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高いところ(二)

屋敷に、十一人来た。


 十一人である。


 これは多い。多いというより、問題なのは数ではなく、全員が同じ時刻に、同じ扉から、同じ方向へ流れ込んでくることだった。


 人間は、どうしてこれをやるのか。


 一人ずつ来ればいいではないか。


*


 大広間の二階に、回廊がある。


 手すりのついた、細い通路である。壁に沿って広間をぐるりと回っていて、昔は楽師がそこで弾いたのだという話だった。いまは誰も使わない。使わないので、誰も見上げない。


 わたしは、そこに行った。


 行くまでに、少し手間取った。


 階段そのものは何でもないのだが、この体には余計な布がついている。足のあたりで、常に何かが邪魔をする。猫だったころ、わたしは一度も自分の足にひっかかったことがない。人間は、毎日これと戦って生きているのか。それで二本足なのだから、たいしたものだと思う。


 回廊に着いて、わたしは下を見た。


 十一人が、広間に散らばっている。全員の頭のてっぺんが見える。誰がどこにいて、誰と誰が離れていて、誰がいちばん扉に近いか、ひと目で分かる。


 良い。


 ここは、良い。


 わたしは手すりの内側に座って、背中を壁につけた。


*


 最初に気づいたのは、マノンだった。


 階段の下から、ちいさな声がした。


「……お嬢様」


 わたしは返事をしなかった。返事をすると、下に降りることになる。


「お嬢様。お客様がお揃いでございます」


「うん」


「……うん、ではなく」


 沈黙があった。


 それから、スカートの音がして、足音が遠ざかって、しばらくして、また戻ってきた。


 マノンは、盆を持って上がってきた。


 盆には、茶が一つと、小さな菓子が二つ乗っていた。


 彼女はそれを、わたしの横の床に置いた。


 置いて、少し迷って、こう言った。


「……足りないものがございましたら、お呼びくださいませ」


 そして降りていった。


 わたしは茶を飲んだ。


 この屋敷は、なかなか悪くない。


*


 広間では、会合というものが始まっていた。


 父がいて、他の十人がいて、全員が座って、一人ずつ喋っている。何の話かは分からない。分からないが、声の高さと間の取り方で、誰が本当のことを言っていて、誰が言っていないかは、だいたい分かる。


 三人、言っていない者がいた。


 そのうちの一人は、喋るたびに父のほうを見ていた。見て、父が何か言うたびに、半拍遅れて頷いていた。あれは、相手の様子を見てから自分の立場を決める人間の動きである。


 どうでもいいことである。


 わたしは、手すりに頭をもたせかけて、目を閉じた。


 下から声が上がってくる。音は上に昇るので、回廊はよく聞こえる。聞こえるが、意味を追わないと決めてしまえば、あれはただの水の音と変わらない。


 わたしは眠った。


*


 目が覚めたら、横にクッションが置いてあった。


 誰が置いたのかは、見ていない。


 下では、まだ十一人が喋っていた。


 一人が、こう言うのが聞こえた。


「……ときに、ご息女は」


 父の声がした。


「娘は、上におります」


 広間が、しずかになった。


 十一人が、順に上を見た。


 わたしは、見下ろした。


 人間というのは、上から見ると、だいたい同じ形をしている。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 それから、いちばん年かさの男が、咳払いをして言った。


「……なるほど」


 何がなるほどなのか、わたしには分からなかった。


 父は、それ以上何も言わなかった。


 会合は続いた。


*


 その夜、洗い場で、下働きの娘が震えていた。


 入って三日の娘である。名をリュシーという。


 リュシーは、夕方、二階の回廊に上がる階段のところで、クッションを抱えた執事と鉢合わせしたのだった。


「ジュベールさんが、クッションを」


「ああ」と洗い場の古株のアネットが言った。「上にね」


「上に、なぜ」


「お嬢様がいらっしゃるからよ」


「お嬢様が、なぜ、上に」


 アネットは、鍋をひとつ洗い終えて、水を切った。


「お好きなのよ、高いところが」


「……は」


「そういうものだから」


 リュシーは、しばらく黙っていた。


「あの、お止めしなくて、よろしいのですか」


「落ちたことないもの」


「でも」


「それにね」とアネットは言った。「お客様が十一人もいらっしゃる日に、お嬢様が広間にいらしてごらんなさい。あなた、給仕の皿を何枚運ぶことになると思う?」


 リュシーは、数えようとして、やめた。


「……上で、いいです」


「そうでしょう」


 この屋敷で三日働くというのは、そういうことである。


*


 客が帰ったあと、父が回廊に上がってきた。


 父が二階に来たのは、わたしが知るかぎり初めてだった。息が少し上がっていた。


 父は、手すりのところまで来て、下を見た。


 誰もいない広間が、そこにあった。


「……よく見える」


「うん」


「ここからだと、誰が誰のほうを見ているかが、分かるな」


「うん」


 父は、しばらく下を見ていた。


「ベルナール卿は、三度、わたしのほうを見た」


「五度」とわたしは言った。


 父が、こちらを向いた。


「五度?」


「うん」


 わたしは、本当のことを言っただけである。数えていたわけではない。ただ、下で動いたものは目に入る。入ったものは、残る。猫というのはそういう作りになっている。


 父は、何も言わずに、しばらく立っていた。


 それから、こう言った。


「……お前は、ここにいればいい」


「うん」


「降りてこなくてよい。食事も、ここへ運ばせる」


「うん」


 父は、階段を降りていった。


 降りる途中で、一度だけ立ち止まった。


「オデット」


「うん」


「……いや。何でもない」


 母といい、父といい、この家の人間は、途中でやめるのが好きらしい。


*


 翌日、オーギュストが来た。


 彼は広間に入ってきて、まっすぐ上を見た。


 探さなかった。入ってすぐ、上である。


「オデット嬢」


「うん」


「そこは、よく聞こえますか」


「よく聞こえる」


「では、ここで話します」


 そして、彼は広間の真ん中に立ったまま、昨日の会合について話しはじめた。上を向いたままである。首が疲れないのだろうか。


 話の内容は、半分ほど流れていった。


 ただ、最後にこう言ったのは覚えている。


「公爵は、昨日、何も決めませんでした。決めないことを決めた、という言い方をされています」


「ふうん」


「あなたが上におられたことが、その理由だとされています」


「どうして」


「公爵家の令嬢が同席しないということは、この家はまだ関わる気がない、という意味に取られるからです」


 わたしは、手すりに顎を乗せた。


「わたし、人が多いのが嫌だっただけなんだけど」


 オーギュストは、少し黙った。


 それから、下から、こう言った。


「ええ。わたしは、そう思っています」


 わたしは、この男を見下ろした。


 紙とインクの匂いは、下からでは届かない。


 それでも、この男が立っているのは、いつも同じような場所である。広間の真ん中でもなく、壁際でもなく、その少し手前。人の流れから外れていて、出口が見えていて、こちらを追い詰めない位置。


 この男は、たぶん、自分がなぜそこに立つのかを知らない。


 わたしは、知っている。


 猫は、そういうことに気がつく。

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