宴1
「……あんたを楽になんかしてやらない」
「ネスル?」
仲間たちは驚いてネスルを呼んだが、ネスルは首を振った。
「見てわからないか。この人は死に場所を求めてる」
とっくに死んだのに無理矢理動かされている死体みたいだ。
殺してくれ、殺してくれ、殺してくれ。
全身でそう訴えている。
最後まで生きて、未来を見つめていた父とは正反対だ。瀬戸際で食い止めているのは主君の遺志、なのだろうか。わからない。この老人の目には、あの堕落したコルンフォリーさえ、守り導くべきものに見えているらしいのだ。ネスルたちは皆目をそらした狂態、倫理など欠如したけだものたちの「自由」な有様。父が守りたかったものは、もうどこにもないのだと思い知る。
「あんたは最後の最後まで、後悔すればいい。生き残ったことを恥じながら、死んだ人間に謝りながら、安らかに死んでいけばいい。俺は父とは違う。あんたの望みを叶えてやるほど、お人好しじゃない」
殺してしまえと、絶好の機会じゃないかと目で訴える仲間がいる。父や兄やたくさんの血族を殺され、おめおめ生き残ってしまった自分たち。それでもこの瞬間のためにすべての屈辱に耐えてきた。芸人のふりをして、盗っ人紛いに屋敷に忍び込んで……。
「君たちの不幸はその程度か」
煽るようにわらうサーラブを見つめる。
「正義の味方には程遠く、復讐者の割に綺麗事にこだわる。覚悟がまるで足りていないな」
ビルニークやドッブは今にも飛びかかりそうだったけれど、ネスルは彼の言葉はもっともだと思った。言い返せない。
何のための正義か、誰のための悪行か。この老人はちゃんとわかっている。俺はわかっていなかった。何も、わかっていなかった。
ネスルはぎこちなく微笑んだ。
「そうみたいだな」
なぜか息を呑むサーラブから視線を外し、ネスルは立ち上がった。
「宴が、始まるな」
時間切れだ。もう戻らなくては。
ほんとうに引き返せなくなる。
「そんな時間か。君たちはどう……ああ、そうか。いくつか呼んでおくように言っておいたんだったな、そう言えば」
改めてその服装を観察し、サーラブはやっとネスルたちが芸人の衣装であることに気がついた。従僕姿だった一人もいつの間にか着替えているのを見て、「案内はいるかね」と問いかける。
「いらん」
「そうか。では、私はゆっくり出ていくとしよう。途中で誰かをつかまえて、こちらに来るよう言っておいてくれるとありがたい」
「見逃すのか」
「いいや、見逃してもらうのさ。そうだろう?」
敵わない。あらゆるところで。
ネスルは深く息を吐く。それから振り返らずに部屋を出た。仲間たちが少し戸惑いながらついて来る。
控室では、今頃座長が手に汗握って自分たちを待っているだろう。宴がはじまる前におさらばするつもりでいたのに、思いがけない展開になってしまった。人魚を連れて来られなかったのは失敗だったかもしれない。今から呼んでも間に合わないだろうなと思いつつ、長い廊下を走り抜ける。途中、本物の従僕が、主人を探し回っているのを見つける。
「失礼。今日の宴に呼ばれた者だが……」
「何事だ? 控えの間からあまり離れてもらっては困るな」
警戒する従僕の声は固い。
「すまない。芸に使う道具に不具合があって……」
「控えの間はこの次の回廊の先だ。早く戻るように」
「ご親切に、ありがとう。どうもご主人が具合を悪くしたみたいでね。あちらの部屋で休んでおられたよ。誰かを呼ぶように仰せつかったんだが……」
「っそれを先に言え!!」
血相を変えた従僕はビルニークやドッブより年かさで、ネスルより若い。慕われているのだろう。慌てて駆け出す姿は貴族の屋敷で働くにはあまりに無作法だったけれど、今はそこを非難する気分でもなかった。
今度こそ本物の、気のいい従僕を困らせているのがわかっていて、申し訳ないと思いながらも、サーラブは玄関に立って待ち続けた。
招待客の波はネスル達と話している間にとっくに途切れてしまって、主人を見つけた従僕は、もう皆様お揃いですよ、と叱るような口ぶりで言ってくれたのだ。それなのに、サーラブは広間に促してくれるその手を受け入れようとしなかった。
「いいや、まだ、来ておられない方がいるのだ」
「それならば私がお待ちいたします。とにかく時間もございますから、旦那様は大広間に向かわれませんと」
「いや、その方は招待状を持っておられぬ。顔を確認しようにも、あまり公の場には出て来られなかったからな……私の許しもなしに、案内することは出来んだろうよ」
