを見つめた。

「へ、へいか」

「まったく、もう少しうまくできなかったのか? サーラブ。理想主義もいい加減にしておけ。すべてを救おうとしたところで、お前では一人壊れるのが目に見える。……まあ、どこまでも人間なのが、お前の取り柄ではあるのだがな」

 サーラブは自分が泣いていることに気がついた。

 人間。

 そうだ。いつも、この方はそう言っていた。

 王とは、人である前に、王なのだ。「お前たちとは根底が違う」……。

 ネスルもサーラブも誰も、ここで国の未来のどうのこうのと話し出す気にはならなかった。そして黙りこくった人々の息を奪うように、まさに今我慢が尽きてしまった人魚の歌声が鳴る。


 あまりにも清らかに誇らしく、今この時にふさわしくなく。


 圧倒的なそれは間もなく人々の視線さえ奪った。恐ろしい現実を前に、彼女の歌はあまりに甘美な夢だった。その無垢な腕に抱かれたこの世のものとは思えぬ人形は、髪と瞳の色を違えただけだが、かつてのスヌーヌとはあまり似ていない。その父ハマーマの面影も無論ない。少なくともスヌーヌはそう思った。もっと貴い形になっていた。ぴんと張りつめた美しさ。

 あれが俺の顔だったというのか。あんなに、美しいものが? 信じられない。でもそうなのだ。確かに繋がりを感じる。


 兄弟の乱入には加わらず、壁際で見物していたコドクはそっと笑った。まったく素晴らしい見世物だ。


 だが、マチルダはかちかちと歯を鳴らしていた。

 だって、あんな連中の可愛がる人魚だ。人魚。古い噂。噂? 本当に? だって、美しの狂王がそこにいる。死んだのによみがえった。死んだ。間違いなく死んだ。でもよみがえった。じゃあもう、他に何がいたっておかしくない。奴らは魔性、本物の魔性なのだ。


 マチルダは不意に自分の最初の記憶を思い出す。

 父母もろとも砂の海に呑まれかけていた日のことだ。アル・ラベェの余波を逃れ、西へ向かう途中だった。幼かった自分の体は熱く火そのもののようで、だが自由にうねる炎と違ってぴくりとも動かなかった。死んでいく、ということからマチルダの記憶ははじまったのだった。そして、それを救いあげてくれたネスルの手から。

 あんなに熱さから逃げたかったのに、人の温もりが泣きそうなくらい嬉しかった。

 思い出して、マチルダはふらりと一歩だけ人魚から遠ざかった。この日もまた、マチルダは記憶の中の優しい手に救われたのである。


 何からと言えばそれは、人魚から。

 そして、それを引きずり出した女の、深い、こわい、執着から。


ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。