曇り
その朝は、曇っていた。
南の石に行ってみたが、日が当たっていなかった。触ると、冷たかった。石は、日が当たっていないと、ただの石である。
茶色い猫も来なかった。
厨房へ行った。食器棚の上には、ギヨームが敷いた布がある。乗った。竈の火で、棚の上だけはあたたかい。
リゼットが、朝の台を下げに来て、棚の上を見上げた。
「茶色いのは、今日は」
「あいつ、今日は来ない」
少しして、ジュベールが厨房に来た。外套の裾が、少し濡れていた。
「南の庭へ」とベルトが訊いた。
「曇りの朝は、杭の根元が乾きにくうございますので」
ジュベールはそれだけ言って、棚の上を一度見上げた。わたしがいるのを確かめて、銀器の部屋へ戻っていった。
そのあとでマノンが来て、同じように棚の上を見上げて帰った。ピエールは、豆の籠を持ったまま一度、裏口から南のほうを見た。誰も、何のためにそうしたのかは言わなかった。
*
朝のうちに、測量の助手が二人、厨房の裏口に来た。ベルトがパンとスープを出した。二人は戸口の段に座って食べた。
「朝いちばんに、親方が南の庭を見に行ったんだ」と、背の高いほうが言った。「戻ってきて、石が空いてる、って」
「空が曇ってたからかい」とベルトが訊いた。
「空は見てなかったと思う。石を見に行ったんだ。空いてたから、測る、って」
背の低いほうが、パンをちぎった。
「おれは、道具を取りに戻れって言われた。三番の替えの杭と、木槌。走って取りに行って、走って戻った」
「それで」
「戻ったら、親方が一人で石の上にもう鎖を通して、待ってた」
ベルトは鍋をかき回していた。
「じゃあ、あんたは何を取りに戻ったんだい」
「杭だよ。三番の。打ち直したら、親方がすぐ測った」
「次は、おまえが取りに行けよ」
「次も、親方は先に鎖を張ってるよ」
二人は、スープをもう一杯ずつもらった。
わたしは棚の上で、それを聞いていた。
*
昼すぎに、雲が切れた。
厨房の窓に、日が差した。わたしは棚から降りて、南の庭へ行った。
石は、まだ半分冷たかった。日が当たっている側に座った。
三番の杭が、まっすぐ立っていた。新しい杭だった。また、新しい木の匂いと、助手の手の匂いがした。朝、走って取りに戻ったほうの手である。
することは決まっている。
わたしは杭のところへ行って、頬をこすりつけた。右から一度。左から一度。
杭が、傾いた。
鎖を巻いていた背の低い助手が、木槌を持ったまま固まった。それから、テシエのほうを見た。
テシエは、帳面を見たまま杭のほうへ歩いてきた。杭を見た。わたしを見た。それから、帳面に目を戻した。
「もう測りました。そのままで結構です」
助手は、木槌を下ろした。
わたしは、杭の匂いを確かめた。もう半分くらい、わたしのにおいがした。それで石に戻った。
石は、さっきよりあたたかくなっていた。
屋敷のほうで、窓の開く音がした。父の書斎の窓だった。
「南は、済んだか」
「今朝、済ませました」とテシエが言った。帳面を見たままだった。「石が空いておりましたので」
「そうか」
父は、少しのあいだ窓のところにいた。それから引っ込んだ。窓は、半分開いたままだった。
帰りぎわ、テシエは石の横で足を止めた。顔は上げなかった。
「明日は、西の測点です。七時から。こちらには参りません」
「うん」
来ない日の予定まで言う人は、初めてだった。悪くない。
*
夕方、日が落ちて石が冷えたので、厨房の棚に戻った。
少しして、テシエが厨房に来た。ベルトがスープを出した。昼までに、ベルトは南の庭へ二度スープを運んでいる。これで三杯目である。テシエは、それを黙って飲んだ。
背の低い助手が、戸口から訊いた。
「親方、三番は直さなくていいんですか」
「あの杭は、また頬をこすられます」とテシエは言った。「もう測ってありますから、傾いていて困ることはありません」
「ほかの杭は」
「ほかの杭は、わかりません。まだこすられていませんので」
助手は、それで黙った。
ベルトが、鍋をかき回しながら訊いた。
「技師さん。南の村から町の医者まで、いまはどのくらいかかるんだい」
テシエは、帳面を開かなかった。
「去年の冬、ミレーユの子が熱を出したときは、三時間でした」
ベルトの手が、少し止まった。
「新しい道なら、二時間を切ります」とテシエは続けた。「雪の日でも」
ベルトは、また鍋をかき回しはじめた。しばらく、誰も何も言わなかった。竈の火の音だけがした。
わたしは、棚の上で目を閉じていた。
それから、ベルトが言った。
「ミレーユの子は、いまは元気なのかい」




