王都
箱に、三日入れられた。
前に書いたとおり、箱というのは悪くない。狭くて、布が張ってあって、上から何も落ちてこない。
ただし、三日は長い。
一日目の昼に、わたしは座席の背に登った。母が降ろした。
一日目の夕方に、わたしは座席の下に入った。これは入れた。入れたが、出られなくなった。母が侍女を呼び、侍女が御者を呼び、最終的に三人がかりで引き出された。
「オデット」と母は言った。「なぜ、あんなところに」
「落ち着くから」
「……ええ」
母は、それきり何も言わなかった。
二日目から、母は本を読んでいた。
これは賢明な判断だったと思う。
*
三日目の夕方に、王都が見えた。
匂いで分かった。
人間の町というのは、近づくと匂いが変わる。煙と、獣と、濡れた石と、食べ物と、それから、たくさんの人間の匂いが混ざって、ひとつの大きな匂いになる。
わたしは、窓に鼻を近づけた。
「オデット」
「うん」
「……いえ。何でもありません」
母は、この三日で、言いかけてやめるのが速くなっていた。
*
ベルヴュ通りの館に着いたのは、日が落ちてからだった。
わたしがまずしたことは、家の中を歩くことである。
これは、やらないわけにいかない。知らない場所に入って、最初に出口と、隠れ場所と、高いところを確かめない生き物は、長く生きられない。
わたしは、一階から順に回った。
扉を全部開け、部屋をすべて覗き、階段を三度上がり下りし、厨房の裏の勝手口と、庭に出る扉と、二階の窓から降りられる場所を確認した。
途中、荷ほどきの最中だった使用人たちが、何度もわたしに道をゆずった。
誰も何も訊かなかった。
訊かないのは、この家の者たちが一緒に来ているからである。マノンもベルトもピエールもいる。彼らは、もうこういうものだと思っている。
王都の館付きの使用人たちだけが、壁際で固まっていた。
*
三階の西の端に、その部屋はあった。
物置である。箱と、古い織物と、脚の折れた椅子が置いてある。
高いところに窓があって、その外に庇が出ていた。
わたしは、箱を踏み台にして窓を開けた。
外は、屋根だった。
庇の向こうに、館の屋根が低く広がっていて、その向こうに、王都の屋根が、暗い中にずっと続いていた。あちこちに灯がある。煙が何本も上がっている。
遠くで、鐘が鳴った。
風が、冷たかった。
わたしは、庇の上に座って、しばらくそれを見ていた。
悪くない。
ここは、かなり、悪くない。
*
マノンが物置を見つけたのは、その夜遅くである。
彼女は、開いた窓と、その下に積まれた箱を見て、たいへん嫌な予感がしたそうだ。
そして窓から顔を出し、庇の上に座っているわたしを見つけて、短く息を呑んだ。
呑んだが、悲鳴は上げなかった。
一話のときは上げた。
人間というのは、成長する生き物である。
「……お嬢様」
「うん」
「お寒くはございませんか」
「寒い」
マノンは一度ひっこんで、しばらくして、膝掛けを持って戻ってきた。
窓から手を伸ばして、わたしに渡した。
それから、こう言った。
「お食事は、こちらにお持ちいたしましょうか」
「うん」
「……かしこまりました」
彼女は出ていった。
出ていく前に、窓を半分だけ開けたままにしていった。
この屋敷でも、そうなるらしい。
*
翌朝、王都の館の家令が、青い顔でマノンのところに来た。
家令はジェルマンという名の、痩せた、背の高い男である。シャルヴィル家の王都の館を、二十年預かっている。
「侍女どの」
「はい」
「昨夜、三階の窓が開いておりました」
「はい」
「開けたのは」
「お嬢様でございます」
ジェルマンは、少し黙った。
「……お嬢様が」
「屋根をご覧になっておいででした」
「屋根を」
「はい」
ジェルマンは、さらに少し黙った。
「それは、その、何か、お探しになっていたのでしょうか」
マノンは、ここで答え方を迷った。
この一月半で、彼女はいくつかの言い方を身につけていた。「お疲れでいらっしゃる」「ご静養中でいらっしゃる」「お考えがおありになる」。どれも嘘ではないし、どれも本当ではない。
彼女は、少し考えて、いちばん新しいやつを使った。
「お好きなのでございます、高いところが」
ジェルマンは、三度まばたきをした。
「……高いところが」
「はい」
「お好き」
「はい」
家令は、二十年のあいだに鍛えた顔の筋肉を総動員して、こう言った。
「……承知いたしました」
そして、その日のうちに、三階の物置から脚の折れた椅子と古い織物が片づけられ、窓の下に、ちょうどよい高さの木の台が置かれた。
誰にも命じられていない。
マノンは、その台を見て、ひとつ小さくうなずいた。
王都の館で二十年働くというのも、そういうことらしい。
*
三日後、冬の社交が始まった。
父は出かけ、母も出かけ、館には人の出入りが増えた。わたしは、ほとんどの時間を庇の上で過ごした。
王都の屋根は、よい。
朝は東の瓦があたたまり、昼には西に移ればいい。鳩が多い。鳩は見ているだけで一日が終わる。煙突のそばは、あたたかい。
四日目に、向かいの屋根に、猫がいた。
茶色い、痩せた、片耳の欠けたやつである。
そいつは、わたしをじっと見た。
わたしも、見た。
しばらく、そうしていた。
やがて、そいつは尻尾を一度振って、屋根の向こうへ降りていった。
わたしは、その場に残った。
わたしには、あそこへ降りていく体がない。
この日はじめて、わたしは自分が人間であることを、少し、不便だと思った。
*
夜、庇の下の物置に、人の気配がした。
オーギュストだった。
彼は、窓から顔を出さなかった。部屋の中に立ったまま、こう言った。
「そこにおいででしたか」
「うん」
「明後日、王宮の夜会があります」
「ふうん」
「公爵は、あなたを連れていくつもりです」
わたしは、屋根の上で寝返りを打った。
「行かないとだめ?」
「だめでしょうね」
この男は、こういうとき、慰めない。
「オデット嬢」
「うん」
「王宮の広間には、回廊がありません」
わたしは、起き上がった。
「ない?」
「ありません。天井が高く、壁は平らで、登れる場所はどこにもありません。柱はありますが、磨いてあります」
そして、彼はこう続けた。
「ですから、あの広間で、あなたが行ける高いところはひとつもない。これは、先に申し上げておいたほうがよいと思いました」
わたしは、庇の上で、長いこと黙っていた。
風が吹いた。
遠くで鐘が鳴った。
王都の屋根は、どこまでも続いていた。
「……オーギュスト」
「はい」
「それ、先に言われると、もっと嫌なんだけど」
物置の中で、彼が少し笑った気配がした。
笑ったかどうかは、ここからでは、匂いでは分からない。




