荷台
朝、トマの荷車が厨房の裏口に着いた。測量の人たちの乳である。
荷台には、空になった袋が何枚か重ねてあった。そこにだけ、日が当たっていた。
茶色い猫が、その上で丸くなっていた。
わたしは荷台に上がって、茶色い猫の隣に横になった。袋は、日に当たって乾いた麦の匂いがした。荷台の板も、日にあたたまっていた。
トマが壺を下ろし終えて振り返り、荷台を見て、そのまま止まった。
しばらく止まっていた。それから、壺を一つ抱えたまま、裏口へ戻っていった。
「マノンさん。あの、荷台に」
マノンが裏口から顔を出した。荷台を見た。わたしを見た。茶色い猫を見た。
「……お嬢様」
「うん」
マノンは、それ以上何も言わなかった。降りてください、とは言わなかった。この屋敷では、誰もそういうことは言わない。
トマは、日の高さを見た。
「わたしは、村へ戻らないと。昼の仕込みがありまして」
*
マノンがジュベールを呼び、ジュベールが父の書斎へ行った。
少しして、ジュベールが裏口に戻ってきた。
「旦那様は、行かせろ、と。ギヨームをつけろ、と」
それで決まった。
決まってからが、長かった。
マノンが、肩掛けを持ってきた。リゼットが、日傘を持ってきた。ベルトが、台を持ってきた。台の上には菓子が載っていて、一つ多かった。ジュベールは、荷台の袋の端を引っぱって、ほつれがないか確かめた。ギヨームは、厨房の前掛けを外して、上着に着替えてきた。
トマは、そのあいだずっと手綱を持って立っていた。
「……乳の荷車なんですが」
「存じております」とジュベールが言った。
リゼットは、日傘と台を両方持って、荷台の後ろに乗った。ギヨームは、騾馬の横を歩くことになった。
わたしは、肩掛けをかけられたまま、袋の上で目を閉じていた。あたたかいから乗っているだけである。
*
荷車は、門を出て南へ行った。
しばらくは、平らだった。揺れは小さく、袋はあたたかかった。茶色い猫は、わたしの足のほうで寝ていた。
「まだですか」とリゼットが訊いた。
「まだだ」とトマが言った。
少しして、リゼットがまた訊いた。
「まだですか」
「まだだ。半分も来てない」
リゼットは、台の菓子が落ちないように、両手で押さえていた。
途中で、道が上りになった。騾馬の足が遅くなった。荷車が傾いて、袋ごと少し後ろへずれた。ギヨームが荷車の後ろへ回って、押した。
「いつも、ここで遅れるんだ」とトマが言った。「雨のあとは、もっとだ」
リゼットは、それには何も言わなかった。日傘を、わたしの上に差し直した。
坂を上りきってから、また平らになった。それから、また少し行った。
「まだですか」
「もうすぐだ」
もうすぐと言われてから、まだしばらくかかった。
*
村に着いたのは、日がだいぶ高くなってからだった。
荷車がトマの家の庭に入ると、茶色い猫は荷台から降りた。振り返らずに、垣根の下をくぐって行ってしまった。どこへ行くのかは知っているらしかった。
わたしも降りた。
トマの家の庭は、干し草と、乳と、竈の煙の匂いがした。ミレーユの子の匂いと同じだった。
その匂いのなかに、もっとあたたかい匂いがあった。焼けた小麦の匂いだった。
匂いのほうへ歩いた。庭を出て、道を渡って、少し行ったところに、石を積んだ大きな窯があった。村の人が、みんなでパンを焼く窯だそうである。朝の焼きが終わったところで、外側の壁がまだあたたかかった。
壁の日の当たる側に、横になった。
あたたかかった。南の石とは違うあたたかさだった。内側から来る。
リゼットが、日傘を持って追いかけてきた。ギヨームも来た。台を持っていた。
村の人が、何人か来た。窯の前で立ち止まって、帽子を取った。
「お嬢様、ようこそ」
リゼットが「うん」と言った。村の人は、リゼットに頭を下げた。
ミレーユも来た。子どもを連れていた。子どもは、窯の少し手前でしゃがんだ。このあいだより、少し近かった。わたしのほうを見たり、窯の煙のほうを見たりしていた。
わたしは、目を閉じた。
*
帰りの荷台には、自分で乗った。窯の壁が冷えてきたからである。
茶色い猫は、いなかった。どこへ行ったのかは知らない。
乗ってから、すぐ寝た。坂を下るところで一度だけ目が覚めて、また寝た。リゼットはもう「まだですか」とは訊かなかった。
*
次の日、マノンが、村での話を運んできた。トマが乳を届けに来たときに聞いたのだという。
村では、こう言われているそうである。お嬢様が村へお越しになり、パン窯でひと眠りされて、お帰りになった。
それだけだそうである。
マノンは、それ以上何も付け足さなかった。
昼、南の石の上で寝た。
石はあたたかかった。外から来るあたたかさだった。
顔をうずめた袖から、まだ少し、パン窯の匂いがした。




