継承
冬の昼は、車寄せの屋根がいちばん日が当たる。
二階の父の書斎の窓から出ると、すぐ下が車寄せの屋根である。窓の下には台が置いてある。これもジェルマンが置いた。屋根の鉛の板は、昼を過ぎると石よりあたたかくなる。
その日は、朝から人の歩く速さが違った。
門の前に馬が着き、降りた人が走って玄関に入った。廊下の足音が、二段飛ばしになった。扉の閉まる音が短くなった。少しして、また馬が着いた。
わたしは屋根の真ん中の、いちばん日の溜まるところで丸くなった。
書斎の窓は半分開いていた。
「陛下が、評議の席でお倒れになりました」と、知らない声が言った。王宮の廊下の匂いがした。「王弟殿下が、明朝、あらためて評議を開くと。王子殿下の継承を、議にかけ直すおつもりです」
父が何か言った。父の声は低いので、屋根まではよく届かない。
そのあいだも、馬は着いた。多かった。どのくらいかは知らない。数えないからである。
*
昼過ぎ、屋根の端に茶色い猫が来た。片耳が欠けている。
猫は少しのあいだこちらを見て、それから、前より近くに座った。前より、もう少し近く。背中が、わたしの袖に触れるところだった。
どちらも何もしなかった。日は、二つぶん当たっていた。
書斎の窓から、父が顔を出した。
「オデットは」
玄関先から、ジェルマンが見上げた。
「屋根で、寝ておられます」
「……そうか」
父は顔を引っ込めた。目は閉じていたので、寝ていたことになる。
しばらくして、また顔が出た。
「オデットは」
「まだ、寝ておられます」
「そうか」
三度目に顔を出したのは、父ではなかった。王宮の廊下の匂いの人だった。
「シャルヴィル嬢は」
「寝ておられます」
その人は、ほっとした匂いをさせて引っ込んだ。それから馬に乗って、王宮のほうへ帰っていった。来たときより、ゆっくりだった。
*
夕方の少し前、マノンが市場から戻ってきて、玄関先でジェルマンに報せた。マノンの声はよく通る。
曰く、シャルヴィル嬢は、王都がこれほど揺れているさなかに、一日じゅう屋根の上で寝ている。
曰く、それは公爵家がどちらにも付かぬという合図である。
曰く、いや、付く必要もないほど勝負は決まっているという合図である。
曰く、王弟殿下の使いが門の前まで来て、屋根を見上げ、そのまま引き返した。
曰く、それを聞いた王子殿下は、執務の間で床に座った。
最後のは本当だろうと思った。あの人はよく床に座る。
いや、日が当たっていたから寝ていただけなんだけど。
*
書斎で、母の声がした。
「本邸へ、ですか」
「おまえとオデットは、明日の朝に発て。ここはしばらく騒がしくなる」
母は、すぐには答えなかった。
「あの子は、馬車が嫌いです」
「知っている」
「三日も揺られたら、あの子は──」
母は、そこでやめた。それから、言い方を変えた。
「わたしも、ここにいます」
父はずいぶん長く黙っていた。その黙りが、窓から屋根の上まで降りてきた。
「……では、ジュベールを呼ぶ」
「ジュベールを」
「あれをいちばん分かっているのは、あの男だ」
あれが誰のことかは知らない。
*
日が傾いたころ、紙とインクの匂いが、門から走ってきた。
オーギュストは、玄関に入る前に一度だけ屋根を見上げた。わたしがいるのを確かめてから、入った。この人は、寝ているかどうかではなく、いるかどうかを見る。
少しして、書斎から彼の声がした。
「布の巻き方が、分かりました」
「どこだ」
「王弟殿下のお家の、狩りの者の巻き方です。三年前、狩り場の届け出がありました。道具の図が添えてあって、柄の布の巻き方まで描いてある。書式どおりに、全部を描く書記がいたようです」
父が何か言った。
「はい。これだけでは、お家の誰が、とまでは言えません」とオーギュストは言った。それから少し間を置いた。「ですが、お家の名前は、もう口にしてよいと思います」
日が、屋根から落ちかけていた。茶色い猫は、いつのまにかいなくなっていた。袖のところだけ、まだ少しあたたかかった。
このあたりから、本当に寝た。だから、ここから先だけは、あとで聞いた。
父がそこで名前を口にしたのだと、ジェルマンが言っていた。ジェルマンはそのとき、書斎の扉のところにいた。
父は名前を口にしたあと、窓のところまで来て、屋根を見下ろしたそうである。
「オデットは」
「寝ておられます」と、ジェルマンが父の肩ごしに見て言った。
「そうか」
父はそれから、天井を見た。それで、その日は終わったそうである。




