宴2
よろしくお願いします。
何食わぬ顔で控え室に戻ると、座長の安堵より先に「助っ人」の好奇の目がネスルらを出迎えた。
「あら、案外早く戻ってきたのね」
「微妙な顔してんな」
「正義の味方ごっこは終わりかい?」
「宴の前だというのに、随分と辛気くさい面構えじゃのう」
散々な言われようにビルニークは舌打ちし、カルブは苦笑した。
「まったく話になんねえっての。あのじいさんもお前らもさ」
「よせよ、ビルニーク。八つ当たりはみっともないぞ」
コドクは頬杖をつきあらぬところを見るだけだったが、隣にいた童女はくつくつと含み笑う。
「なんだよ」
「いや、あれに丸め込まれたと言うのがな……口下手もよいところだと思ったまでよ」
「ば、馬鹿にしてんのかっ!」
アル・ラベェの権力者揃い踏みの、滅多にない晴れ舞台。
人生の分かれ道にもなりうる宴を前に、皆の緊張が高まる最中である。
突然響いた怒声に、他の芸人の目は自然厳しくなった。
元より一番の目玉として呼ばれた彼らだ。
借り物の名誉でも、いや、だからこそやっかむ者は多い。それがこんな礼儀知らずをやらかしたというので、何様だ、と吐き捨てられた苛立ちは、隠す気配さえ見えないくらいだった。
ネスルは自らのこめかみをぐりぐりと押した。
「丸め込まれたって評価は、心外だ」
「ほう」
「何と言えばいいかわからんが……」
「なあ、その話楽しいか?」
首をかしげる銀髪の若者は、たぶん、きっと、嫌みのつもりはないのだろう。金髪の弟とはそこが違う。しかし台詞自体に大差はないのが彼らの彼らたる由縁で、ネスルは思わずため息をついた。カルブが苦笑する。
「サーラブ宰相と言えば、狂乱の時代終息における一番の立役者だ。女王主義なんて信じていなかったんだけどね。噂以上の入れ込みようだったよ。大局を見ることに優れた冷静な方という印象だったんだが」
そうではないらしい。
言外に含んだ評価をあえて無視して、銀髪の若者は今度はたしかに嫌味っぽく笑う。
「はあ? 冗談だろ。そんなご立派な奴だったら、こんなめんどくせえ国でめんどくせえ生き方してねえって」
「面倒くさい?」
だからさぁ、と眉を寄せる、そんな顔さえ麗しく、遠巻きの女たちが溜め息をつく。
「わざわざ自分の意思を公に晒すってのがもうさ、駄目なんじゃねえの」
「弟らしい意見ね」
赤毛の女が微笑むと何も知らぬ男らが喉を鳴らした。
女は滑らかに続ける。
「目立ちたがりなのよ。結局。人目につくことが生きることだと思ってるんでしょう」
「黙ってこっそり、やりたいことやりゃあいいのにな」
「案外こやつらと気が合うのではないか?」
「確かに」
「とかく大袈裟にしたがるあたり、お似合いかもしれぬ」
またもや下された心外な評価に一言物申すべく、ビルニークは口を開いた。物申した、と言わないのは、結局それをすることが叶わなかったからだ。
ようやっと一人の若い召使いがあらわれ、待ちくたびれた芸人たちに主人が席についたことを知らせた。
いよいよである。
後の世に「崩冠の時代を象徴する」とまで言われた一夜。
まさかそれを予見したのでもなかろうが、
「長い夜になるわね」
赤毛の女はあでやかに笑った。
一組目、まずは気合い十分の曲芸師が高座にあがる。
ところが非常に残念ながら、彼の見事な五個六個のお手玉や逆立ち他はまったく相手にされなかった。おざなりな拍手を受けるだけ、それさえまばらで、意気消沈して控え室に戻ってきたのである。
彼の名誉のために断言するが、これは何も彼が力不足だとか、緊張のあまり失敗した、とかいう話ではない。
ただはっきり言えば、今、広間の客は皆それどころではなかったのだ。
色とりどりなまめかしい衣装の女たちが酒を注ぐけれど、ある者は味もわからず飲み干し、またある者は手の震えがおさまらず注がれたはしからこぼしてしまった。見てはならぬものを見た、その恐ろしさ故の粗相だった。