「旦那様……」
従僕は息を呑んだ。サーラブに仕えて十年、それは何度となく見た横顔だった。だからわかる。わかってしまう。
「殿下のため、だったのですね」
悲しみをおさえきれないつぶやきは誰にも届かないまま溶けて消える。
豪華な食事、うつくしく下品ではない高級な女たち、芸を披露するたくさんの旅芸人……。この宴のために浮かれて準備していた自分たちが馬鹿みたいだった。
解放なんて。
この方に限ってそんなはずはなかったのに。
美しの狂王が死んだ日、忠実な主を知っていたこの屋敷でさえ喜びの火を消すことはできなかった。そんな使用人を咎めるでもなく、虚ろに、暮れゆく空を眺めていたサーラブを覚えている。どうしてそこまで、と思ったものだ。いかに美しくとも狂王である。仕える喜びを見出だせる相手ではない。
それなのに、どうしてそこまで。
ユマオ王女が逃げたと聞いて、今度こそと思った。
宴の準備を命じられ、いよいよ確信を持っていた。
それが、こんな。
従僕は、見たこともない王女を恨んだ。来てくれるなと願った。旦那様のためを思うなら、もう二度と姿をあらわさないでほしいと。門をくぐる人影を見て泣きそうになる。
「殿下……」
サーラブの声もふるえていた。同じものを見て同じようにふるえているのに、自分と主人では抱くものがまるで違う。
二つ並んだ影のゆっくりと近づいてくるのが、従僕はひどく恐ろしかった。
狂王の亡霊……。サーラブが苦しげに呻く。
「殿下、ユマオ殿下、おお、何ということだ、そんな……ああ、陛下……」
王女ユマオは黙っている。その膨らんだ腹を見て、従僕は口走る。
「神よ」
狂王から受け継いだ黒い髪、控えめながら端正な顔立ち、静かな月の瞳、淡い紫の衣に包まれた……大きな腹。
非難すべきところしかない、美しい女だった。
これが齢十八の娘か。
それらしい可憐さ、みずみずしさはまるでない。
従僕は驚かずにはいられなかった。
「……遅れたうえに驚かせてしまって、申し訳ありません。閣下。それにそちらの方も」
「ユマオ殿下!」
サーラブがとうとう悲鳴をあげる。
「どうなされたというのです! 殿下、その腹の子は……っ。この男が!?」
「いいえ」
王女は苦笑する。背にそっと手を当て支えてくれる男を見上げる。
「コルド。黙っていては誤解されてしまいます」
「そりゃそうだけどな。言うことなんかないだろ、俺は」
「名乗るくらいはよろしいのでは?」
「目立ちたくねえだろ」
「ふふふ」
王女が笑うのも無理はない。
何しろこの男ときたら、つばの広い真っ青な帽子に同じ色の外套、あげく顔を全部隠す仮面をつけている。色の趣味も悪ければ、仮面も奇抜だった。翡翠の嵌め込まれた目の縁から頬にかけてみっちり描きこまれた蔦は金、咲き乱れる花は青紫。これほど馬鹿げた格好でよく門番に止められなかったものだ。いや、まさかこんななりの客人がいるとは想像もされなかったのだろう。芸人だと決めてかかったに違いなかった。後でしっかり叱っておかなければ……。
サーラブの鋭い視線にも、男は気負いなく肩をすくめる。
「宰相サマにそんな怖い顔される覚え、ねえんだけど?」
「よくもぬけぬけと。殿下を汚しておきながら、私の前に出てこれるとはな」
「違うって。話聞かねえじいさんだな、まったく。コルド・オゾンって知らねえか? 自分で言うのもなんだけどな、コルンフォリーじゃあ一番有名な情報屋だよ」
従僕は思わず口をはさんだ。
「コルド・オゾン? あんたがあの、顔なし? うつむきっぱなしのコルド・オゾンか?」
「ああ。それだ」
なるほどこういうわけだったかと、男の全身を再度観察する。顔なし。まあ、確かに。そんな従僕を見て、サーラブは長く息をはいた。短絡的に責めた自分を落ち着かせる。
「ふむ。君は、確かに随分有名らしいな」
「まあまあ、な。表じゃともかく、裏ではあんたと変わらないと自負してるよ。王女サマにゃあさすがに負けるが」
「……殿下の供なら、その口調をどうにかするべきだ。不敬極まりない」
「不敬かどうか決めるのはあんたじゃないだろ?」
「私は構いません」
「殿下」
王女は顔を歪めた。
「……もう、やめていただけませんか、閣下。あなたが何を望んでいるのかは知っています。よく知っています。けれど、閣下、宮殿を出たのは確かに私の意志なのです。誰のどんな声によるものでもないのです。私はもう王女ではないし、そうしてよいと教えてくれたのは母上でした。母上は王ではありましたけれど、決して自ら望んで冠を戴かれたわけでありません。あの冠を見たでしょう?」
