第三話 二つの川
ハミルの部屋で、レオンとハミルがテーブルを挟んで椅子に座っている。
「川を作る? どういうことだい?」
ハミルがレオンに尋ねる。
「私は今まで、氾濫する川を何とかしようと思っていました」
「それは父上と私も同じだ。でも、それは不可能という結論になったが?」
「はい。そこで、その方法なのですが、すべてに共通することがあります」
「共通すること?」
「川の水位を調整するということです」
川幅を広くするのも、土を盛るのも、川底を掘るのも、すべては水位を調整し、川から水が溢れないようにするためのものだ。
レオンは領地の地図をテーブルに広げる。
地図には、レオンの書き込んだ文字や線が引かれている。
「このように新たな川を作り、そちらに水が流れるようにするのです」
ハミルは右手を顎に添え、地図を見つめる。
「たしかにこの方法ならば、既存の川をいじらず、水を逃がすことができる」
「どうでしょうか?」
「こんな方法、聞いたこともないが……いや、でも理論上は……」
ハミルは俯いて少し考え込んだ後、顔を上げた。
「父上に相談してみよう」
翌日、レオンとハミルは執務室にいる父に、レオンの案を話した。
「なるほど、川を作る……か」
レオンが恐る恐る尋ねる。
「どうでしょうか?」
「面白い案だが、欠点がある」
「欠点とは?」
「干ばつになったらどうするつもりだ? 先代の時代に水が不足したことがある。新たな川に水を流すということは、街に流れる水が減るということだ」
「それは……たしかにそうですが」
「それに、水を逃がした先のことを考えているのか?」
「先……とは?」
「たとえ街に被害が出なくても、水を逃がした先で水害が起きるのではないかということだ。もしそうなれば、他領にも迷惑をかけることになりかねん」
「そこまでは……思い至りませんでした」
レオンが俯き、執務室が静寂に包まれる。
父が咳払いをし、口を開く。
「まあ、案自体は悪いものではない。また何か思いついたことがあれば来なさい」
レオンは顔を上げ、笑顔で頷く。
「はい!」
翌日、座学を終えて教育係が部屋を出ると、入れ替わりで頭頂部の薄い中年男性が入ってきた。
見たことがある、父の部下の一人だ。
「今日から、私もレオン様の教育をお手伝いさせていただきます」
「何を教えていただけるのですか?」
「レオン様は最近、工事関係にご興味があるということで、建築や工事の業務を担っている私に、レオン様の勉強を見ていただきたいと、領主様から命ぜられたのですよ」
「父上が……」
レオンは父の顔を思い浮かべる。
いつも難しい顔をしていて、書類を書いていたり、城に赴いたりと忙しくしている。
食卓を一緒に囲んでいても、会話しながらの食事ははしたないと言われ、ほとんど話す機会もない。
レオンがどんなに勉強や鍛錬を頑張っても、褒められたことはなかった。
それでも父は、自分に無関心なわけではなく、父なりに愛情を注いでくれている。
そう実感できた。
レオンは机の上に地図を広げる。
「それでは、お聞きしたいのですが……」
それからレオンは、父の部下に技術的な問題点や改善点を教えてもらい、案を練り上げていった。
父の執務室にも何度か足を運び、話を聞きに行った。
レオンが父の執務室を出て廊下を歩いていると、呼び止められる。
「レオン兄様!」
振り返ると、妹のセレネアがいた。
「どうしたんだい? セレネア」
レオンがそう言うと、セレネアは頬を膨らませる。
「兄様、最近全然セレネアに構ってくれない」
レオンはセレネアの頭を撫でる。
「ごめん、今ちょっと忙しいんだ。片付いたら遊んでやるからな」
「ほんと? 約束よ!」
「ああ」
そう言うと、セレネアは上機嫌で自分の部屋へ帰っていった。
少し歩くと、今度はマルシスに話しかけられた。
「よう、レオン。元気か? 俺はお前にやられた右手が、いまだに痛むがな」
そう言いながら、右手の甲を擦る。
「また何か用ですか?」
「お前、最近父上の執務室に出入りしているらしいな」
「それが何か?」
マルシスが鼻で笑う。
「いくら父上に取り入ったところで無駄だぞ」
「無駄……とはどういう意味ですか?」
「父上のご機嫌を取ったところで、次の領主になるのはハミル兄ということさ。俺も、お前も、領主にはなれない」
「なんだ、そんな話ですか。私はマルシス兄様と違って、領主になるつもりはありません」
「なんだとっ!」
「私は次の領主には、ハミル兄様が相応しいと思っています」
「おいおい、何だよそれ。戦わずして負けを認めるのか?」
「勝ちも負けもありません。私にはやるべきことがあるのです」
「何だよ、そのやるべきことってのは?」
「マルシス兄様には関係のないことです」
レオンはマルシスに一礼する。
「それでは、私はやることがありますので失礼します」
背を向け、立ち去ろうとする。
「おいっ! 待てよ」
レオンが立ち止まり、振り向く。
「何ですか? また稽古をつけていただけるんですか?」
そう言うと、マルシスは怯んだ。
「うっ……もういい、行け!」
手で追い払う仕草をする。
「失礼します」
再び一礼し、レオンは自分の部屋へと戻った。
数日後、父の執務室。
レオンは最終的な案を資料にまとめ、父のもとを訪れていた。
父が資料をめくる。
レオンとハミルは固唾をのんで、その様子を見守っていた。
やがて父は資料を読み終え、机の上に置いた。
「よく、ここまでのものを作ることができたな。確かにこれならば、また洪水になるような大雨が降っても、防ぐことが可能だろう」
レオンの表情が明るくなる。
「では……」
「しかし、この案を採用することはできん」
レオンは思わず食い下がる。
「なぜですか!?」
「規模が大きく、金がかかりすぎる。人件費もかかる上に、この水門というものを作る費用も相当だろう。洪水の事後処理に金も人材も使われている今、そこまでの予算を回す余裕はない」
レオンは俯き、拳を握りしめる。
「そんな……」
ハミルが、そんなレオンを悲しげな表情で見つめる。
「レオン……」
父がレオンに尋ねる。
「他に、言いたいことはあるか?」
「いえ、ありません……」
レオンが執務室を出ようと背を向けると、父が引き留めた。
「待ちなさい」
レオンが立ち止まり、振り返る。
「何でしょう?」
「お前には、今まで金を与えて、その使い方を学ばせる機会はなかったな」
「はい、そうですが?」
レオンの身の回りに必要なものはすべて用意されている。
自ら金を使う機会などない。
父は机の引き出しから袋を取り出し、机の上に置いた。
ジャラリと金属が擦れる音が鳴る。
「金だ……レオン、お前にやる。どう使おうがお前の自由だ」
「父上……」
レオンは机の上に置かれた袋を受け取る。
そして、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
父はわずかに目尻を下げ、柔らかな表情を見せる。
「あくまで教育の一環だ。礼を言う必要はない」
レオンがもう一度頭を下げると、執務室を後にした。
ハミルが父に話しかける。
「お優しいですね」
父は再び表情を引き締めた。
「何のことだ? それよりも、溜まっている書類を片付けるぞ」
そう言うと、二人は椅子に座り、机の上に積まれた書類に目を通し始めた。