本来彼らに気を配るべきサーラブは、王女に言葉をかけたいのだが何と言い出すべきかわからず、ずっともごもごやっている。
王女。
いなくなったはずのこの人があらわれたというだけでも、客人が狼狽えるのには十分すぎる。だのに、彼女は、明らかに膨れた腹を優しく撫でているのだ。
これを恐れぬような愚か者は端から宴には呼ばれていない。
美しの狂王が身籠った頃を嫌でも思い出した。
だが、と人々は胸のうちでつぶやく。
あの時はまだましだった。不義密通の結果とは言え男妾の顔は誰もが知るところだったし、実際彼の娘であることはあの月色の瞳を見れば一目瞭然だった。翻って今、公式に父のない王女ユマオは、今度こそ本当に(誰だかわからぬという意味で)父無し子を孕んでいる。やや後ろに控える奇怪な仮面の男が相手だろうか。それにしても早すぎる。王女が宮殿を出てまだたった二か月だ。それが、一体どうなっているのか。あれではいつ産気づいてもおかしくないように見える。そんな話は侍女の一人もしていなかったというのに……。
王女は食事にも杯にも手をつけず黙っていた。
青ざめた顔は母親よりも華がなく、もちろん醜いとは言わないけれど、人に慣れない深窓の令嬢だと紹介されたら納得してしまう程慎ましい。美しい娘なのは確かだけれど、表情のせいか、母親と比べるにはあまりにも大人しい印象なのである。
「亡霊」と揶揄されるのも仕方がない。
これならずっと隠れていればよかったろうに、と誰かが思った。
国を離れればよかったろうに。そうすれば、きっと誰も彼女を見つけることはできなかった。時代に埋もれ歴史から消えることだってできただろう。
昔から、母親と違って目立ちたがらない少女だった。それが何故わざわざこの場に出てきたのか。
およそ宴とは思えない重苦しさが広間全体に満ちる中、サーラブは一人憤っていた。自らの隣に座る娘が王女ユマオであることは全員承知しているはずなのに、その顔を拝んだことのある貴族を選び招いたというのに、誰も挨拶をしようとしないのである。自分の席からちらりちらりと視線を寄越すだけ、それも王女が少し目を向けるだけであっという間にうつむいてしまう。おおよそ主君に対する態度とは思えない。
サーラブは近くにいた召使いを手招き囁いた。
「あれを持ってきてくれ」
「は、はい」
王女の顔を知らないこの若い召使いは、芸人や高級娼婦たちと同じく宴の雰囲気に戸惑っていた。居心地が悪いなどという段ではない。果たして次の料理を運んできてもよいのかとさえ悩んでいたところだったから、この命令をありがたく受け主寝室に向かった。
あれ、とは古びた木箱だ。大きなものではないが、両手で恭しく持って歩くにはほどよい重さがある。中身は知らない。数日前主人が持ち帰って、そのまま机に置かれていたのだが、どうやらこの日のために用意したものらしい。
いざという時には持ってくるように頼む、と彼はあらかじめ言われていたのだった。
それが届くと広間は静まり返った。ただでさえ盛り上がっているとは言えなかったが、今や衣擦れと呼吸の音がはっきり聞こえる。こんな状況でサーラブが持って来させたのだ。それなりに意味を持つ品なのは間違いない。
人々の視線を集めたサーラブは、すっと立ち上がり、ユマオへ向き直る。顔の高さまで腕を持ち上げ、二つの拳を合わせると、腕の位置は変えずに深々と頭を下げる。そのままゆっくり膝をつく。アル・ラベェ高級官吏特有の所作。最敬礼。
ユマオは疲れた眼差しで老人を見上げる。
「許します」
声をかけられてもサーラブは膝をついたままだった。
「ユマオ殿下に、お渡しせねばならぬ品がございます」
許します、という声はない。ユマオは黙っていた。
サーラブは体をふるわせた。恐怖からではない。歓喜、興奮、そんなものだ。