サーラブは首を左右に振る。
「……だが陛下は神に選ばれた」
「そうですね。血によって」
淡々とこたえる王女の、なんて希薄な気配。亡霊のあだ名にふさわしく、王女ユマオは佇む。
「陛下は確かに生粋の王でございました! 爪ひとつ、髪の一筋、血の一滴に至るまで!」
「そうですね」
ユマオはうなずく。
「ですから」
サーラブは声をふるわせる。
「陛下のただひとりの御子たるあなたが、次の冠を受け継ぐべきだ」
「いいえ、閣下。冠は私を選びません。民がどうあれ冠さえあるなら、と、閣下は母上に教わったのですね? 幼い日の私と同じように。だから、あなたは今宵あの冠を持ち出すつもりで、この場を設けた」
それはつい数刻前のこと。城門に捨てられたはずの冠が消えているとの知らせが庶民にまで伝わってきた。いや、平民だからこそ、この手の話題には貴族よりずっと敏感なのだった。宴のはじまりを今かと待ちわびる客人たちは、狂乱の時代、じっと息をひそめ耳を閉じ目をつむることで生き延びてきた。庶民は逆に耳が早いものほど、敏感なものほど長く生きてこられた。その習慣を変えるのに、五年は短すぎる。
「か、神は、あなたを選ぶ」
「いいえ、選びません」
「あなたを選ぶ。陛下の血を継ぐあなたを。そうでなければ、一体、誰を?」
「誰も」男が冷ややかに言った。
「誰も選ばれない。王の血は絶え、神話は終わる。あんたの陛下は死んだんだ」
「黙れ、お前に何がわかる……っ」
「旦那様!」
勢い余って前のめりに傾いだ体を支えられ肩で息をしながら、それでもサーラブは認めようとはしなかった。
「狂王なものか!」
「……」
「陛下は本物の王だった! アル・ラベェに殉じた本物の王だった! 神意の王! 何故わからんのだ! 皆、皆! あんなにも気高く美しい、最期の一瞬まで!」
だって、覚えているのだ。
みっともなくかたかたと歯を鳴らしながら、差し出した毒盃。青く澄んだ硝子の中に、ゆるく沈殿する蜜のように、毒は見えていた。呑むまでもない。呑まないでほしい。そんなサーラブの意図などわかっていたくせに。
「愚か者め。もう少しうまくできないのか? まったく、騙されてやる方が難しい」
出会った日から変わらないあの華やかな笑顔で、女王は、躊躇いもなくそれを受け取った。
「へ、陛下……」
「ふん、やっぱり返せとでも言う気だな。わかりやすいこと」
「陛下っ!」
返してくださいませとサーラブは泣いた。
「陛下は国の為にあらゆる汚名を被って下さいましたのに! 皆堕落していたのに! どうして貴方様だけが……っ」
「ああうるさい。叫ぶでないわ、鬱陶しい。お前、いつからそんな顔で喚くようになったのだ? はじめはあんなに大人しかったのに」
「陛下がお戯ればかりなさるからです! それも、こんな残酷な……」
言い淀むサーラブに反して、女王は楽しげに盃を揺らした。
「サーラブ。これを用意した者の名はわかっているのだな?」
「は、はい」
「ではそれを利用しろ。余の死を以って、そやつらを破滅に追い込め。できるな?」
「ですが陛下……」
「言い訳はきかぬ。お前の悪いところだな。暴君を弑するのは英雄のお役目だろうが。泣いてどうする?」
「陛下は、暴君ではございません!」
「残虐の限りを尽くして都を悪徳の聖地にしたのに? わがままばかり言うなよ。子どもでもあるまいし……。まったく、死に際にするのが説教とは、あまり締まらない生涯だな」
覚えている。
反らされた喉の、滑らかな曲線。ごくり、と。響いたのは果たしてどちらの息だったか。
黒髪に映えた白い肌。
はしたないはずの仕草があんまりにも綺麗で恐ろしくて、サーラブは言葉をなくした。
女王はゆっくりと床に寝そべった。暗喩に満ちた絵画のように。
完成された死に様だった。
同じものを見たはずの月色の瞳がそっと伏せられる。
「……美しの狂王は、もう、どこにもいない。神話は終わったのだと、いつかあなたにもわかる日が来ることを祈ります」
広間はどこですか、と彼女に問われて、従僕はしどろもどろに道を教えた。案内の誰かをつけるべきだったのに、広間の名を告げると男がさっさと歩きだしてしまったのだ。そんな彼に寄り添って歩いてゆくユマオを、サーラブは慌てて追いかける。迷い子が母らしき背中を見つけ必死についていくのに、それはよく似ていた。