「これは御身にこそふさわしい」
熱っぽい台詞と同時に木箱を開ける。
五年もの間雨ざらしにされていたのに、それには錆びも曇りもなかった。謂れから連想するよりずっと簡素なつくりだ。少々歪んではいるが、しかし見間違いようもない。全体としては草木を模し、正面には六花。中心に輝くのは雄しべや雌しべではなく、黒い艶やかな玉である。
これこそ神代の産物。
十二国家を約束する真の冠であった。
「あれは!」
「まさか」
「いや、本物だ。本物だよ」
「何ということ……」
「気でも違うたか」
人々はどよめく。
ユマオの手をとり無理矢理冠を握らせたサーラブは、爛々と燃える瞳でもって客人を黙らせた。
「私は本気だ。いたって正気だ。皆様方においては、ユマオ殿下がここに王位を継承されたとの証人になっていただく。それがためにお呼び立てしたのだ。五年も待てば十分だろう。アル・ラベェの混乱は今ここに終わり、北部の盟主を騙るトリェーチィを討つ始まりの一手となる」
年長の一人があえぎ、必死に声を振り絞る。
「……馬鹿な! サーラブ殿。ご自分が何を言っているのか、わかっているのか? 到底受け入れられぬ。貴殿は正気ではない!」
否定はしない。ただ唸るようにサーラブは問いかけた。
「ではどうするのだ?」
貴族たちは黙った。
「五年、待った。誰かがこの国を守ろうと立ち上がるのを。冠の正当な担い手に気づくのを。トリェーチィに対抗する現実的な手立てを見つけるのを。私は待っていた。国の軋む音を聞きながら、待っていた。
それがどうだ? 貴殿らは何もしなかった。
何も、何も!
享楽に溺れているだけだった!
今まさに踏み潰され悲鳴をあげる民がいるのに! 都に国中にいるのに! 何もしなかった!
目をそらし『解放』とやらを口にするだけだったではないか!
腐りきったこの国を、陛下がどれだけ見苦しく苦々しくそれでもいとおしく思われていたことか。知らぬ存ぜぬで通ると思うのか!
自らの醜さも責務も何もかも!
あの御方に押しつけて逃げておいて今さら! そんな無様な綺麗事で、誰を救えるつもりでおるのだ!? 言うてみろ!!!」
それは悲鳴だった。
腐敗した国の中心で死にゆきもがき苦しむ民を見、友を忘れ、主君を殺し、そこまでしても守れぬものがある現実を憎み。なお足掻く男の確かな悲鳴だった。
広間を突き破り控え室まで届いた声に、国を定めず渡り歩く芸人達でさえ何事かと広間へ集まってくる。
本来なら、召使いや従僕がそれを制するべきだった。
出番を待って奥に控えておけ、と一言投げ掛ければいい。
だができなかった。
呆然と主人の叫びを聞いていた。
サーラブは、普段は決して怒鳴らない。失敗をしても笑って許し、挽回の機会を与えてくれる優しい主人だ。
彼自身の生まれが決してよいとは言えないからだろうと、仕える者たちは話していた。
貴族の末席も末席の家の、四男坊。それが学院で頭角をあらわし、今や国の頭脳である。いくら才に優れていても、努力なしには昇れない高みだ。まして「あの」狂王の下で勤めるのだから、並大抵の苦労ではなかろう。だけど、そんな想像では、全然、まるで足らないのだと、彼らはこの時初めて気がついたのだ。
サーラブは火のように怒っていた。嘆いていた。枯れ木のような細い体がごうごうと燃え盛るのを、人々ははっきりと見、たじろぐ。
そこに砂をかけたのは「亡霊」呼ばわりされた王女だった。
ユマオは老人が押しつけた王冠を、仮面の男が食器をすっかり避けた台に置く。
こつん、と軽い音が鳴った。
「受け取れません」
彼女は静かに言った。
「閣下には申し訳ないと思いますけれど、私にこれは被れません」
サーラブが呻いた。火の消えた彼は、この数分でまたぐっと老け込んだようだった。
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